かつてケルト族の渡りし、大陸より隔てたる島あり。巨大なローマ帝国、これをブリタニアと呼び、偉大なるカエサルの時この島を侵略。紀元43年クラウディウス帝の時、ついにその民を征服した。されど北部の勢力は駆逐できず、紀元117年ハドリアーヌス帝、「ハドリアーヌスの長城」を築き、南をローマ帝国の属領とし、北部のケルトの民を異民族となし南部のケルトの民を帝国に服属させた。やがて南部のケルト人達はブリトン人と呼ばれ、ローマの影響を受けた文化を持ち始めたのである。
やがてローマに落日の迫る頃、ゲルマンの諸部族がローマに侵入し、帝国は大きく右に左に揺れ動いた。その様子は巨大な像が猛獣達に囲まれるがごとく。ついにホノリウス帝は410年、ブリタニアを放棄したのである。ブリトン人達は自らの守護を迫られたが、それは民族の自立と国家建設の希望でもあった。当時島の北部にはピクト人が北東に、アイルランドから進出したスコット人が北西に勢力を保ち、また大陸のゲルマンの民達が押し寄せた。すなわちアングル、サクソン、ジュートなどの部族が、ブリタニア東部に進出を企てたのである。
この時彼らの蛮行を斥け、ブリトンに平和をもたらした偉大なる王こそ、かのアーサー王である。後にゲルマンの民、すなわちアングロ・サクソンに飲まれる前の、束の間のブリトン人の夏を謳歌したのである。
アーサーの父、ユーサー・ペンドラゴンのブリタニアを治めた時。かつてブリタニアにまで進出したローマの力すでになく、ブリタニア北方のピクト人、スコット人、海を渡り領土を求めるゲルマンの民のうち、アングル人、サクソン人、ジュート人らが東部を侵略し、ブリトン人の領土を脅かしていた。部族ごとに王を持ち、争い合っていたブリトン人達も、今は諸王の王を立て、自らの危機を乗り切る時。ようやく結束を固め始めた。こうしてユーサーは諸王の王として「ペンドラゴン」、すなわち「竜の長」となり諸王の王となったのである。しかし諸王は今だ各地に勢力を誇り、相変わらず争いを止めなかった。5世紀終わり頃のことである。
島南西に伸びるコーンウォールの先に、ティンタージェル城がある。恐るべき難攻不落の地に城を築いた、ゴーロイスの居城である。ティンタージェル王ゴーロイスはこの頃にわかに勢力を拡大し、ユーサーに反旗を翻す敵対勢力の中心となっていた。ユーサーに怨みがあるわけではない。配下の武将どもは恐れを知らぬ武士(もののふ)達で、その軍は天にも敵なしと言われる程だったから、まあ他の王達に担ぎ出されたのである。
都にもたちまちこの噂は届き、偵察の兵が述べるところ、兵達を整え剣を磨き、戦に備えて食料を蓄え始めたという。黙って見過ごすわけにはいかない。 ユーサーは会議を召集し、使いを送り懐柔の手を打つことにした。すなわち自ら書状をしたため、今は戦をすべき時ではない、ブリトン人が団結すべき時であることを説き、ついには和平を成し遂げたのである。すなわち祝宴を執り行うために、ティンタージェル王と王妃イグレインを、王都に呼びよせることに成功したのであった。
配下を引き連れ入場するティンタージェルの王を、高らかにファンファーレが向かえ入れ、美しい妻イグレーヌの髪には、豊かな花びらが舞い降りる。屈強の兵達を従えた行進は、戦さに向かう軍隊のように殺気だった。竜の長を守る兵達はこれに驚き、さてはと剣の鞘に手を掛けたが、ユーサーは笑ってこれを制すると、自ら先頭に立ち気さくにも手を上げ、敵の王を穏やかに迎え入れた。
「遠路はるばる、ご苦労であった」
と優しく声を掛ければ、
「これは」
と無骨者のゴーロイスも恐縮して感謝の挨拶を返し、
ティンタージェル王の妃が、
「初めてお目に掛かります」
と頭を下げる頃には、ようやく兵達の気もゆるみ、顔を見合わせ安堵の溜息をついた。
ただちにユーサーは会合を開き、双方の利益をかんがみ、譲るところは譲り、脅すところは脅して、みごとな和睦を成し遂げたのである。
戦争の危機は遠のき、人々の緊張は和らぎ、ユーサーは豊かな宴を催し、会場には色鮮やかな酒と料理が、双方の王と臣下を歓迎した。
ユーサーはゴーロイスと妃イグレインのために、王座に次ぐ最上の席を用意し、祝杯を掲げて高らかに
「ブリトン人の団結を祝す!」
と乾杯の合図を取る。これに答えてゴーロイスが、
「ユーサー・ペンドラゴンに永久(とわ)の栄光を!」
と杯(はい)を返せば、一同は高らかに
「永久の栄光を!」と竜王を賛える。
初めの盃(さかずき)が喉を潤せば、協定締結(ていけつ)を成しとげた緊張もゆるみ、王宮はたちまち祝祭色に包まれた。給仕は器と共に走り、騎士達は笑い声を上げ、配下の兵どもが下品な冗談を飛ばす。盃を豊かにする酒が満ちては引く合間にも、王に従う楽師達は楽器を掻き鳴らし、踊り子達は華麗に宙を舞い、豊かな舞踏と音楽がこだました。人々は手を打って浮かれ騒ぐ。ティンタージェル王も心から満足だった。
顔を見るまではユーサーなど憎き奴だと思っていた。ローマに被れた愚かな男だと思っていた。しかしいざ会合を開いてみれば、ユーサーは度胸も据(す)わっている、決断力もある、腕っ節(うでっぷし)は俺にはかなうまいが、決して弱そうな男ではない。諸王の王と認めたからとて、配下となって犬のように従うわけではない。火急の場合の兵の派遣などお安いご用だ。これまで我が城を訪れたブリトンの王達よりは、遙かに諸王の王にふさわしいではないか。それだけではない、武人の質素倹約を愛するゴーロイスは、ユーサーの城のあか抜けた優雅さに打たれ、己に足らぬものに憧れる、敬服の念さえ抱(いだ)いていたのだった。
こうしてゴーロイスは登城の猛々しい殺気を忘れ、大いに歓び笑ったが、しかしユーサーの心は穏やかではなかった。先ほどから気になって仕方がない、側に控えるティンタージェル王妃のなんと美しいことか。じつは昼間の出迎えでも、引き込まれるようなその瞳に、驚き顔を反らしたぐらいだった。舞踏に合わせて楽しげに笑うその横顔。頬の辺りから細い首筋まで、重ねた酒を受けてうっすらと赤みを帯びている。
初めはすぐに目を背けた。しかし気が付くとまた横顔を眺めた。やがて酒が体を温める頃、彼の瞳は荒ぶる敵対者ゴーロイスではなく、激しく舞い踊る楽師達でもなく、白くか細いイグレインの姿だけを追い求めたのである。
(→ユーサーの恋心は、何ものかによって操作されるべし)
その髪は太陽を受けずともおのずから照り輝き、肌はルビーの光沢のように滑らかだった。あごに向かって傾斜する頬には柔らかい唇を携え、これは神々に使わされた森の妖精か、あるいは女神自身が舞い降りたのか、ユーサーは酔いが回るように彼女に溺れていった。美の女神アフロディーテーでさえも、彼は思った。彼女の前にひれ伏し、祈りを捧げるに違いない。
イグレインもまた密かに胸を踊らせた。ブリタニアを治めし偉大な竜王の、優雅な振る舞いに心奪われた。我が夫ゴーロイスは武を愛する人である。心を緩めることを知らぬ武士(もののふ)である。愛情が感じられないことはない。されど常の激しい口調には、時に恐れを抱くことさえあった。
まだ少女を離れる前に結ばれた夫である。自分の父親のような安心もある。決して嫌いではない。しかし彼女はきっと、まだ恋愛を知らぬまま妻となり、母となって子を育てていたのだった。
イグレインは知らず知らずのうちにユーサーに引かれ、口に含んだ杯が胸を暖める頃には、先ほどからちらりと視線を投げかける権力者の、熱き情熱に鼓動が高鳴った。それが淑女の持つ高い倫理と葛藤しては、彼女の頬をいっそう赤らめる。心を反らそうと顔を背け、もう一目(ひとめ)だけと軽く振り向き、再び燃える瞳に射抜かれて、慌ててあちらに身をただす。
やがて祝宴も慎みを忘れ、酔いどれの狂乱に差し掛かる頃、ついにユーサーは立ち上がった。抑えきれない情熱が酒の力を借りて、せめて想いだけでもあなたの元へと、脇目もふらず歩いてくる。イグレインの心はもはや張り裂けんばかり。ゴーロイスは遙か彼方で、激しいアクロバット遊技を眺めて手を叩いている。まるで2人には気が付かない。「いけない」そう想った時には、ユーサーはもうイグレインの前にひざまずいていた。
慌てて瞼(まぶた)をぱちつかせる王妃は、掛ける言葉も見つからない。竜王は黙って彼女の腕を取ると、手の甲に優しくキスをする。イグレインはぱちぱちと自分の心が、火花を煌めかせるような錯覚を覚えた。まばたきが止まり、互いの瞳が溶け合ったような静寂。恋慕が柄杓(ひしゃく)に満ちてあふれ出すように、瞳の奥に潜む相手の姿を望みながら、時が歩みを止めたようだった。イグレインの頭はもはや、舞い積もる雪のように真っ白である。吹雪の中には立った一人の男が居る、居るとするならば……。
目の前のユーサーが口を開きかけた。しかし、突然、静寂の向こうに沈んだはずの楽師達が、金管の鋭い響きでファンファーレを響き渡らせ、イグレインは危ういところで現実の世界に引き戻されたのである。
