テート・ギャラリー展

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テート・ギャラリー展

サブタイトル――「英国絵画の殿堂」
開催期間――1998/1/23~3/29
開催場所――国立西洋美術館(上野)

趣旨

 大英博物館、ナショナル・ギャラリー、国立肖像画美術館、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館とならぶ英国の大規模な国立美術館のひとつで、19世紀末英国美術のための国立美術館の整備意識により生まれたそう。今回はそこから100点を厳選して、16世紀から今日までの英国絵画の歴史の流れをお届けしようという、壮大な企画展。

・ミレーの「オフィーリア」の前には多くの人が詰めかけて、美術館を出ると上野公園は桜で満開だった美術展。 (たしか二回出かけて、二回目が開催期間ギリギリで桜のシーズンと重なったもの。)

 ところで、スキャンはきわめて適当なものなので、周辺が切れている場合もあるので、ぼんやりとこんな絵かと確認する以上の役には立ちません。これは、展覧会のスキャンすべてに言えることです。あしからず。

連続的紹介

 章や段を区切る展覧会ではなかったのか、カタログには記されていないが、実際はカテゴリー分けがなされていたのか、そんなことは今となってはまったく思い出せない。ただ、誰かに付いていった展覧会や、観光を兼ねたもの以外で、はじめて絵画の展覧会というものに自ら足を伸ばしてみたのが、この展覧会だったことだけはよく覚えている。たしか500円くらいで音声解説の機械を借りて、聞きながら見て回ったのも覚えている。その音声のせいで、コンスタブルの名前を覚えたのも覚えているが、肝心の絵画はものによっては見たことや、フロアーの大雑把な位置は思い出せるものの、絵画自体はちっとも心に浮かんでこない。つまり私は、絵画的能力にはきわめて乏しいというのが、時を経た結論といえば結論であった。

サー・アンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641)
「スペンサー家の貴婦人」(1633-38頃)

・チャールズ1世の首席常任画家になるためにロンドンに渡ってきたダイクは、多作の名声を欲しいままにしたが、テート・コレクションではこれが唯一の作品だそう。展覧会は開始が肖像画からなされていた。

サー・ピーター・リリー(1618-1680)
「キルデア伯爵夫人エリザベス」(1679頃)

・当時知られた絶世の美女だったようで、オレンジの花は純潔の象徴。一方でオレンジの木は多産、結婚への準備の意図があるそうです。はい。

ウィリアム・ホガース(1697-1764)
「ホガースの使用人の六つの頭部」(1750-55頃)

・よく紹介される風俗画風の団らん画(自由な肖像画)も展示されていたが、こちらは使用人などの肖像画を数多く残したホガースの使用人の絵。年齢、男女などを取り合わせたのは、わざとかと思われる。

サー・ジョシュア・レノルズ(1723-1792)
「モンクトン嬢閣下」(1777-78)

・ロイヤル・アカデミーの初代会長で当時もっとも有名な肖像画家。学校では歴史画の優位を解きながら、肖像画を仕立てまくる心意気は、しばしば肖像画に歴史的な意匠を持ち込んだりもした。それはともかく、絵画の印象では無くて、おそらくは音声解説のせいで、彼の名前はコンスタブルと一緒に、記憶から抜けなくなってしまったので、ここに掲載をしておくことに。

トマス・ゲインズバラ(1727-88)
「ジョヴァンナ・バチェッリ」(1782展示)

・ヴェネツィア出身の花形ダンサーを描いたもの。

トマス・ゲインズバラ(1727-88)
「ポメラニアンの雌犬と子犬」(1777頃)

・ヴィオラ・ダ・ガンバの名手で作曲家のカール・フリードリヒ・アーベルは、ヨハン・クリスチャン・バッハと同様、イギリスで成功を収めたドイツの作曲家だが、ゲインズバラも楽器が弾けたので、一緒に演奏したり、絵を送ったりの関係であり、アベルの肖像画にもこの犬が描かれているそう。犬っころの名画。

ヘンリー・フューズリ(1741-1825)
短剣を奪い取るマクベス夫人(1812展示?)

・「夢魔」の絵画で有名なヒューズリは、ロマン主義時代にシェイクスピアを再発見した画家のひとりだそうです。

ウィリアム・ブレイク(1757-1827)


・数多くの銅版画で知られるブレイクは、英訳聖書、ミルトンの詩、シェイクスピアなどから影響を受け、晩年にはダンテの『神曲』に傾倒したという。詩人としても知られるが、数多く展示されていたもののうち、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の一場面と、神曲の一場面のものを掲載しておく。掲載しておくが、必ずしも、遠き日の記憶がよみがえってくるわけではないのだった。

ジョン・コンスタブル(1776-1837)
「フラットフォードの製粉所」(1816-17)

・彼の展覧会用作品としては最大のもので、大部分戸外で制作してみたとか。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)
「古代ローマ、ゲルマにクスの遺灰を持って上陸するアグリッピナ」(1839展示)

・賛否両論を沸き起こした1839年のロイヤル・アカデミー展覧会出品作の2点のうちのひとつ。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)
「ノラム城、日の出」(1845頃)

・さすが赤シャツと野田が景観をターナーじゃないかと称えあうほどの画家ではあると感心したのを覚えている。無鉄砲な人にはそれが分らんのですよ?

