火事場のどんちゃん騒ぎも漸く落ち着き、皆が食後の小休止を取ると、再びオリバナムの講義が再開された。遠く燃えるローマのプロミネンスに照らされて、オリバナムの顔が赤く浮かび上がる。
「ネロ帝滅亡後のローマの歴史を説明してやろう。奴が踏ん切りの悪い中途半端な自殺で幕を閉じた後、クーデター勢力同士がそれぞれ皇帝を乱立させ、4帝が乱立する内乱が69年に沸き起こった。しかし、それを見事納めたフラウィウス朝が3代に渡って続き、帝国の反映を取り戻すことになる。ウェスパシアヌス帝(在位69-79)、その息子ティトゥス帝(在位79-81)、さらにその弟であるドミティアヌス帝(在位81-96)のフラウィウス3羽ガラスがそれだ。彼らは唐笠掲げた紅三兄弟のように、同時に突撃してジェットストリーム三位一体攻撃を仕掛けることはなかったが、それぞれが有能な軍事指導者であり、縦の時間差攻撃によってローマに活力を取り戻したのだ。国境の防衛ラインも固められ、ドナウ、ライン川の防壁が築かれ、後の長城リメスの着工も開始された。ネロ帝が傾けた財政も立て直され、その間に、元老院議員をイタリア諸都市出身者だけでなく、ガリア、スペインなど属州からも登用。2世紀初めには600人中の30人しか古い家柄の貴族が居なくなるなど、政治機構も刷新されたのだ。しかしやがて、ドミティアヌスがネロ帝を真似て専制暴君ぶりを発揮し、ついには自らを神と呼ばせ意に沿わない者達を次々に処刑していった。恐怖した妻のドミティアは、この暴神に怯え震え、元を絶とうとドミティアヌスを暗殺してしまう。
しかし、もはやその程度のことでローマは傾かない。この後ローマの皇帝強力5人組みが登場し、ロシアのように力を合わせ5人合体する替わりに、縦に5人順番に整列することによって、再びローマを栄光へと導くのだ。こうしてドミティアヌスの暗殺の後、元老院がネルヴァを帝位につけると、以後強力5人組みの皇帝達はそれぞれ前の皇帝によって養子とされ、皇帝死後に元老院によって帝位に押されるという遣り方で、絶えず有能な人材を皇帝に迎えつつ、5賢帝の時代(96-180)を迎える事になった。正しくは皇帝強力5人組みの時代というのだが、この時代は、元老院と皇帝との協調が保たれ、トラヤヌス帝時代にローマが最大版図になるなど、ローマの繁栄の絶頂期だと言えるだろう。せっかくだから、5人の名前を全部教えてやるから、一度聞いてすっかり頭にたたき込んでしまうがいい。
→ネルヴァ(在位96-98)
→トラヤーヌス(在位98-117)
→ハードリアーヌス(在位117-138)
→アントーニーヌス・ピウス(在位138-161)
→マルクス・アウレーリウス(在位161-180)
お前達、何を首をかしげているのだ。まるで覚えられなかったというのか。しかたがない、良い覚え方を教えてやろう。この5人の名前は、「ローマの強力5人組み、苦労が岩を(96が180)砕くよう。寝る虎や、服部、安藤にマルクスが、ぴうっす、あうっす、泣き叫ぶ。」と覚えるのだ。」
オリバナムがまじめな顔でそんなことを言うので、つい皆吹き出してしまった。余りにも意味が不明瞭で、ゴロだけが勢いづいているので、私もつい繰り返して呟いてしまったが、唱えるほどに何のことだかさっぱり分らない。朗読担当の黄金アーンドラが立ち上がって、漸く笑いの収まった皆に向かって、「ローマの強力5人組み、苦労が岩を(96が180)砕くよう。寝る虎や、服部、安藤にマルクスが、ぴうっす、あうっす、泣き叫ぶ。!」と朗々として唱えたために、特に私とピアスは壺を突かれて笑い止らず地面を転げ回ってしまった。まったく、何をするのだ。腹筋が痛くなってきた。オリバナムはしてやったりの表情で先生に講義を引き渡す。