はっと我に返った。しまったと思った。慌ててユーサーの手を振りほどいて走るイグレインの、初めて高鳴る胸の怪しい鼓動、この抑えきれない情熱は、豊かな酒のせいか、それとももっと恐ろしい……
「おい、どうしたというのだ」
ティンタージェル王は妻の駆け去る姿を認め、大声を出して呼び止めたが、返事は来ない。怪し、と思って後を追った。イグレインは夜の大気に触れ、王宮の回廊から見える町並みを背に、風に吹かれつつ息を切らし、巨大な柱に寄りかかっている。暗がりのせいか、顔が青く輝いた。
「どうしたというのだ。日頃の慎みを忘れたような慌てぶり。お前らしくもない」
とティンタージェルの王が尋ねれば、激しい胸に手を当てつつ震える声で、
「ああ、あなた、なんということでしょう」
とだけ言って、呼吸を整えている。王は不審な顔で言葉を待つ。「あなた、お聞き下さい。国を収める強大な王は、私達を屈辱するためにここに呼び寄せたのです」
屈辱を許さない武人であるゴーロイスの、眉がにわかにこわばった。
「屈辱とはいかなる理由か」
彼女は咳き込むように答える。
「ユーサーです、ユーサー・ペンドラゴンが、私を抱き寄せようとしたのです」
妻の両手は震えていた。柔らかい唇は硬直し、瞳には火花が揺らめいた。激(げき)した彼女の心には、腕を引かれた一刹那の感触が、怪しく変容を遂げ、自らの密かな願望が、抱かれたいという願望が、知らず知らずのうちに彼女をとりこにした。イグレインは自らがいきなり抱き締められたと信じ、夫の質問に上ずった声で答え続けた。
ついにことは決裂した。怒りに震えるティンタージェルの王は、配下を率いて王宮を後にする。これに気づいたユーサーは、はち切れんばかりの憤怒(ふんぬ)に身を任せ、直ちにコーンウォールに軍隊を差し向けたのである。兵達は鎧を整え、剣を打ち鳴らし、王城の門を後にした。こうして束の間の和平は、燃え上がる恋の炎によって、1日を待たずして焼却されたのであった。
コーンウォールに戻ったゴーロイスは、ユーサーに反旗を翻すブリトンの王達に書状をしたためた。
「今、諸王立ち上がり、背後よりユーサー軍に迫れば、我々もまた兵を繰り出し、ペンドラゴンの軍は敗走するであろう」
これを参謀にして話術に長けるブラシャスに渡し、王達の説得に向かわせることにしたのである。もとよりブラシャスの進言を採用したに過ぎぬ。気さくな王は城門に立つと、自らブラシャスを送り出した。
「ブラシャスよ、今はお前が頼りだ。よろしく頼むぞ」
「王よ、ティラビル城にユーサーを足止めすることが、今は勝敗の分かれ目です」
「我を誰と思う。兵の扱いなら、ユーサーなどものの数ではない」
「王よ、敵は様々な策を用いるでしょう。期を見て先陣を蹴散らしても、決して深追いはせず、援軍の到着をお待ち下さい」
「もう分かった、何度も言うな。お前と来たら、若造のくせにワシよりも沈着冷静なのだからな。さあ、行くがよい」
このように王が言えば、ブラシャスはなんだか急に恥ずかしくなり、「申し訳ない」と王に礼を取ると、ただちに身をひるがえし、王城を後にした。荒波を越えて海鳥が、彼の走る彼方に飛んでいく。ブラシャスはティンタージェルで一番の忠臣であり、まだ年も若い青年でもあり、ゴーロイスを実の親のように慕っていたのだった。
王は忠臣の言葉に従った。すなわちイグレインをティンタージェル城に残し、兵と騎士達を率いてティラビル城に向かうと、十分な武器と食料を蓄え、守備を固めるべく城を鍛え直した。迫り来るユーサー軍に備えるためである。やがて諸王の王を掲げる旗が、城壁から望み得る頃には、備えを固めたゴーロイスも、先陣を蹴散らすべく城門を打って出る。ついに双方の憤怒が大地を覆い、落雷となって火花を散らすがごとく、激しい乱闘が開始したのである。
深追いをせず進軍を斥けるゴーロイスのいくさは見事であった。まるで湖に返された魚のごとく、ユーサーの軍隊を駆けずり回り、かく乱し、弱きを挫いては、強きを逃れ、怯んだ隙を見てティラビル城に舞い戻る。何度か待ち伏せの計略を仕掛けてみたが、いざとなるとゴーロイスを筆頭に兵を切り崩す荒武者達の、鬼のような突撃に、見事に包囲を突破され、そのままユーサー目がけて迫った時などは、竜王の軍に危機が訪れるほどだった。
こうして7日が過ぎてもティラビル城は陥落せず、ユーサーは激戦の中にありながらも、「はあ」とか「ふう」とか、情けない溜息を繰り返すばかり。士気の上がらないこと甚(はなは)だしい。ついには兵達にまで溜息が伝染し、「はあ」とか「ふう」とか呟くのを見て、武将達は大いに不審を強めた。このまま戦局が長引けば、どこのブリトンの王達が、どこの異民の部族達が、背後より迫り来ないとは限らない。「ペンドラゴン王は何を思い悩むか」見かねた臣下達は悩み、意見を出し合ったが答えは出ない。ともかくも、直に聞いてみるのが一番だということになって、王が気を許して側に置いている若き騎士ウルフィアスを使わし、王の心意を尋ねることにしたのである。
若きウルフィアスはユーサーと年が近く、王が就任する前は共に野を駆け、森を探索し、剣試合を行なった仲である。森の霊に騙され崖から落ちかけたユーサーを救ったこともある。不思議な猛獣を掴まえようとして、剣を折られ、ユーサーに助けられたこともある。ユーサーがヴォーティガンに立ち向かった時、先陣を切って敵に切り込んだのは彼である。優れた技量を皆に認められ、ユーサーが王となった後も、他の騎士達から妬まれることなく、王の側近の座に就いた。
年配の家臣からも息子のように慕われるウルフィアスは、ただちに王の元に向かった。謁見を求め、士気に関わることを説き、嘆息の理由を尋ねれば、心許したユーサーも、ついに秘めた想いを打ち明けることにした。
「笑うなウルフィアス。我が悩みとは、かのティンタージェル王妃イグレインに灼熱の愛情を抱き、眼前(がんぜん)の敵を討ち果たせば、イグレインの命の行方が心配でたまらず、味方の指揮に迷いが生まれたのだ」
さすがのウルフィウスも突然の恋の告白には茫然自失、返す言葉も見つからない。ユーサーは咳き込むように、
「お前達をまとめるべきものが、不甲斐ないことだ」
といって、またしてもため息をついた。
何と情けない。これがブリタニアを束ねる竜王の姿だろうか。さてはゴーロイスの突然の退城も、この愛情と関係しているに違いない。我々はこんなたわけた恋物語のために、剣を振い血を流していたのだろうか。ウルフィアスは軽く頭を振り、さすがに内心腹も立ったが、
「兵を駆り立て、戦争を起こすほどの恋愛などあるでしょうか」
と穏やかに戒(いまし)めれば、
「笑うがいい、私にとってはブリタニアに匹敵する大事なのだ。恋の炎の恐ろしさは、お前の方がよく知っているではないか」
といって、急に子供っぽい表情をしてみせる。
ユーサーは激情の人だ、ひとたび炎が立ったからには、後には退けぬ。豊かな湿原でさえ焼け野となるまで燃え続けるだろう。ウルフィアスは、かつて恋人への苦しみを笑われたことを思い出し、ちょっとからかってやりたい気がしたが、今は臣下と王である。それほどの思いなら、あるいは天啓(てんけい)による恋慕かもしれないと考え直し、
「それならば、私が術使いのマリーンを捜して来ましょう」
と決断した。王は眼が丸くなるほど驚いた。
「マリーンだと。あらゆる術を操り、人の心を読み、未来を予言する伝説の術使いを、お前は知っているのか」
「いいえ。ただ配下の兵達が告げるところ、怪しき術を使う男が、この戦をかく乱したそうです。宙に浮いて術を操ったと」
「なんだと、空駆けるマーリンのことか」
「伝説が真実を映す鏡なら、彼はこの近くにいるはずです。私がきっと探して見せます」
王は全てをウルフィアスに委ね、数日は戦も仕掛けず陣内に留まった。ティラビル城ではペンドラゴン恐れるに足らずと士気が高まり、ユーサーの陣では牙を抜かれた竜は眠るよと噂された。
そのころウルフィアスは、コーンウォールを馬で駆け回っていた。捜査の兵を送り、自らも集落を尋ね巡り、ついでに敵の様子なども聞き出してみるが、ゴーロイスを褒める言葉ばかり聞かされるは、マーリンの居所も分からないまま、何の収穫もなく途方に暮れていた。とうとうやけを起こして、森の中で「マーリンよ、マーリンは今いずこ!」と大声で叫び回りながら、こんちきしょうと伸びた草木を剣で蹴散らし、枝を切り裂いて大地を踏みならした。いきなり蔦が足に絡みついてきた。うわあと思う間もなく、体は地面を滑り、「森の生命を奪う者に永遠の呪いこそあれ!」周辺の木々が一斉に怒りの言葉を投げかける。彼は底なしの黒い沼に引き込まれかけた。
