・1,2世紀ローマにはムソニウス・ルフス、弟子のエピクテトス、ヒエロクレス、セネカ、マルクス・アウレリウスなど多くのストア主義者を生んだ。ローマではストア派教師達が活躍していた。
・スペインのローマ人の多くいたコルドゥバで、やはり著作を残しているような父に連れられローマに出て、ストア派のアッタルスなどに修辞学と哲学を学ぶ。就職後抑鬱(よくうつ、心がふさいで不快なこと。)症と衰弱でエジプトで数年間療養になってしまった。
・30才でローマに帰って元老院にはいるが、37年にガイウス帝(カリグラ)が即位すると処刑され掛けた。
・クラウディウス帝即位41年には、カリグラの妹ユリア・リヴェラとの姦通罪で、コルシカ島に追放。ただしクラウディウス帝妻メッサリーナと共謀者の陰謀だったらしい。
・48年メッサリーナが処刑され、アグリッピーナが次の妻になると49年に呼び戻され、12歳のセネカの教育係になった。
・54年アグリッピーナの毒殺によりクラウディウス帝死後、帝位に付いたネロの元、「かぼちゃになった王様」を書いて嘗ての恨みをはらすべくクラウディウス帝を死後かぼちゃになったと罵ってみた。
・友人の親衛隊長ブルルスと共に、ネロの後継としてローマ帝国に善政を?ネロを芸術に走らせ、自分たちが政権を?
・アグリッピーナがゲルマニクスを帝位につけようとしたので、まずゲルマニクスが、次ぎにアグリッピーナが殺害された。
・62年ブルルスが死に、元老院議員達に対してはぐれものになってしまい、財産献上と隠居を願いで、拒否されながら隠居的生活が認められた。
・65年ガイウス・ピソのネロ帝への陰謀に関わったとして、ネロに自害を命じられ、タキトゥスが「年代記」に記す最後の自害の様子が。
・哲学者ではなく実際の政治家であり弁論家であったため、実際的な立場の著述が。
・数々の哲学的著述の他に、自然現象を表わした「自然研究」や、10編ほどの悲劇作品が。
・茂手木元蔵訳で「人生の短さについて」「心の平静について」「幸福な人生について」を収録。
2005/01/12