「さて、5賢帝の直前のドミティアヌスの時代、彼が自らを神と呼ばせる政策をとったのにことごとく反発したキリスト教徒に対して、激しい弾圧が加えられました。特に小アジアで盛んだった大弾圧の影響か、この頃書かれたとされる「ヨハネ黙示録」においてローマは「開けっぴろげ夫人」の名前で、徹底的に呪われた都市だと叫ばれています。ただし年がら年中、キリスト教が弾圧されていたのではありません。むしろ皇帝によりローマ帝国全体に渡る大迫害はそれほど多くはありませんでした。むしろ、地域ごとに任されていた地方総督や地方政権の判断での弾圧の方が非常に多かったのです。ですから迫害と関わりなく過ごしたキリスト教徒も大勢居たわけです。それにしてもやはり弾圧の一言は常にキリスト教徒の頭の中にあったわけですが、それにもかかわらずいっこうに減る様子のないキリスト教の取り締まりに置いて、小アジアのビーチューニア州総督だった小プリーニウス(62?-113?)[または甥プリーニウス]という人が、トラヤヌス帝に対して書簡を送っています。そこにはキリスト教徒がどのような者達で、自分がそれに対してどのような措置を行ったかが書かれているのですが、非常に興味深い記述が見られますので、黄金アンドーラに朗読して貰うことにしましょう。」
出番を待ってうずうずしていた黄金が勢いよく立ち上がった。
「初めにキリスト教徒について申し上げます。彼らは、決まった日の夜明け前に集まると、私達が神々に対して行うように、キリストに対して様々な賛歌を歌い上げ、悪事の誓いではなく、良いことの誓いと、信義の確認を行った後で、一度集会を解散します。その後で、再び食事のために集まるのですが、よく噂されるように、子供の肉を食卓に出すようなことはなく、肉親同士が交わるようなこともありません。そんな彼らですが、やはり何の罪を犯していなくても、信仰のために処刑の対象となるのでしょうか。また、キリスト教のような異端信仰を捨てた者がいれば、決してとがめ立てをしないと告げたところ、数多くの棄教者が現われ、私達の神殿にも再び火が灯り、犠牲獣のお肉がいつもより沢山売れたのですが、棄教者は許しても構わないでしょうか。」
むむ、先生は何もつっこまなかったが、お肉が沢山売れたの朗誦には黄金のアドリブが混ざっているに違いない。
「これに対して、トラヤヌス帝が、キリスト教徒は名前によって処罰されるべきだとした上で、現地民などの匿名の告発は取り上げないこと、国家役人が教徒を探し出すこともしないこと、そして棄教者は許す事を返書で送っています。どうです、年がら年中キリスト教狩りを楽しんで、見せ物としてライオンに投げ付けていたわけではないでしょう。さて、この手紙は先ほど見たキプリアヌスの著述よりも前に書かれたものですが、先ほどとは違い、早朝の儀式の中で聖歌が唱えられている記述があります。このことから小アジアなど東方では早くから早朝儀式に歌が取り込まれ、それがやがてローマで行われるようになったと言えるならば、気楽で良いのですが・・・・若輩者の先生には到底何とも言えません。見なかったことにして素通りさせて下さい。ただし、良い参考例として、210年頃北アフリカのキリスト教徒の集まりを表わしたテルトゥリアーヌスの『霊魂論』の一文をアーンドラに遣って貰いましょう。」
「私達の中に、一人の女性信者が居ます。彼女は天啓を受ける才能を与えられて、それによって、主の日に行われる礼拝の間に、精霊によって恍惚に至り、聖書が読まれ、賛歌が歌われ、説教が語られ、祈りが捧げられる間、そうしたすべての時間が、彼女にとって幻視を受ける時間となるのです。」