そこへエサを求めたはぐれ狼が、「沼よりは俺の腹の中に入れ!」と叫んでウルフィアスを奪おうとしたので、この隙にウルフィアス全力を振るって、外れた蔦を切り裂いて狼を威嚇し、這々の体(ほうほうのてい)でその場を逃れたのである。後ろでは狼が蔦に絡まれ、また蔦を噛み切って殺し合い、周囲の木々が激しい罵声を浴びせかけている。息を切らして森を逃れたウルフィアス、まだ心臓がばくばくと音を立てている。何だか急に腹が立ってきた。
「へん、何がマーリンだ。そんな魔術師みたいな人間が居てたまるか」
と、ほとんどやけの気味で草原まで逃れると、
「これがブリタニアの重臣がする仕事だというのか」
ほとんど半泣き状態に陥(おちい)ってしまった。しばらく惚けたように座り込んでしまったウルフィアス、ようやく疲れ切った足を上げると、もう知しったことかと帰路についたのである。
その途中のことである。重い足取りに合わせきしみを上げる甲冑に、剣も敵がいなけりゃ杖にもならん。とぼとぼと草原に差し掛かるころには、ウルフィアスも天に向かってわんわん泣き出したいほど悲しくなってきた。捜し物が見つからなかった時の幼子の心境である。
天も彼の気持ちを察したか、ごうと云って強風が吹き抜けると、たちまち鳥達は飛び去り、天は暗雲を宿し、大粒の雨が落ち始めた。ウルフィアスは慌てて馬を下り、裾を拡げる樹木に走り込み、ようやく安堵の溜息を付く。ところが世の中そう甘くはない。太い幹に手をかけた途端、今度は暗がりに稲光がさして、慌てて耳をふさいだ彼の体を震わせて、巨大な雷鳴が鳴り渡った。
「光の矢に撃ち殺されるかもしれない」
彼は落雷を恐れ、豪雨の中に戻ろうとした。むかし婆さんから、「光の矢は高いところを打ち抜くのじゃよ」と教えられたからである。ところが突然背後から笑い声が響いたものだから、ウルフィアスは度肝を抜かれて、危うく尻餅を付くところであった。しかしそこは騎士、情けない姿はさらせない。心の動揺を隠し、
「誰だ!」と叫び、思う間もなく剣を抜いて見せた。
「危ねえなおめえさん。輝く剣を目がけて、光の矢が飛んでくらあ」
根元には塊が一つ、雨を避けて寝そべっている。よく見ると人間だ。服装は今にも崩れ落ちそうな恰好で、みすぼらしい乞食が座り込んでいるのだった。乞食はだるそうな顔を上げ、体を起きあがらせると、ウルフィアスに向かって醜い声を上げた。
「おめえ、大分お偉い方のようだが、何かお困りの様子だ。あっしが聞いてやってもいいぜ」
気味の悪いぬかるんだような声。そしてなんとおぞましい姿だろう。
「えい、寄るな。お前にくれてやる食い物など、何もないぞ」
慌てて雨の中に戻ろうとするウルフィアス。
「おろか、おろか。あっしは何でもしってやがるのさ。お前さん、お偉い国王の騎士として、魔法使いの旦那をコーンウォールじゅう探し回って、無駄骨折って打ちひしがれて、八つ当たりして沼に食われそうになって、しょげて帰っていくところだろう」
「黙れ。お前に何が分かる」
乞食のくせに、人を馬鹿にしていやがる。いっそ斬ってやろうかと思ったが、乞食は不気味な顔をして、不意に、ピカッと稲光(いなびかり)ような笑い声を張り上げた。その恐ろしいこと、恐ろしいこと。ウルフィアスはあまりの金切り声に度肝を抜かれ、つい「お前は、お前は誰だ!」と、素っ頓狂なことを口走ってしまったのである。
乞食がにっと折れた歯をむき出しにするやいなや、天空から真実の落雷が樹木めがけて打ち下ろした。閃光と轟音に飛ばされたウルフィアス。跳ねる鞠(まり)ように大地を転げ回り、泥にまみれて、もはや騎士の面子もあったものではない。ようやく顔を上げ瞳を開いてみると、どうも驚く、目の前には天使のような輝かしい少年が、きざったらしく体を傾けてポーズを取り、にっこり微笑んでいるではないか。
「あなたは、私のことを捜していたのでしょう」
瞳孔をくらくらさせるウルフィアスに、優しく手を差し伸べ、少年は小さく頭を下げた。
「私がマーリンです。どうぞよろしく」
ウルフィアスはキョトンとして辺りを見回した。不思議なことに野原は穏やかに晴れ上がり、落雷の名残もなければ、雨が降った痕跡すらない。自分の体を触ってみたが、髪の毛一本濡れていない。驚きに冷や汗を流した手の平だけが、べっとり湿っているだけだった。
「いやまさか、そんなはずは。マーリンは白髪さえ交じった、シワを刻み込む老人だと私は聞いていた」
「私に年齢はありません。私が望めば野を駆ける少年にも、壮齢の戦士にも、歯っかけのお爺さんにも見えるでしょう。さあ、すこし心を落ち着けなさい。いい年をしてだらしがない」
少年にさとされたウルフィアス、羞恥の場面をさらけ出した後ろめたさも手伝って、
「子供が失礼な。私は冷静沈着の騎士である。大人をからかってはいけない」
と立ち上げれば、マーリンは突然しわがれた老人の声を出し、
「ワシの姿が少年に見えるからといって、浅はかに口調を変えるのではない。ワシはお前より遙か昔から、この世の全てを眺めているのだ」
と威厳をもって答えるので、ついうっかり、
「ああすいません、これは大変失礼しました」
と、自分でもがっかりするぐらいの、騎士にあるまじき、だらしないお詫びを入れてしまった。これはあまりにもひどい。ようやく気が付いたウルフィアスは、思わず自分で吹き出してしまった。目の前の少年も笑い出した。
「ほら、小鳥が鳴いていますよ」
黄金に輝く少年がすらりと指を伸ばす先に、小さな鳥が鳴き声を上げる。ウルフィアスは心穏やかになって、羽ばたく空の彼方を見上げた。これで国王も満足するに違いない。そう思うと急に愉快が込み上げてくる。
不意につむじ風が吹き抜け、少年がふっと宙に浮いたような気がした。はっとして顔を戻すと、少年はもう消えてなくなっていた。空から高い笑い声が聞える。
「お前は私を国王に引き合わせたいのだろう。よかろう。お前の願いは叶えよう。王の元に返り、マーリンはここに居ますと進言するがいい。私は再び姿を表わそう」
裏の森林の方から、肝を抜かれたウルフィアスをからかうように小鳥達が一斉に合唱を始めた。
ますます募る恋の呪縛は敵の術者の呪いだろうか、焦燥のユーサーは身もだえしながらウルフィアスを待ちわびた。苦しくても竜王、情けない姿はさらせない。臣下の列席する会合で、逸る部将共が「攻め込まぬのは卑怯の極み」と口々に進言する中、
「いたずらに兵を失うのは望むところではない。我に策あり」
と口調だけは威厳を保ったが、実は空っぽも空っぽ、何の策もありゃしない。初めから戦のことなど考えていないのだ。
まだ若き王である。たかが女に情けないと、心を奮い立たせてみるが、気が付くとまたイグレインの姿が浮かんでくる。臣下の話は、次第次第に上の空。仕舞いには頭の中で空想だけが羽ばたいて、彼女の肩に手をかける頃になれば、完全に会合から脱落してしまった。気が付いた騎士達が、まじまじとユーサーを見詰める。もしここで急ぎ舞い戻ったウルフィアスが、馬を捨てて走り込んでこなかったら、皆彼を見捨てて戦場を去り、ペンドラゴンの称号は今日限り、返上することになったかもしれない。
「王よ、今戻りました」
威勢のよくマントをひるがえし、ウルフィアスは今こそ王の前に進み出る。その姿を見たユーサーの、慌て振りといったらなかった。臣下達は国の大事かと訝(いぶかし)しがり、互いの顔を見合わせたが、問いを発する間もなく、立ち上がったユーサーが、ウルフィアスに問いかける。
「お前の顔を見れば分かる。よく見付けてくれた」
友の顔には確信が宿っていた。
「いえ、このぐらいのこと、軽い仕事です」
とウルフィアス、いくら何でも疲労困憊(ひろうこんぱい)すねた少年のように、泣きべそかいて森を逃げたとは答えられないだろう。王は期待が風船の張り裂けるほど膨らんで、
「どこだ、いったいどこに居るのだ」
とほとんど叫び声になってしまった。
臣下達はウルフィアスがマーリンを捜していることは知っていたが、まさかそれが恋のためとは夢にも思わず、たかが術使い一人にユーサーほどのお方が、慌てふためく姿を訝(いぶか)しがった。そんなざわつきの中で、ウルフィアスが落ち着いた声で高らかに、
「マーリンはここに居ます」
と宣言したものだから、在席するものは互いの顔を見比べ、柱の隅を探し回り、暗殺者を見つけ出すような疑心暗鬼に、陣内は一時騒然となった。
「下らない冗談は止すのだ。ここに居る者の顔は全員知っている」
ユーサーが皆を代弁して怒鳴りかかれば、ウルフィアス、これがあの心優しき騎士かと思われるほどの、傍若無人な態度で、
「忠臣のことばが冗談に聞えるとは情けない。私情に捕われたペンドラゴンなど、もはや竜を名乗る資格はないようだ。ティンタージェル王妃の従者にでもなるがいい」
と暴言を吐いた。彼の無礼の言葉には、皆も驚き顔を合わせたが、言葉の真意を知るユーサーの怒りは尋常ではない。噴き上がる溶岩のように、煮えたぎった憤怒(ふんぬ)が突き上げる。
「ウルフィアス、私を侮辱するつもりか!」
