2004/10/23~12/19 東京都美術館(東京上野公園)
・イタリア・ルネサンス芸術と呼ばれるものの、誕生から発展に向かう過程をつまびらかにするような趣旨。
14世紀初頭に経済的発展の頂点に達したフィエンツェは、ヨーロッパをリードして「フィレンツェ様式」はトレンドになった。1252年に発行されたフィオリーノ金貨は最重要な金貨であった。それに釣られて文化的発展が遂げられ、14世紀のイタリア文学が華開いた。
ドメニコ・ニコリーノ(c1417-1491) 「神曲の詩人ダンテ」(1465)
アンドレア・デル・カスターニョ(c1421-1457)
「フランチェスコ・ペトラルカ」(1450頃)
「ジョヴァンニ・ボッカッチョ」(1450頃)
ダンテ「神曲」
ボッカッチョ「梗概(こうがい)」
ダンテ「15のカンツォーネ」(合本)の一部
作者不明「アントニオ・ディ・ジュゼッペ・リナルデスキの物語」
・紙芝居風?漫画風? 居酒屋で賭に負けて、聖母マリア像に馬糞を投げつけ、捕らえられて、裁かれて処刑される物語。このような作品は、むしろ類を見ないものらしい。
13世紀の後半、すでにジョットが聖フランチェスコ伝の壁画連作を行うが、彼の作品は大きな影響を及ぼした。これはイタリア語のすぐれた文学に匹敵するものだった。
ジョット・ディ・ボンドーネ(c1207-1337)「悲しみの聖母」(1311-15頃)
・壁面から剥がされたフレスコ画の一部。
サンドロ・ボッティチェッリ(1445-1510)「婦人の肖像」(1485頃)
「『アンギアーリの戦い』(レオナルド・ダ・ヴィンチ)の模写」(1563年以前)
・ミケランジェロとの夢の競演だったが、新技法を試して絵の具が溶けてしまったという伝説の作品の模写。
ジョットの絵画の核心は彫刻にも影響を、そして古代美術の手本をもとに。
ベンヴェヌート・チェッリーニ(1500-1571)
「ペルセウスのひな型」(1545-54頃)(試作品の二つ目)
金細工は重要な分野で、ブルネッレスキ、ギベルティ、ボッティチェッッリなども経歴の初期にこれと関わっている。
ブロンズィーノ(1503-1572)とその工房
「甲冑姿のコジモ1世の肖像」(1550年頃)
・コジモ・デ・メディチは18歳で1537年にフィレンツェの支配者となった。
14世紀初期には新しい市壁の建造が行われ、13世紀末から着工がはじまったサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、サンタ・クローチェ聖堂、パラッツォ・デッラ・シニョーリア(現在のパラッツォ・ヴェッキオ)、さらにジョットの鐘塔が建造されつつあった。こうしてルネサンス期のフィレンツェの都市景観が形成されていった。
「リッカルディ家のウェルギリウス写本」(1450年代)
・プブリウス・ウェルギリウス・マローの「牧歌」「農耕詩」「アエネーイス」の合本(がっぽん)写本で、修飾挿絵はアポッローニオ・ディ・ジョヴァンニのもの。
フィレンツェの富は毛織物に始まり、やがて絹織物に取って代わられてからも、重要な産業であった。
スケッジャ(ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ)(1406-1486)
「アディマーリ家のカッソーネ」(1440-50頃)
・板に書かれたテンペラ画。婚礼を祝う修飾羽目板として、室内を飾り立てたもの。画家はマザッチョの弟にあたる。
アヴィケンナ(イヴン・シーナー)「医学典範」(1465年以前)
・イスラーム世界の学者であるイブン・スィーナー(980-1037)が古代ギリシアの医学などからの影響をもとに執筆。医学の体系化を目差した書。新しい医療の発達の中、批判などもありつつ、先見の書としてこのように写本にされたりしていた。
ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)
「聖コスマスとしてのコジモ・イル・ヴェッキオの肖像」(1557-58年)
「聖ダミアヌスとしてのコジモ・デ・メディチ1世の肖像」(1557-58年)
・メディチ家の守護聖人として、兄弟の医師の聖人が選ばれていたのを、それに見立てて描いたもの。
2018/10/27