「なるほど、確かにここではキプリアヌスが著述した聖書の講読、説教、祈りに加えて賛歌という言葉がはっきりと書き込まれています。しかし、本当にローマのキプリアヌスは歌を聴かなかったのでしょうか。そして、キプリアヌスが祈りを捧げると言ったのは、言葉だけの祈りだったのでしょうか。儀式が制度化されていく途上を見極めるのは大変なことです。そう言うわけですから、今は見なかったことにして先に行ってもおとがめ無しですね。ついでに言ってきますと、この手紙を書いた小プリーニウスですが、当然小があれば大も居ます。彼の叔父である大プリーニウスは、著作として初めての百科全書と言える「博物誌」37巻を残した偉大な学者で、79年に起こるイタリアで一番有名な火山、ヴェズーヴィオ火山の大噴火に好奇心満々出掛けていって帰らぬ人となりました。この79年の火山では、今日の昼間に社会科見物に出掛けたポンペイの町が、すっぽりと灰に埋もれて、消滅してしまったわけです。先ほど教えたように、この事から「消えてなく(79年)なるポンペイの町」という歴史記憶術が生まれたのですが、小プリーニウスは、火山付近の街に突進してしまった叔父のことを、「歴史」を著述する資料が欲しいとから頼むタキトゥスに対して手紙に書いて送っています。その著述によりますと、大プリーニウスという男は、晩餐の最中でも本を読ませ、メモを取り、誰かが朗読者の発音を直させようと朗読を止めた時には、「意味が分ればそれでいい、君が止めた時間のロスを直ぐに返せ。」と叫んでしまうほど勉強の虫でした。君達も、1/1000ぐらいはプリーニウスを見習ってみたらどうです。・・・ただし知的関心が高すぎると、のこのこ噴火の現場に出掛けていって1酸化炭素中毒で窒息死する結末を迎えるわけですが。私達も、好奇心が過ぎて火事の近くで講義などしていると、罰が当たるかも知れませんね。この辺で今日の講義は打ち切って、明日は5賢帝時代の建築物でも見学しながら、その後のローマとキリスト教の公認へと話しを移すことにしましょうか。」
そう言うと、先生は謎の何でも鞄から寝袋を取り出して勝手に丸くなってしまった。呆れた私達に向かってオリバナムが、「ほら、俺とアーンドラが交替で見張りをしていてやるから、お前達も早く寝ろ。」と平然として睡眠を進める。
そんな滅茶苦茶な。だいたい何もないこの岩場で、どうやって眠るっていうのだ。「早くお休みなさい。」と後ろから呼ぶ先生に、そんなところで眠れるものかと振り返れば、先生の周りに人数分の寝袋が何時の間にやらゴロゴロ転がっている。もう知らん、こうなったら眠ってやる。そんな思いで各自、袋の中にくるまると、何も知らんと思考を停止して眠りにつくことにした。どうせ、目が覚めた時には5賢帝時代のローマに時代が移り変わっているという魂胆なのだ。
「さあ見えてきました。」
先生がラブドスを前に突きだした方に視線を移すと、今まで建物に隠れてふさがれていた視界が開かれて、巨大な建築物が建っている。
「コロッセウムだ」
さすがに私達も写真で何度も見たことがあるので、一目見て名前が浮かんできた。近づくと想像を遙かに超えた、巨人専用の神殿でも作られているかのような壮大さで私達を圧倒する。それぞれの高さの廻廊を人々が粒のようになって歩いているのが見え、到底私達の時代の遺跡の印象とは一致しない。
「さあ、コロッセウムclolsseumに到着しました。この建物は呪われたネロ帝の祟りを納めるべく、80年にウェスパシアヌス帝が故人ネロ閣下の巨像コロッソスを地中深く沈め、二度と蘇れないようにその上に建造した、5万人もの人々を収容する闘技場でした。続くティトゥス帝の時に完成されたコロッセウムは、日々大量の動物や剣闘士達が戦いを繰り広げ、さらに凝ったスペクタクルとして、舞台中を水槽として、数多くの船を敵味方に分け配備し、模擬戦争を行わせるなど、信じられないようなイベント満載で、ローマ市民の好奇心を絶えず引きつけていたのです。こうして外から見上げるだけでも、2階から上にはアーチ状に開いた廻廊の部分すべてに銅像が建っていて、建物自体が芸術作品であることが一目で分ります。実際、柱の形からして、1階部分にはドーリス式、2階がイオニア式、3階がコリント式で、アーチの開きのない4階から上の部分にはコロッセウム独自のタイプが使用されているなど興味は尽きませんね。