ユーサーが剣を抜けば、途端にウルフィアスが甲高い声で、ユーサーを馬鹿にするように笑い出した。嘲笑という言葉は、このとき生まれた言葉かと、信じたくなるほどの馬鹿笑いである。ユーサーの顔は真っ赤に燃え上がり、臣下の戒める間もなく、ウルフィアスに斬りかかった。あっと思った騎士達は、王の剣がウルフィアスを切り抜く刹那に釘付けになった。
するとどうだろう、刃で切り裂いたはずのウルフィアスは左右に分かれ、互いに失われた半身が浮かび上がり、やがてユーサーを囲むように、2人のウルフィアスが楽しそうに笑っている。
「魔物だ!」「妖術使いだ!」
臣下達は慌てて剣を抜き、陣内は激しくざわめいた。控える兵士達には柱に隠れるものまでいる始末。誰かが驚きのあまり突き倒した巨大な銀の器が、激しく床に落ちて金属太鼓のように鳴り響いた時、ふいにはっとして全ての音が消えた。皆の動きが止まった。そしてその瞬間である、背後から
「国王、今戻りました!」
と甲高い声が響き渡ったのだ。振り向けば陣に駆け込んだ男は、まさに戻ったばかりのウルフィアスであった。部屋の中にはウルフィアスが3人。その時のぽかんあんぐりとした、気力を無くした絶句の状況たるや、皆さんにもお目に掛けたかったぐらいである。
さすが国を治める王は、感情は激しくても、豊かな理性を持ち合わせているらしい。ユーサーはすぐ冷静を取り戻し、剣を鞘に収めると、
「マーリンよ、悪戯が過ぎるのではないか」
とだけ問いかけた。
声の先には若い騎士が直立している。髪は黄金色に輝き、鼻は方角を示す槍のように高く、人を誘い込むような茶色の瞳に、悪戯そうな好奇心を宿している。これもまたマーリンが変じた姿に他ならなかった。臣下達は大いに訝(いぶか)しがった。ある者はマーリンを幼き少年だと思い、別の者は背の折れた爺さんだと信じ、他の者は足もなく宙に浮くと聞かされていたからである。つまりどんな者だか分からない、名前だけは知っている。遙か昔から伝承に刻まれたものがマーリンであった。
「ユーサーよ、私に大事な相談があるそうではないか」
と大変高慢な口の聞きよう。これが憎きヴォーティガンの死を予告した男か。ユーサーはしげしげと眺めた。我が上の兄コンスタンスを殺し、王座を奪い取ったヴォーティガンの死を。だとするならば。
「ぜひ私の相談相手になって欲しいものだ」
ユーサーは滞在を願い出た。マーリンはユーサーの中の兄、アウレリウス・アンブロシウスが毒殺された時も、彼を葬るために壮大な石碑を築いてくれたのだ。諸王の王となったユーサーが兄の葬儀に訪れた時は、マーリンはいずこへか去った後だった。悪意のある術者とは思えない。臣下には怪しき男と危惧を抱くものもいたが、マーリンのうわさを知る者達は、魔術に度肝を抜かれ、敵となるよりは、いっそ味方であればこそと願っている様子。そこでユーサーが皆に向かって解散を命じた。
「軍議はマーリンの進言を聞いた後、太陽の降(くだ)り変わる時刻に再開する」
異論のあるはずもない。皆は一礼して退去し、国王とマーリンと、それからウルフィアスだけが残った。
「マーリンよ、お前のことは聞いている。私の兄を殺し王位を奪った男、憎きヴォーティガンがウェールズに砦を築いた時、繰り返し崩れ落ちる城壁の呪いを解くために、お前はヴォーティガンの前に引き出されたという。予言に従い子供を生け贄とするために」
すると驚いたウルフィアス、
「違います、違います。マーリンはその時、白髪交じりの爺さんで、術で城壁を築くために呼ばれたのです」
と慌てて説明を加えた。王は腑に落ちない。
「そうではない。城壁を建てるためには、父親もなく女より生まれた子供を殺し、生き血を大地に捧げよとの神託を受け、ようやくマーリンを探し出したのだ。マーリン、お前は夢の中で恋人の真似をするインキュバス、夢の悪魔の子供だそうだが、まさか本当なのか」
マーリンの返答は非常に投げやりである。
「邪悪なものに気づいたキリスト教徒の神父が、子供が誕生するやいなや洗礼を行ない、主の御名と十字架の力によって、私が悪魔になるのを救ったとか」
固くなな心を持つウルフィアスは、考えもなく口が滑る。
「そうじゃありません。初老の老人が、杖を突き出しよろよろ現れ、ヴォーティガンから、砦が崩れ完成しない理由を尋ねらたのです。すると老人は、『見よ砦の下を、2つの竜が互いに争うその姿を。地底深くにひそむ赤と白の竜が争うあいだは、砦は動じて収まらない。』そう答えたのですよ。それで地下への洞窟を降っていくと、恐ろしい、赤い竜が炎を吐き、白い竜がそれを凍らせ、互いに殺し合っていたのです」
「いやいや、子供が案内したのだろう。その子が声高らかに、赤き竜はヴォーティガンであり、白き竜はその敵だが、赤き炎はついに凍りつき、コーンウォールの猪が白き竜をも討ち果たすまでは、島のいくさは終わらないだろうと予言したのだ」
「だって、それじゃあ、いつまでたっても砦が造れないではありませんか」
「そこでだ。白き竜の氷の爪に切り裂かれ、傷を負った赤き竜が奈落に逃れたので、しばらく地上の揺れが収まったのだ。どうだ、マーリン、少年ではないか。少年だったはずだ」「いやいや、老人でしょう」
2人揃って、マーリンの答えを待っている。こんなたわけた情景が続いた日には、叙事詩も英雄伝説も台無しである。マーリンは2人を相手にせず、
「私に年齢はない。私に誕生日はない。私に寿命はない。私の逸話は、人々が勝手に生み出したものだ」
と言って切り捨てる。ウルフィアス、それでも、
「だって、アンブロシウス王が亡くなった時、あなたが杖に震えながら現われて、怪しい妖術で岩を運び、ソールズベリーの草原近くに、不思議な石碑を立てて、『これはストーンヘンジなるぞ、これはストーンヘンジなるぞ』と叫んだではありませんか。私は、あの時そこに居たのだ」
あまり頑迷に拘(こだわ)るので、ついにマーリンも笑みをもらし、
「先に少年の私に会い、今また青年の私に会い、以前には老人の私に会った。その上で私の年齢に拘るのは、そう、言うなれば、千万を遙かに超えた不可思議の極みだ」
と変な言い回しをするので、ついには全員顔を合わせて笑い出した。(マロリー注.残念ながら今日の私達は、このような言葉の冗談によって共に笑い遊ぶ伝統をすっかり失ってしまいました。)
「改めて、兄のために礼を言わなければならない」
ユーサーは、巨大な石碑で兄の無念を沈めてくれたマーリンに礼を言った。
「礼には及ばない。アンブロシウスの弔いの儀式は行ったが、あれは柱であり鍵なのだ。決して慰霊碑ではない」
「鍵とは」
「とにかく王の望みを叶えるために、私は再びコンスタンティヌスの子供達に会いに来たのだ。初めて諸王をまとめたアルモリカ族の王コンスタンティヌス、彼の3人の子供達。長男のコンスタンスはヴォーティガンに騙され王の座を追われ、そのヴォーティガンを討ち果たしたアンブロシウスも毒殺され、やがて王の座から落ちた。そして兄と共にヴォーティガンに立ち向かった少年が、ペンドラゴンの名称を受け、諸王の王となった。ユーサー・ペンドラゴン、あなたのことだ」
マーリンの言葉はユーサーに己の使命を思い起こさせた。すると何だか、呼んだ理由を告げるのが急に恥ずかしくなってきた。あまねく人の心を透かし見るマーリンがそこを掴まえて、
「臆することはない。王にふさわしい愛もまた、英雄には必要なものだ」
と知らん顔して言うものだから、ユーサーもその想いを白状することにした。隠し立ては無用と悟ったのだ。マーリンもなかなかの食わせ者である。急に聞き上手になって、輝かしい瞳で相づちなど打つものだから、王もつい熱が入って、イグレインへの想い、自らの苦しみ、切なさ、やるせなさ、眠れない夜のことなどを語り始め、ついにはベットに入ってからも「どたん、ばたん」と眠れないのだと、身振りまで交えて力説してしまったのである。
はたで見ていたウルフィアスは失礼ながら、あまりに愚直の子供っぽさに、笑いを堪えるのに精一杯だった。しかし、それが国王の優れた性質でもあるのだ。知らぬ国王は、ウルフィアスも忘れ、褒賞を持って懇願する始末だった。
「願いが成就した暁には、私はお前に対していかなる褒美をも与えよう。どんな異国の宝物でも、莫大な資金でも、美しい娘でも、お前が望むなら、国の一部を分け与えてもよい。私のイグレインへの想いは、それほどに深く大きいものなのだ」
素直を愛するマーリンは、ユーサーの望みを叶えることにした。
「私の願いはただ一つ、イグレインとの間に子供が生まれたら、息子の養育を任せて貰いたい」
「それは嬉しい。私とイグレインのあいだに子が出来ることを、お前がすでに予言してくれているのだからな。もちろん私の後継者として育ててくれるのだろうな」 「そのために私が預かるのだ。ではさっそく始めよう。私の計画を踏み外さず、間違いなく行動するように。自分の命が大切ならば」
「分かった、お前の言葉に従おう」