フランシス・ダンビー(1793-1861)
「昇る太陽に対する森の妖精たちの賛美歌」(1845)

・不思議と心に留められた絵画。絵の具への関心が不十分で、本来の色調を失ったものが多いそう。はたして私は、色褪せた今の色調に惹かれたのか、それとも本来の姿ならもっと素晴らしいのか。

ラファエロ前派

・ラファエロ前派と呼ばれるグループについて分りやすく紹介されているので、カタログのままに掲載してみる。全カタログの一ページくらいのスキャンは引用にはあたらないのかしら。

サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(1829-1896)
「オフェーリア」(1851-52)

・おそらく展覧会最大の目玉で、あるいはこの展覧会に行こうと思ったのは、これを見たかったためなのかとも思われる。それにしても、シェイクスピアやらアーサー王やら、ブレイクの神曲やら、物語への関心が高い19世紀イギリス絵画なのかな。とか当時は漠然と考えていたような気がする。もっともあれから絵画の知識は、ちっとも増えてないけど。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)
「プロセルピナ」(1874)

・冥界を収めるプルートーと結婚して、冥界の女王となったプロセルピナ。ゼウスにより定期的に地上に戻っていたが、約束を破って冥界の果物(石榴)を食べてしまったので、二度と地上に戻れなくなってしまった。石榴が囚われの状態と、結婚を象徴するといった、多くのシンボルが描かれているそう。ウィリアム・モリスの妻ジェインがモデルで、彼女は不幸な女性の代名詞ではなかったかみたいなことが、解説に書かれていた。今眺めると、このテート展の解説は捨ててしまうには惜しい、要領の良い解説、また一般人に比較的訴えかける解説が多かった様子。とはいえ、今はカタログとさようならをするよう。それは冥界には持って行けないものだから。

サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(1833-1898)
「復活の朝」(1886)

・復活してみた。

ジェイムズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)
「シシリー・アレキサンダー嬢:灰と緑のハーモニー」(1872-74)

・日本風だなと感じたが、解説を見たら実際に日本美術の影響があるためだったという。モデルの8歳の少女はさんざんポーズを取らされて、しばしば泣いていたという。現代であれば虐待としてSNSの生け贄にされたであろうよ、そんなホイッスラー。

アルバート・ムーア(1841-1893)
「庭」(1869)

・ホイッスラーの友人であり、唯美主義の重要な画家。解説には「芸術のための芸術という理想とヴィクトリア朝の古典主義とを結合することに誰よりも成功した画家」と説明されていた。猫と一緒に生活していた変わり者の画家とか?

サー・ローレンス・アルマ=タデマ(1836-1912)
「お気に入りの習慣」(1909)

・「若い娘さんの裸の入浴すごっくいい」と叫んで、警備員に二度と来るなとつまみ出された訳ではないけれど、掲載されていた場所までぼんやり覚えているのは、結局は「若い娘さんの裸の入浴すごっくいい」ような潜在意識が、そうさせているのには過ぎない。などと心理学者が述べ立てても、ハリセンでひっぱたいて済ませてしまいそうではありますが、アルマ=タデマは新婚旅行でイタリアのポンペイ、ヘルクラネウムを見学して以来、古代ローマなどの復元的風俗画にのめり込んだのだそうです。つまり「若い娘さんの裸の入浴すごっくいい」と叫ぶだけが目的ではなかったということです。それが警備員さんに対する、私の言い訳には違いありませんでした。それでは、失礼。

ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)
「カーエンーション、ユリ、ユリ、バラ」(1885-86)

・こちらは日本の影響というか、提灯が描かれているというもので、頑張って野外で夕方のタイミングを見計らいながら、一日数分勝負を累積して描いたという。題名は流行歌からだそうだが、何も「ゆりゆりばら」にしなくても、「リリー、リリー、ローズ」という英語のままで良かろうものを、とあきれかえった思い出がある……ような無いような。

グレアム・サザランド(1803-1980)
「黒い風景」(1939-40)

・時代の暗さか個人的な暗さか、それともカブトムシか。

フランシス・ベーコン(1909-1992)
「坐った人物」(1961)

・そんな訳で最後の部分は、20世紀の画家へと足を進めて締めくくっていたが、どうも20世紀らしさを醸し出す作品ほど、わたしの記憶にまったく残されていないのは、ようするに好奇心が湧かないだけなのだろうか。情緒的にだったらどうしたの、と思ってしまうことが多いのかも知れないが、この絵も実はあまり見た印象がないくらいだった。ただ見た時は感心したという、ぼんやりした心情はだんだん浮かんできた。
・なるほど、このカタログをもう数日眺めていたら、いろいろ浮かんでくるような気はするが、浮かんできたものもまた、やがて消えゆくような夕暮なら、年末のゴミの日に合せて、美術のカタログを処分するのも、狭い部屋のためには、悪くはなかろう。とはいえ、まだ数冊残されてはいるけれど。

2018/12/20

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