このような巨大な建造物はコロッセウムの他にも、立て直されたパンテオンや、数多くの水道橋、これから建てられるカラカラの浴場など様々なものがありますが、これらは当時発明されたローマン・コンクリートの技術によって初めて可能になったものです。それまでの石灰と砂だけのモルタルから、石灰に火山灰を混合することによって飛躍的に強度を増したコンクリートの登場によって、次々に新しい建物が造られていきました。このコロッセウムには広大な地下部分もあり、舞台の地下では数多くの奴隷が仕掛けを動かし、獣たちの檻があり、ファイター達が試合を待ちかまえる、奈落の世界も広がっていました。一方で、観客席に目を移しますと、そこにはローマ社会の縮図がそっくり納められているのを見ることが出来ます。舞台に近い特等席は皇帝や元老院議員達で占められ、その上の階に騎士の身分の席が並び、3階部分がローマ市民権を持つもので、4階から上が女性と、市民権を持たない者達の席になっていたのです。ローマ市民権を持つものというのは、前に見たとおりそのかなりの部分が、自ら生計を立てていないパンとサーカスを享受して、このような出し物や風呂やおしゃべりで日々の生活を終える、無産市民達なのですから、確かにローマ帝国は、歪みきった社会としての側面を持っていたのかも知れません。そうした人達の下で、地下で作業を行う奴隷達が必死に働き、奴隷としてのファイターは互いを殺し合うという、この余りにも大きな矛盾状態。しかし逆に考えると、矛盾の少ない社会の人々にとっては、非常に魅力的な側面も持っている訳です。あなた方がどう思うかは知れませんが、道徳的に野蛮だと平気で考えているあなた方の大部分が、もし、ダイレクトにこの場所に送り込まれたとしても2,3日のうちに必ず拍手喝采ヤジ罵倒の筆頭に躍り出ることは間違いありませんよ。さて、ここで催される数多くの興行には、すべて音楽が重要な役割を持って大量に使用されていたことは言うまでもありませんが、これらの音楽は未来に受け継がれることがありませんでした。せっかくですから、熊と闘う競技でも見ていきましょうか。その音楽と、見せ物を、身をもって体験してこそ、ここに来た甲斐があるというものです。その後で、トラヤヌス広場から隣接する巨大ショッピングセンターを抜けて、最後にパンテオンまで出掛けてみましょう。」
こうして、私達はコロッセウムの中に乗り込んで、究極の格闘技見物と当時の音楽を楽しんだわけだが、いったいスポーツや芸能人に群がって愚かな叫び声を上げ続ける群衆のいったい誰が、このような場所に送られて倫理的に悪いことだと判断して立ち去ることが出来るというのだろうか。私はふと、音楽とは関係のない人間の倫理についてなど考えて、頭が暴走してくらくらしてきた。今日の観光レポートは暇があったらいつかお贈りすることにして、取りあえず先に行かせて貰おう。
<暇が出来たらコロッセウムの紹介など、・・何時の日か。>
先生は、この一連の観光の最後に、5賢帝時代のまとめを付け加えて、外食に連れて行ってくれたのだが、その食事の様子もいつか合わせて書くことにして、先生の最後のまとめだけはここに記述しておくことにする。
「この5賢帝時代には、帝国内に平和がもたらされ、皆さんも知っているとおりパックス・ロマーナ、ローマの平和という言葉まで生まれるほどでした。商業が拡大して、都市化が一層推し進められ、それに合わせるように出身の分っている騎士の半分ほどが属州都市出身となり、元老院の中にまで入り込む者も増えていくのです。皇帝達は、経済活動に対してレッセ・フェール(自由放任)政策をとったため、商業活動も著しく発展しました。ネロ帝の失政で傾いた財政もすっかり立ち直り、アウレウス金貨は通貨価値単位の変動が無く安定していたので、貿易の根幹となって使用されていきます。対外貿易はゲルマン、紅海、インド、中国にまで伸び、帝国は絶頂期を迎えるのです。」