「では私達はこれよりティンタジェル城に向かう。ウルフィアス、軍の指揮はお前が行い、今日中にこの戦さを終わらせるのだ」
ユーサーは全てを了解し、軍議でウルフィアスに指揮を委ねることを告げた。ウルフィアスであれば、誰にも依存のあるはずはない。ユーサーは辛うじて軍議を乗り切ったものの、一人部屋に戻ると駄目だった。遠足を待つ少年のように、イグレインのことで頭が一杯になり、どったんばったんと、偉大な国王たるものが部屋を騒がせ、身支度を調えながら時折鏡など見て、しかめっ面をしてみせるので、マーリンはこれを壁の向こうから眺めて、一人で腹を抱えて笑い転げた。
その日の夕暮れ前である。技使いのマーリンは両手を一杯に天に突き上げ、深呼吸をするように静かに手の平を返し、空を呼び込むように振り下ろした。するとどうだろう、霧が静かに静かに降り積もるように、地表から空へと視界を遮っていったのである。鳥たちは慌てて寝ぐらに逃れ、水平線に向かう太陽も今は、ぼんやり光の方角すら分からない。ついに向かいのあなたの姿さえ、しかと分からなくなった頃、マーリンは国王と共に、密かに陣を離れたのである。馬を走らせティラビル城を迂回し、霧をまとって進む2人の姿を見た者があれば、驚いたに違いない。そこにはユーサーとマリーンはなく、ティンタージェル王ゴーロイスと彼の重臣ジョルダンが、怯える馬を操って霧の中を急いでいたからである。マーリンはユーサーの頬をなでゴーロイスの顔に変えると、自らもまばたき一つでジョルダンに変容し、2人で向かうのは言わずもがな、イグレインの待つティンタージェル城であった。
その頃やはりマーリンの術を受けたウルフィアスは、ゴーロイスの重臣ブラシャスに成りすまし、信頼熱き10人の配下に敵兵の装備をさせると、食料を積んだ重い荷車を運ばせていた。ティラビル城に入り込むつもりらしい。折しもティラビル城では、ブラシャスから援軍を告げる手紙が届き、ユーサー討伐の機運が一気に高まっているところ。それが今日の午後になって、敵兵より奪い取った密書を開けば、ユーサー軍は食料もつき、王はいち早く王都に帰還し、今夜静かに全軍撤退することが記されているではないか。ゴーロイスはすぐ武将を集め、これが偽りか、誘いの罠か審議していたが、そこに走り込んだ兵士が息せき切って(下注)告げるには、援軍の要請に出たブラシャスがついに戻り、開門を待っているとのことである。武将どもから「おお」と感嘆(かんたん)の声が上がる。臣下数名が城壁に出て顔を覗(のぞ)かせれば、霧の中で夕暮れが迫り、人の顔さえ危ういくらいだが、しかし間違うはずもない、城門に控えているのは、確認のため兜を外した凛々しきブラシャスだ。ただちに城門が下ろされ、ブラシャスと荷車の兵達は、堂々としてティラビル城に入城した。
こうして敵将に化けたウルフィアスと荷車の兵達は易々と城内に入り、城の配置が分からず危なく声を掛けられながらも、マーリンから得た知識を総動員し、ついに敵王の前に進み出た。これが武人として名高いゴーロイスの勇姿か、戦場での顔は和平の時とは違い、恐ろしいほどの威圧感である。しかしウルフィアスよ、今こそお前の優れた度胸が試される時だ。
「ゴーロイス王、かねてより約定を交わした王達からは、例外なく援軍の支持を受け、この機にユーサーを討ち果たすため、出陣の準備に取り掛かるとのこと。そしてここに戻る途中、重大な情報を入手したのです」
いったん息を切ったウルフィアスを、すべての者が見詰めている。しかし彼は怯まなかった。もはや自らをブラシャスとみなし、役を演じきって見せるまでのこと。
「敵の伝令を捕らえ詰問(きつもん・下注)したところ、驚くべき事実が判明しました。ユーサーはすでに城に立ち返り、敵軍もまさに今夜、闇に乗じて撤退するつもりです」
これを聞いたゴーロイスの喜びようといったらなかった。もともと懐疑や策略を好まない武人としての性格が、たちまち前面に表われる。
「よくやった。二重の知らせが袖を合わせ、もはや疑う余地はない。それが信頼すべきブラシャスの申し出なのだ。皆の者よく聞くがいい、わしはこれより撤収するユーサー軍の背後を襲い、完膚無きまでに叩きのめしてやるつもりだ。どうだ、依存はないか」
と一同を見渡せば、悲しいかな、悲しいかな、このような時こそ必要なブラシャスが留守の合間に、偽物のブラシャスが紛れ込むなど、誰が思い付くだろう。ここで偽のブラシャスが声も高らかに、
「霧に紛れて、敵陣に足を踏み入れ、残り少ない敵の食料を奪い取って来ました。10人引きの荷車1台。酒の樽もあるようです」
と告げる。さすがはブラシャス、武将達から感嘆の声が上がる。
「それでは敵を討ち滅ぼして、その酒で祝杯を上げようではないか」
とゴーロイスが立ち上がれば、全員勇みだって勝ちどきを上げ、兵達は武具を整えティラビル城を後にした。もう夕闇は暗く、遠く敵陣には松明が掲げられている。いよいよ決戦の時は迫っていた。
陸と僅かな岩肌で手をつなぐ島の上に、ティンタージェル城は聳(そび)えていた。コーンウォール半島の中程、ウェールズを望む北側にあり、岩肌に突き出たような丘に建つ城は、深い断崖の合間を危なげに行き尽くした細道によって、辛うじて往来の許される、難攻不落の要塞だった。偽(いつわ)りのゴーロイスと偽(にせ)のジョルダンはすさまじい風を受けながら、王の帰還を告げ、王城へ向かう砦の門を開かせた。もはや闇に包まれかけた暗がりで、足下で打ち砕くような水しぶきの轟音は恐ろしい。
ゴーロイスに変じたるユーサーは、はたしてティラビル城陥落の後、ここを攻略できるだろうかと肝を冷やした。ここで我が軍を膠着させつつ、反旗を翻す諸王が一斉に立ち上がったら、滅びるのはティンタージェル王ではない、このペンドラゴンに違いないと考えれば、隣りで岩肌をひょこひょこ飛ぶように進むマーリンの姿が、たまらなくありがたい気がする。しかし、この男はなぜその霊力を貸し与えたのか。そう思うと不安でもある。自分はまんまと妖術使いの術中に落ち入ったのではないか。ここはイグレインの住む城ではなく、魔物達の住みかではないか。光まで波風にさらわれ闇が襲う夕暮れには、勇者の鋼(はがね)の心でさえ妄想に取り憑かれた。不意に、心を覗かれてはしないかと、慌ててマーリンを覗き見たが、彼は漂うようにふわふわと付いて来るばかり、憎たらしいぐらい悠々自適(ゆうゆうじてき)のマイペースで、後ろの方で忽然(こつぜん)と横切った海鳥の足を掴まえて、ぐるぐる振り回しては天空に放り投げたりしている。鳥は危うく岩肌にぶつかりそうになり、鳴きながら逃げていった。気が付けばついに巨大な門が目の前に表れる。
門番を見かけたユーサーはたちまち勇気を取り戻し、
「王の帰還である。はやく扉を開けい」
と叫んだ。王とジョルダンの姿を確認した門兵達は、合図を送り、重き城門を開く。風の音より恐ろしく、ぎぎいごごうと軋みながら、2人の帰還を受け入れたのである。
風のうねりと波の罵声(ばせい)は城内にさえこだまする。今日は霧も出て、聞き慣れた波の響きさえ恐ろしげで、イグレインは夫を案じて、王の間を闊歩していた。ティンタージェルの海も日頃は穏やかで、泣く子をあやす母親かと思うほど優しい。しかし今日はどうしたことか、怒りにまかせ敵を斬り殺す荒武者のように恐ろしい。ゆれる灯火に近付いて、赤々と瞳に映し出すと、不安な心も少し落ち着きを戻した。
すると瞼(まぶた)の先には別のものが浮かんでくる。ユーサーの熱き眼差しが、その情熱の炎が浮かび上がって来るのである。顔を覗き込んだあの瞳の奥には、何が広がっているのだろう。イグレインは、娘が真っ直ぐに自分を見詰めているのに驚いて、あら嫌だと顔を赤らめると、慌てて頭を強く振った。
「ママのお首がこっくん、こっくん」
ようやく言葉を覚えた長女のモルゴースが、自分も真似して首を振って見せる。きゃっきゃ、きゃっきゃと笑っている。
「あら駄目よ、そんなに首を振っちゃ。せっかく髪に付けたお飾りが落ちてしまうでしょう」
母が注意するのが、可笑しくて、モルゴースはもっと首を振ってみる。まだ言葉を覚えない次女のエレインが、ぴぱぴぱと訳も分からず口を動かしながら、長女の真似をして首を振り始めた。イグレインが笑っていると、乳母の手に眠っていた幼きモルガンが突然に泣き出す。
「お乳は十分に与えたのですよ」
そう言いながらあやしつけて、乳母が穏やかな眠りに誘い込もうとする。そこに兵が走り込んできた。国王帰還の知らせである。
使いが立ち去る間もなく、ティンタージェル王ゴーロイスは、ジョルダンを従えて王室の扉をくぐった。王の胸の内はどのようであったか、ここでわざわざ記すまでもない。
「イグレインよ、今戻った」
その溌剌とした陽気な声といったら。
甲冑を付けたままゴーロイスは王座に向かい、ジョルダンはすぐ近くに控えるので、慌てた兵どもが護衛を整える。急の帰還に驚いた妃は、娘の手を握ったまま王の顔を眺めて、不審そうに尋ねる。帰還前に知らせが無いのは珍しい。
「あまりにも突然のお帰り、何かティラビル城に大事でもあったのでしょうか」
穏やかに尋ねると、
「あの臆病者のユーサーから、一騎打ちの申し出があったのだ。愚かな若造め、ワシに一騎打ちで勝とうとは。ペンドラゴンの肩書き諸共、木っ端みじんに打ち砕いてくれるわ」
ジョルダンが後を継いで
、 「諸王の王と交えるに相応しい武具を揃えて頂きたく、準備を整えに戻ったわけです」
我が夫とユーサーが剣を交え、死を賭けて争うことを知ったイグレインは、にわかに顔が蒼くなった。
「心配は無用だ。今だかつて我が剣を振るい、翌日まで命を保った男はいない」
夫の言うことは本当だ。この武人の恐ろしき技で、まだ若きユーサーの細身の体など、グリフィンに狙われた兎のように、ずたずたに切り裂かれるに違いない。さりとて夫が勝たねば、明日の我が身すら覚束ないのがこの世の習い、イグレインには一騎打ちを止める言葉すら、喉に引っかかって出てこなかった。
彼女の震える瞳を案じたゴーロイスが、不意に穏やかな声で、
「心配するな。何があってもお前だけは守って見せる」
と、かつて聞いたこともない優しい言葉を掛けたので、イグレインは心を打たれ、はっとして夫の顔を見た。
すると乳母に抱かれていたモルガンが、突然声を張り上げて泣き出した。乳母からモルガンを抱き抱えたイグレインは、不思議がって赤子の顔を父親の近くに寄せた。
「どうしたの、モルガン。いつもはお父様の姿を見て大笑いするのに、ほらお父様ですよ。久しぶりのお帰りですよ」
不思議なことにモルガンは、両手をばたつかせますます泣き叫ぶ。
「おかしな子だわ、ばあやもう寝かしつけてちょうだい」
イグレインが乳母に返すので、
「かしこまりました、奥様」
と挨拶をしたばあやは、3人娘を寝かせることにした。
上のモルゴースはゴーロイスに挨拶をして出て行った。2番目のエレーンは笑いながら頭を下げて見せた。ただモルガンだけが大泣きしながら暴れるので、ゴーロイスに成りすましたユーサーは、赤子の霊感の恐ろしさに、内心少したじろいだ。急に己の悪行(あくぎょう)が胸を掠めたのである。しかし、ここまで来たからには、目の前に、麗しのイグレインが笑っているからには……
ゴーロイスは胸を打つ波を隠し、イグレインの瞳を見れば、彼女はさっそく一騎打ちの話を始めた。慌てたユーサーがゴーロイスの口調で、
「ワシが負けると思うか」
と一笑すれば、イグレインはどちらが負けるのも嫌なのですとは答えられない。ついには押し黙ってしまった。
「ともかく、今日はティンタージェル城に留まり、明日の朝ティラビルに戻る。久しぶりの夜だ、下らない話はよそう。ワシは疲れた、先に部屋に行っておるから、お前もすぐに来るように」
王の急な帰還を知った部将どもが駆け込んできたので、イグレインは軽く頷いて、小さな胸騒ぎを覚えながら部屋を後にした。その頃ティラビル城近くでは、戦さが最大の山場を向かえていたのである。
「見よ。遠く松明の火が霧に紛れて少しずつ遠ざかる姿を」
深き霧の向こうにもかがり火が見えるほど近づいたゴーロイスの軍は、今まさに突撃の合図を待って、我が領土を荒らしたユーサーへの復讐に怒りを高まらせた。守りを願い出たブラシャスにティラビル城を任せ、先鋭の武将どもはことごとく王の周囲に馬を進め、その後ろに不屈の兵どもが、鎧を打ち鳴らして、槍をざわつかせた。闇はますます大地を覆い、皆の顔も色を失い始めたが、鉄(くろがね)の鎧だけは、まだ闇よりも黒く、軍はさながら昆虫の群のようであった。
「皆の者、ローマに媚びを売りブリトンの王を語る偽のペンドラゴンを、今こそ亡ぼそうぞ!」
威厳に満ちたゴーロイスが、激しく手を振り下ろし突撃の合図を告げれば、たちまち歓声に呼応して銅鑼が鳴り響き、兵どもは雪崩をうって敵陣めがけて走り出した。驚いたかがり火が逃げ出したか、それとも慌てた兵士が蹴飛ばしたか、不意に火の粉が飛び上がって、「敵襲。敵襲」と悲鳴が響く中、勝利を確信したゴーロイスと部将どもが、馬を蹴っては敵兵に斬り掛かる。火の粉が血を浴びて舞い踊る最中(さなか)に、ユーサーの兵どもは叫びながら逃げまどうよう。抵抗する気力もなく、東へ東へと逃れて行くではないか。
「追え、一兵たりとも生きて帰すな」
霧に惑わされ血に酔って、ユーサーの敗兵を斬り殴るゴーロイスの陣は、今や勝利を確信して大きく縦に伸びきったのであった。
その瞬間だった。霧が張り裂けるほど甲高いラッパが一斉に轟き、闇から生まれた屈強の兵達が、竜の戦士に恥じぬ武勇を掲げ、ゴーロイス軍の両側から襲い掛かった。ラッパの響きに肝を冷やし、注意を側面に反らす暇(いとま)もないほど、竜の戦士たちは激しく躍りかかり、剣先を変える暇(ひま)もないほど、勢いよくゴーロイスの兵をなぎ倒した。慌てた兵どもは陣形を失い、前後は遮断され、敵の方角さえ分からない。もはや進退不覚の大混乱に落ち入り、駆り立てられた勇気は挫かれ、やがて狼狽に取って代わった。かがり火すら無い暗き霧の中で、闇に襲撃を受けたような恐怖が、闘う意志を奪い去ったからである。もはや統制を失った軍は、追われる羊の群れのようであった。ゴーロイスがようやく己の不覚を悟った時には、してやられた、追っていたはずの敵軍がきびすを返し、隊列を整え前方から迫ってくるではないか。今や、ゴーロイスは逃げ道すら失った。
「おのれ、小賢しい真似をする。ローマにかぶれ、卑怯な戦さを仕掛けおって。戦なら正面から戦え!」
叫んだゴーロイス。さすが武勇の男、屈強の部将どもを従え、恐ろしい数の敵兵の進軍を、わずか数十名で正面から受け止めた。怒りにまかせてなぎ倒し、なぎ倒し、斬った兵を掴み上げて、そのまま敵に投げつける。10人ばかりの兵もろとも大地に吹き飛ばした。また奪った敵の槍を投げつければ、狙い違わず高名そうな騎士の胸を射抜く。半分に折れた盾を遠く投げつければ、豊かな鎧を着た騎士の首はすっぱと地面に落ちた。驚いた兵たちが立ち止まって、敵の顔に注意を払った瞬間である。ゴーロイスがありったけの声で、コーンウォールのすべての眠りを破る雄叫びを張り上げたのである。肝を冷やした竜の兵士たちは、あまりの恐ろしさに進軍を止め、ゴーロイスの燃える瞳だけが、闇に包まれた夜を照らすように燃えあがる。ユーサー軍は慌てて遠弓の準備を始めたが、それより早く、ゴーロイスの武将達の放った幾つもの矢が、ようやく前に出た遠弓隊と、指揮する部将の首筋を射抜いた。
「退却だ。ティラビル城まで敵陣を切り抜けよ」
一刹那を見逃さず、ゴーロイスは馬を返し、両軍激しく入り乱れる兵をなぎ倒しては駆け抜ける。そのすさまじきこと、すさまじきこと。配下の部将を従え、甲冑の戦車のごとく進軍するその部隊は、まるで両軍とは縁故のない独立した狼たちが、獲物だけを目差して駆け抜けるようであった。慌てたユーサーの勇将たちが手綱を引き、乱戦の兵たちも狼の群れに襲いかかったが、先頭を走るゴーロイスの剣に食いちぎられるか、後に続く部将どもに槍で突かれ、剣で切り裂かれ、誰も進軍を止めることが出来なかったのである。
こうして退却を偽ったウルフィアスの作戦は、見事に敵軍の壊滅となったものの、肝心のティンタージェル王と武将どもを取り逃がし、ユーサー軍は残党を狩りながら、慌ててティラビル城に進攻を開始した。城門を塞がれては、ゴーロイスの首を落とすことも叶わぬ望みである。
霧はティンタージェル公の味方をした。この付近の地理には、遙かに詳しいゴーロイスが、ユーサー軍を振り切ってティラビル城に帰還したからである。城門に立ったゴーロイスは、激しい声で開門を叫んだ。これで何とか体勢を立て直せるはずだ、危うく今日が命日になるところであった。さすがの猛将もほっと安堵の溜息を付き、やや落ち着いてもう一度、
「王の帰還だ、開門、開門!」
と叫んだ。しかし城門に立つべき兵の姿は見えず、開門の声に答えるものはない。
「どうしたというのだ。敵だ、敵に出し抜かれた。早く、扉を開けるのだ」
と叫べば、ようやく城門の見張り台に立ったのは、城に残ったブラシャスではないか。かがり火に照らされて、いくさを知らぬような涼しい顔で霧を受けている。ゴーロイスの腹に、たちまち怒りが込み上げてきた。偽りの情報に踊らされるとは、なんたる失態であろうか。
「ブラシャス、見事に敵に出し抜かれた。お前の情報は間違いだったのだ。この償いをどう取るつもりだ、はやく門を開けるのだ」
自ら歓喜して奇襲に出たのも忘れ、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。城門の前の炎がそれに驚いて、ひとしきり赤く燃え上がっては、霧さえも追い払って見せた。2人の顔が暗がりにハッキリと浮かんだのである。大いに驚いて見せたブラシャスは、