食事も終わり、楽しい一日の終わりに気をよくした途端に、不意を打って最後の講義が開始されてしまった。「あの先生が観光だけで終わりにするものか」と言った、ピアスの冗談は最後の最後で現実になってしまったのだ。オリバナムは喜び立ち上がってローマ帝国のその後について話し始めた。
「さて、皇帝5人組みも最期のマルクス・アウレリウスの即位した頃から雲行きが怪しくなった。我が無敵の騎馬戦術、逃げる振りして振り向きざまに矢を射るパルティア軍が一斉に侵攻し、防戦に出向いたローマ軍隊に対して、後退しながら天然痘を撒き散らせば、これを持ち帰った軍隊によってイタリアでは人口の1/3以上が失われてしまったのだ。やることなすことすべてが腹黒い偉大なパルティア王国、すばらしい我が祖国。そんなパルティアに恐れをなし人口も激減するローマを見て取ったゲルマン人が、これ幸いと立て続けに進入を繰り返して、ローマを更に深刻な事態に追いやった。こうしてとうとう侵入者の一部に帝国内の土地を与え、換わりに帝国の防御をして貰う措置がとられることになったのだ。強力5人帝の最後を飾るマルクス・アウレリウスは、先行き不透明なローマ帝国に不安を感じてか、ストア派哲学者として花開いてしまった。「自省録」を記したのは、半ば無意識のうちに帝国の行く末を案じていたのかもしれない。この頃になると、ローマ経済の重要なキーポイントである奴隷貿易や、大土地農業を含めて、経済システムのほころびがそこはかとなく現われて、やがて人々の間にもぼんやりとした不安として、木に登って子供と戯れている最中でさえも、不吉な未来の到来を感じ取っていたのかもしれない。ついにそうした不安は、国境危機や疫病などではっきりとした形で現れ始める。ローマ帝国自体が、芥川龍之介状態に陥ってしまったのだ。」
何故そこで芥川竜之介が出てくるのか到底理解に苦しんでいる生徒達を見て取った先生が、ラブドスでオリバナムの頭をコツリと叩いた。「そんな例えでは誰も理解できませんよ。まったく。」先生はそのまま講義を奪い取って話を進める。
「さて、このような中で、虐げられた人々がさまざまな宗教密議などに走り、様々な宗教に逃避を決め込みましたが、それに合わせるように、キリスト教もますます勢力を拡大して行きました。このような宗教熱の高まりは、国家宗教に反抗して礼拝を拒絶するキリスト教徒に対して、ライオン投げ込み運動が繰り返されるにも関わらず一層増加を続け、それに合わせて数多くの殉教者達が処刑場に送られて行きました。ですがこの頃になると、キリスト教の立場を思想によって確認し、弁明する数多くのキリスト教神学者達が登場して、反対派との論争も行われるようになっていきます。なかでも初期教会で重要な学者であった、オリゲネスという神学者の「キリスト教擁護論」の中には、真の神を礼拝する事が帝国を繁栄させるのならば、その真の神とは太陽のように広く人々を照らし続けるキリスト教であるという考えが投げ込まれ、ローマで宗教を公認されるために教義をこねくり回しているうちに、ローマを護る護国宗教という理念までも生まれてきたことが分かります。他にも、例えば197年頃のテルトゥリアーヌスの「護教論」という著述を読んでいると、キリスト教の学問による教義の正当化が、異教徒に対する神学論争においても優位に立っているように思えて来るわけで、こうした神学者達のお陰もあり、次第にローマを繁栄させるためのキリスト教という考えが広まっていくのです。この時期知識人達の間ではすでに、偶像崇拝などではなく、精神的な神の存在を理論的な体系化に当てはめるような考え方が次第に広がっていました。新プラトン主義という考え方も流行を見せ、神々について語る神学にも、国家神の頂点としての最高神、一番の根元は一つに還元されるという一神教的な考えが広まっていたのです。」
珍しくすんなり講義に加わることが出来たサータヴァーハナが大喜びで先生の後を続けて話しを継いだ。