「何ということか!」
と目を丸くして、慌てて城内に声を張り上げた。
「開門だ、はやく開門しろ!」
城門はきしみを上げて左右に分かれ、惨敗の騎士達は転がり込むように、ティラビルの中に滑り込んだのである。
もしこの世が善意の神だけの治める楽園であったならば、これほど果敢に闘いようやく帰還した勇猛の英雄に、さらなる仕打ちを与えたりはしなかっただろう。しかし現世(げんせ)は無情の連なりであり、神々の所業(しょぎょう)も時に凄惨を極めるのが、現世(うつしよ)の習(なら)いならば、ゴーロイスよ、今は甘んじて天命が尽きるのを受けるのみ。お前の勇猛果敢の姿は、長く人々に語られることだろう。
すなわち城門はたちまち閉じられ、ゴーロイスが怪しと思った時には遅かった。たちまち四方から弓矢が放たれ、勇猛果敢で知られる兵士どもも、苦楽を共にした怪力の騎士達も、返す剣を遙かに超える矢じりの先に、肉を貫かれて大地に崩れ落ちる。恐れた馬が錯乱してはぶつかり合い、立てかけられた松明が火の粉を散らし、霧を含んだ大気がゆらゆらと陽炎のように揺れた。激しい悲鳴や金属のぶつかる音が無ければ、セピア色の夢の中にいるような不思議な光景だった。おぞましい幻想と混乱と恐怖が兵達を襲い、敵の居場所すら分からないまま、討ち果たされていったのである。辛うじて城門の上に立つ憎き姿が、憎きブラシャスの姿だけが、冷酷に直立して我を見下ろしている。
「何の真似だ!」
ゴーロイスはありったけの声を振り絞り、弓を払いブラシャスを睨み付けた。ブラシャスは冷たい瞳をゴーロイスに投げ返す。
「ゴーロイスよ、お前に怨みはないが、世の常だ。我が王ユーサー・ペンドラゴンに刃向かったことを恥じるがいい」
そう叫んで右手を振り下ろすと、避けきれぬほどの弓が再びゴーロイスを目がけ、勇将の体を鎧ごとぶち抜いた。
すでに城全体を掌握していたユーサーの兵どもが、一斉にゴーロイスと残党にとどめを刺そうと襲いかかる。この時おのれの敗北を知り、怒り震えるゴーロイスは剣を高く突き上げ、すさまじい叫び声を上げた。まるで森林の英雄を欲しいままにした狼が、ついに人間どもに追いつめられて、天に向かって張り上げるような、猛々しくも悲しい叫び声を上げたのである。声はティラビル城を抜け、深い森を抜け、いくさに怯える動物たちの心に、氷のナイフとなって突き刺さり、狼どもが葬儀のラッパのような声で、ゴーロイスの声に答えようと、悲しい響きを霧の中に張り上げた。手負いの勇者は倒れない。剣を振り割き、槍をへし折り、弓矢を跳ね返し、まだ一人、もう一人でも道連れにと、命果てるまで殺戮を止めないゴーロイスの、もはや一人となって立ちつくす城の中庭に、次々に打ち倒されるユーサーの兵、また兵の数は限りを知れず、恐れた兵たちが誰も近づけなくなった時、異様の静寂があたりを包み込んだ。ついに悪魔と化した敵将の恐ろさに、誰もがその場から逃げ出したいと思ったのである。
しかしブラシャスは冷静だった。城門の上から悪魔に定めた遠弓の矢が、背中を向けたゴーロイスの首筋を、満身の力を込めて打ち抜いたのである。仲間の恐怖を打ち払うように、彼は朗々とした現世(うつしよ)の声を張り上げた。
「王よ、ブラシャスの名誉のために聞くがいい。私はブラシャスにあらず。マーリンの術によりブラシャスに変じた、ユーサーの部将ウルフィアスである」
ウルフィアスの最後の言葉が届いたかどうか。さすがのゴーロイスも満身創痍、生命の絆さえ矢で射抜かれ、剣を握りしめたまま動きを止めた。おそるおそる兵達が近付けば、すでに事切れていた。こうして、ティラビル城攻防戦は幕を閉じたのである。この夜、ティンタージェル城に向かった残党たちは、深い霧に方角を失い、城にたどり着くことなく、朝まで闇をさ迷った。
柔らかき唇は白き肌を誘い、深き瞳はとろけるように何かを求めている。小さな鎖骨を滑り落ちるように、ふくよかな乳房に顔を埋(うず)めれば、彼女の細く伸びた鼻のあたりから、こもったような甘いため息がこぼれた。ユーサーはそのまま手のひらで胸を柔らかくして、首筋のあたりに優しくキスをする。彼は必死に押さえていた。思いを果たしたい熱き情熱が、永久(とわ)に結ばれたい愛おしさと葛藤し、若者の漲る激しさを懸命に抑え、少しずつ彼女を柔らかくするように、ゆっくり身と心を暖めていったのである。それにしても、なんと弾力のある肌だろう。今まで抱いたどのような美女でさえも、彼女と比べたら……ユーサーは次第に我を忘れて女を愛撫した。
イグレインは混乱した。我が夫がこれほど優しく自分を暖めるはずがない。武勇の人であるゴーロイスは、男女の営みも率直で、女の喜びなどに頓着しないのだった。だからイグレインは知らなかった。男女の交わりに、こんなにも深い甘く切ない営みが隠されているとは……
彼女は今、初めての感情に身を震わせ、果たしてこの男が夫であるはずはないと瞳を返せば、しかしそこには紛れもないゴーロイスが、自分の体を柔らかそうに弄び、不意に口づけを交わしたり、胸を手のひらで遊んだり、やがて太股のあたりから手を這うようにして……イグレインの頭はその度に白くきらめいたり、黄色くよどんだりするようで、だんだん自分が夢に溺れるように男に身を委ねていった。 突然、我を忘れたユーサーが
「イグレイン、大好きだよ」と耳元でつぶやいた。
イグレインは鼓動が飛び出しそうになった。絶対に違う。絶対に違う。これは夫なんかじゃない。夫がこんなことを言うものか。ねえ、誰、あなたは誰なの。イグレインが、相手の深き瞳の奥底をずっとのぞき込んだとき、はっとして体が固くなった。この瞳は、この情熱的な愛情は、戦さの始まる前、国王ペンドラゴンの宮殿で確かに見た、あの瞳の奥にひそむ少年。そんなことって。イグレインは動揺した。鼓動が激しく高まるのを感じた。かろうじて、体を優しくする男の耳元で、
「あなたは、あなたは誰なの」と尋ねた。
しかしもはや男にはその質問は通じなかった。彼は黙ったままその唇を奪うと、彼女が何も考えられないように、強く強く締め付けたからである。イグレインにももう、頭から言葉が抜け落ちてしまった。もういい、だって目を開けば紛れもない私の夫だもの。もし悪魔か、それとも精霊の仕業で、私が騙されたのだとしても、私にはそれを見抜くことなど出来ないもの。今はいい、今はこのまま、この人に身をゆだねて……
その時、突然イグレインは遠くで叫び声を聞いたような気がして、はっとして身を起こした。
「どうしたのだ、イグレイン」
「今、遙か彼方で、誰かが私を呼んだような」
「それは深い霧に怯えた獣が、仲間を求めて鳴く叫び声だ」
「違う、だってあれは、人の声だったもの」
「ならば霧に迷って城に近づいた村人に、門番が怒鳴りつけたのだ。イグレイン、そんなことは忘れて、どうか私のことだけを見つめていて欲しい」
イグレインは、はっとして顔を赤らめ、やっぱり違うと瞳を覗き込んだが、今はもう何も考えない、彼のたくましき体に腕を絡めた。その後2人は、長い間幸せの時を駆けめぐり、駆け昇りながら、すべてを使い果たしたように、共に倒れ込んで眠ってしまったのである。そしてこの時、イグレインの体の中に、アーサーが宿ったのであった。後に偉大な王として、父を継いでブリテン人の上に立つ偉大なアーサーの魂が。
白く柔らかき女と、黒くたくましき男が、果てたる裸体を投げだし、触れる肌の香りにまどろむ頃、霧に怯えた森にもいつしか夜鳴き鳥の声が戻り、荒波も静まって、寝息のように打ち寄せる。若き2人の激しい情熱も、大地を揺るがす激しい戦闘も、岸壁の潮の荒ぶる怒りも瞳を閉じ、穏やかな眠りに眠りに付く付いたのだろう。ゴーロイスの呪いの憤怨(ふんえん)さえも、黄泉の国の忘れ水を飲んで、洗い流されたように、全てが静寂に包まれていた。
不意に「王よ」と呼びかける声が、心の中に直接語りかけるようで、ユーサーははっとして瞳を開いた。そばで眠るイグレインは、幸せそうに寝息を立てている。彼女の静かな髪を優しく撫でながら、ユーサーはぼんやりと寝室を眺めていた。 するとどうだろう、小さな化粧鏡が月のように光を発し、これはと思った途端に、マーリンの変じたるジョルダンの姿を浮かび上がらせたのである。彼は感情のない機械的な顔で突っ立っている。ユーサーはようやく、自分が敵王の寝室を踏み荒らしたことを思い出した。目の前のイグレインが急に遠くに感じられる。しかし溜息をついている暇はない、鏡の影法師は黙って指を扉の外に向けているのだ。やれやれと思ったユーサーは軽装を整え、静かに扉を開ける。イグレインは気が付かない。振り返るともう一度抱き締めたくなるほど愛(いと)おしい。しかしユーサーは、扉を閉ざすと同時に、甘い気持ちを打ち切った。
「マーリンよ。まさか鏡から覗いていたのではあるまいな」