「高次知識者から何も知らない奴隷までを纏めまして、あらゆる同時代の人間をくるめた知識レヴェルが高い方から情報が流れていくうちに、ある一定の水準を超える時に時代の共通意識がほんの少し変化するというお話があります。例えば神に対する考え方や、他民族に対する考え方の指向性が、ずっと後の世の中から見て以前と異なって感じられるような、区切ることの難しい変化なのですが、歴史を見ていますと、そのようなことに時々出くわすのであります。この当時の神のとらえ方について考えてみますと、もちろん多くの非知識人達にとってはやはり雷やら擬人化された寓意的存在やら、あらゆる神が様々な形を取って信仰され続けていましたが、ある程度の知識を得た人々の神々に対する考え方は、以前よりずっと合理的になっていました。最終的に何らかの方法で認知できるかどうかはともかくとして、神はどのようなものであるかを体系的に説明しようとする意識が、以前よりずっと一般的な傾向として現われてきます。そしてたった一つのものからすべてが流出するといったネオプラトニズム的な考え方や、最終的には一つに還元される神がすべてを生み出したというような考えは、長いローマ以前の数多くの思想が統合され、時代の共通意識を生み出したようにも見えるわけであります。この傾向はギリシア時代に始まったストア学派の最後列を飾る皇帝マルクス・アウレリウス(121-180)の「自省禄」の中にもストア哲学の思想として見ることが出来ます。自省録なんて変な名前を使って難しく意味ありげに書くと、日本語ではかえって何が言いたいのかさっぱり分らなくなりますね。もともとの題名は「自分自身に」、これも自分で付けたのかどうか分りませんが、自分自身のために書き留められた数多くの著述ということです。では、いつも通りに、この中から紹介を兼ねまして、一文だけ朗読をして差し上げましょう。」
黄金は珍しく前置きを自分で語ると、朗読に入っていく。
「ああ、すべてのものはすみやかに消えていく。物体は宇宙の中に還元され、記憶は時間の中に消えていく。私達のすべての感覚、特に快楽に溺れる魅力、苦痛による恐怖、虚栄心に満ちた喝采、こうしたものはなんて取るに足らない死んだ事柄なのだろう。これは皆私達の知能でも理解できることだ。でも、私達に意見や名声を与えてくれる究極のものは何であるのか。そして、死ぬと言うことはどういうことであるのか。私達はそのことについてこそ考えなければならないのだ。もし私達が死を冷静に観察して、理性の力を借りて空想的な付属物を取り払えば、それは自然の摂理以外の何物でもないはずだ。自然のいとなみを恐れることは、必然性の持つ流れを恐れることは、それは子供のすること。しかも死は新しい誕生に備えるための、自然にとって有益なことでさえあるのだ。
どうやって私達は神に接触するのだろう。私達のどの部分によって、またその部分はどのようにして神に接触するのだろう。すべての始まりにして流れの源である唯一の神!マルクス・アウレリウス!!!」
なんだか嘘くさい落ちが付いているが、せっかくの見せ場なので先生とオリバナムも可哀想だからそのまま黄金の台詞を待ってやることにした。
「この私を見詰める書物を読んでいますと、このような人が皇帝であったことは真に一つの脅威と言いますか、プラトーンが望んでいた哲人皇帝が生まれてしまったような錯覚にさえ捕らわれるのでありますが、神を実際に認知できるものと置くにしろ、認知できないものだとするにしろ、倫理的にして中心的な何らかの神の存在を考えるなら、キリスト教こそが相応しいと結びつくまでに、それほど大きな思想上の差は見られないのであります。むしろストア哲学も、ネオプラトニズムも、そしてグノーシスの神秘学もキリスト教をこそ待ち望んでいたのかも知れません。そして一方で思想を嫌い、神にすがりつきたい素朴な欲求にもキリスト教こそ答えることが出来たのではありませんでしょうか。」