「人の抱き合う姿など見たくない。もう現実に帰る時間だ。ゴーロイスは討ち果たしたが、反旗を翻す敵王たちの連合が、もう間近に迫っている。諸王の王として果たすべきことを果たせ」
言うが早いかジョルダンが、ユーサーの顔に手をかざすとあら不思議、無骨者のゴーロイスの姿は消え、顔も衣装も勇ましき剣も、本来のペンドラゴンに戻っていた。急に心まで国王に戻り、このまま城を奪い取って、占領してやりたいほどの、たくましい勇気が沸いて来る。しかし今は一刻も早く、自陣に戻り反乱に備えなければならない。はて、姿が戻ってしまった今となっては、どうやって敵の城を抜け出すのだろうか。ユーサーはマーリンの浅はかさに気が付き、それを咎めようとした瞬間だった。
「時間がない。ここから出発だ」
とジョルダンは手を差し伸べて、ユーサーの手を握りしめたのである。いやいや、待て、待て、そんなことをしてはいけない。男同士で手を握り合うなんて、そんないかがわしい恋の物語など、まっぴら御免だ。ユーサーは驚いて、手を振りほどこうとしたが間に合わなかった。ぐいと引かれた力に足が繋がらず、体を崩して前のめりになったのである。あっと思ったその瞬間だった。どうも驚く、ユーサーの体は石造りの床を離れ、マーリンに合わせて空中に浮かび上がり、天上すれすれの高さまで軽やかに舞い昇ったのである。さすがのユーサーも度肝を抜かれ、ベットに誘われるウブな生娘のように硬直してしまったのだ。
「僕の手のひらの上で、空を飛べるなんて、君は幸せだ」
驚く瞳をぱちくりさせて、握りしめた手先の向こうには、すでにジョルダンの姿はなく、悪戯好きそうな少年が楽しそうに笑っている。やんちゃそうな眼がキラキラと輝いた。これもまたマーリンの仮の姿なのだろうか。しかし笑顔の向こうを見てみたまえ、速力を増して近付いてくるのは、骨をも砕く堅き城壁ではないか。「危ない!」ついユーサーが叫び声を上げた瞬間、2人はまるで滝をくぐる魚のように城壁を抜け、はるか海原(うなはら)を見下ろす大気に放り出された。空には霧を追い払った月灯りが、大地を影のように照らし、眠る草木の青々しい香りは、新鮮な風と溶け合って、2人を軽やかに押し流す。ユーサーは声も出せずに、はち切れそうな鼓動を落ち着かせ、ようやく震えながら大地を見下ろした。国を治める国王とて、常識を遙かに越えた経験には為(な)す術(すべ)もなく、高ぶる筋肉は全身を震わせ、冷たい汗が沸き上がった。ユーサーはようやく呼吸を整えながら、夜風を感じるゆとりを取り戻し、青白く映し出されたこの国を見下ろしたのである。
海と陸の境界線にせり出して、ティンタージェル城は静かに眠っている。もう狩の小屋ほどの大きさだ。海に注ぐ月は煌々(こうこう)と大地をも照らし、不思議な妖精の世界のように眠りの島を浮かび上がらせる。そのあまりの雄大さに驚き、遙かなる天を見上げれば、眩しくそびえる黄金(こがね)の向こうには、小さな星たちが消されまいとまたたき、また、ゆらめきながら遊ぶのだった。心地よい上空の季節風が、2人の横を海に向かって抜けていく。
ユーサーの心は急にわくわくしてきた。我々の住む世界は、これほど雄大で神秘的なものであったのか。ユーサーは自分たちの必死の争いが、自然界の豊かな営みの中では、塵芥(ちりあくた)に過ぎないことを知り、大自然の代表がマーリンなのかもしれないと思った。
マーリンはただ一言、手を離しては駄目だと言って、子供の姿で夜鳥(よるどり)と戯れている。その黒き姿を追い掛けて、鳴き声を真似て話しをしたり、急に3,4羽の群れに加わって、共に旋回を試みたりした。しかしそのうち暇になったのだろうか、とうとうユーサーを道連れにして、空中で激しく宙返りをしたり、急に雲に潜ってその中を泳いでみたり、突然大地に向かって急降下を始めては、ツバメのごとくに雲の世界に戻ってくる。いわばやりたい放題、遊びたい放題、とうとうユーサーを大地に投げ捨て、地表近くで拾ってくるような荒技まで、始めてしまったのである。
しかし今ではユーサーも叫びながら、楽しそうに笑っていた。すっかり安心してしまったのだ。この無邪気な魔法使いと、今は幸せにただ夜空で戯れていたい。彼は愉快な悲鳴を上げ、鳥のように笑い遊んだのである。こんなに空っぽの愉快は、子供の時以来だ。愛する女を抱いて、鳥のように遊ぶ、無邪気に戯れて、イグレインと口づけを交わし……あるいは短い彼の生涯において、この夜は神の贈り物だったのだろうか、今となっては知るよしもない。
その日、空は雲一つ無く晴れ渡り、大地を蹴って進む両軍の地鳴りは、島を隔てた大陸にさえ響き渡るほどだった。ユーサーは自ら先頭に立ち、敵王を率いるロット王と刃(やいば)を交えること数時間。両軍乱れて弓も繰り出せず、剣(けん)を振るって敵の血潮を浴びれば、剣(つるぎ)も鋼鉄(はがね)の煌めきを忘れて赤く染まる。そのような混戦の中で2人は怯むことなく剣を打ち鳴らし、ついには大地に足を埋めて斬り合った。この激しい争乱に動物たちは姿を隠し、花は震えながらつぼみを閉ざした。あるは踏みつぶされ、あるは切り倒される草花の、悲鳴は地下の妖精たちの世界で悲しくこだましたという。
マーリンはこの争乱を雲に漂いながら眺めていた。彼には分かっていた。ユーサーがこの戦さに勝利して、ペンドラゴンの称号を高らかに掲げることを。やがて彼の息子が生まれ、偉大な王となることを。
長き戦さは疲れも見せず、先頭で斬り合う2人に怯む気配は無かったが、大きく陣を迂回したウルフィアスたちが敵の脇腹を突いた時、敵軍は大きく突き崩されて浮き足だった。敵兵は混乱し、騎士たちの馬は怯え、敵の姿を見失ったような恐怖が沸き起こり、再び立て直すことは出来なかったのである。ついにロットは孤立無援となり、それでもユーサーの体を押し飛ばした隙に、迫りくる新たな敵の騎士を突き刺し、その馬を奪って彼方に逃げ延びようとする。たちまち兵達が弓矢を引き絞る。
「よい、待て」
ユーサーはその背中を打たせず、代わりに敵陣に降伏を勧告したのである。ロットはペンドラゴンに伏して忠誠を誓い、ブリトン人の結束はついに回復された。反旗を翻した王のうち、生き残ったものはロット含めほんの数名であった。
マーリンは何も手を貸さず、一部始終をゆらゆらと眺めていた。人の争いなどに興味は無い。また人間の争いに関わらないこと、それは彼を支配する掟でもあった。彼はただ、裏切り者のらく印を押され、ティンタージェル城で討たれかけ、ロットの陣営でも斬りかかられた、悲劇の騎士のことだけは気に掛けてやった。彼はゴーロイスの怨みを晴らすべく、戦さより戻るユーサーを待ち伏せて、危うく護衛の騎士たちに八つ裂きにされ、壮絶な最後を遂げるところであったのだ。そうである。彼こそあの知略に長けたゴーロイスのお気に入り、若き名将ブラシャスであった。マーリンは彼がユーサー軍に下るために、一つだけ素敵な仕事をしてやった。これはブラシャスの伝記に記されている。
配下に下ったブラシャスの仲介もあり、ティンタージェル城はついに開城した。ユーサーはまだ妻のない自分と、ティンタージェル王妃を結び、国内の平安の象徴とすると宣言し、臣下たちはさすが竜王と賞賛した。もちろん反対がない訳はない。しかしついに2人の結婚式が行われ、この地でイグレインはアーサーを生んだのである。ブリトン人の王として島を統一し、地上に束の間の楽園をさえ築いた伝説の王を。
アーサーはマーリンに預けられ、マーリンは子をエクターという騎士に育てさせた。イグレインは息子を取られたためだろうか、それともゴーロイスを殺し、自らを奪ったユーサーの計略を知ったのだろうか。結婚してからの彼女は、ユーサーを愛する心と、激しく憎む心が絡み合い、彼女の3人の娘に小さな影を投げかけることになった。女性の心というものはとかく分かりがたいものである。しかし単純明快のユーサーは、小さな影など露も知らず、しばらくは幸せに浸り国政を行った。再び国内を揺るがす諸王の反乱が起こる時、その幸せは永遠に奪い去れれることになるはずだ。しかしそれはまた次のお話し、アーサー王の物語の中でお伝えしよう。
(第1部終了)
短期決戦アーサー王物語、ご購読感謝感謝。これよりわたくし古事記の世界に移行したいと思います。この文体での小説的なアーサー王物語の紹介はこれにて終了させて頂きます。これより先は、小説の下書きとしてのアーサー王の紹介版を、しばらくの間は、簡単なあらすじ書きで不定期配信する予定です。ただし文章は「唖然」とするほど素朴な記述になることでしょう。
アーサー王はなかなか面白い人物相関関係があり、何も聖杯がうろちょろしなくても、戦国物語的な叙事詩が描けるなかなか優れた素材なのですが、現在の優先順位は古事記の方が上なので、そのうち粗筋すら途切れないとも限りません。そうなったら申し訳ない。せめてベイリンとベイランの辺りまでは書いてみたいものです。
2007/06/05掲載
2007/07/04改訂
2007/07 改訂