先生は何故か頭を抱えてやれやれと言った様子だが、珍しく最後まで辿り着いた黄金は、そんな様子に気が付くはずもなく、満ち足りた顔をして腰を下ろしてしまった。先生はくらくらしてめまいを起こしているようだった。よっぽど間違ったことでも言ったのだろうか。オリバナムはそれを見てにやりと笑うと、ローマの歴史を再開した。
「なるほど、そして素朴な欲求を持った下層大衆さえも、何時しか上流から流れ込む微かな知性の光に照らされて、わずかの変質を来たし、それがキリスト教を受け入れやすくしたと言うらしい。まあ、ネオプラトニズムなどについては、少し後でまた教えてやろう。この哲人皇帝をもってパックス・ロマーナは終焉を迎え、以後しばらくの混乱期を迎えることになる。そもそも事の起こりはマルクス・アウレリウス帝があらぬ事かウィーンで戦死して、愚鈍の息子コンモドゥスが後継者として帝位に付いてしまった時に始まるのだが、さすがのローマもこれからしばらくの間は、陽炎の立つ見えて、顧みすれば月も出ていない有様になってしまう。しかしコンモドゥスも愚鈍が過ぎてついに親衛隊長に暗殺され、最終的にセプティミウス・セウェルスが元老院から帝位を受けることになった。この後、強力な軍隊と、維持のための増税、統制経済への移行という軍事国家の様相が強くなっていくが、実際にこの新皇帝はアフリカ出身で、軍隊から身を起こしてきたのだった。セウェルスは浮いた話のない、哲学と宗教を愛するという、ローマの伝統に背いたようなユリア・ドムナを妻としたが、彼女はなんとシリアの太陽神神官の娘だったから驚きだ。彼女もまた神とは何か考えに耽り、多くの哲学者を招いて話を聞くなど、次第に成熟したローマ文化そのものから、宗教的な癒しを求める熱気のようなものが生まれて来るかのようだった。このローマ初めての外人王朝によって、妃の地位もかつてないほどに高くなったが、211年セプティミウス・セウェルス帝が病死した後は、2人の息子カラカラとゲタが共同統治を開始するも、最終的にゲタを暗殺したカラカラ帝(在位198-217)が単独皇帝となった。後の世界ではもっぱら圧倒的な暴君っぷりと、入浴場で知られ、「家族の入浴場カラカラ」などという不届きな看板も目に付きそうなありさまだが、彼のもっとも重要な政策は、ローマ帝国に住むすべての自由人にローマ市民権を与えたことで、入浴場を作った事ではないから間違うな。何がお年寄りでも安心ですだ。好い加減にしてくれ。とにかく、これによって都市国家ローマによる支配、と言う概念が完全になくなり、皇帝を中心に軍隊と官僚の支配する国家という概念がクローズアップしてくるのだ。」
すかさず三四郎が「家族の入浴場カラカラ、お年寄りでも安心です。」と言ったので、怒り狂ったオリバナムはゴルフスーツからドライバーを奪い取ると、三四郎を追い回して講義を止めてしまった。当然入れ替わって現われるのは、動作の遅い黄金が立ち上がる前に話しを始めた先生だ。黄金はほとんど泣きそうな顔をしている。
「さて、そんなカラカラ帝も217年になると親衛隊長に殺されてしまい、お母上であるユリア・ドムナも断食で命を絶ってしまいました。この後その親衛隊長マクリヌスが皇帝になりましたが、あっという間に転げ落ちて、218年からはドムナの妹家系から皇帝が立ちセウェルス朝王朝は続くのです。しかし、大変なことになりました。オリバナム、遊んでいる場合ではありませんよ。あなたの祖国が滅ぼされてしまいました。パルティアが滅亡ですよ。」
オリバナムは顔を真っ青にして取って返して戻ってきた。鬼が変わったと勘違いして後ろからオリバナムを追いかけてきた三四郎はこの際放っておこう。
「そんなことがあってたまるか、我々の逃げる振りして振り向きざまに矢を放つパルティアンショットが破られるはずがない。何かの間違いではないのか。」
今度はオリバナムまで泣きそうな顔をしている。
「いいえ、この時空新聞に、陥落の写真まで載って掲載されていますよ。」
先生が渡した新聞をしばらく見詰めていたオリバナムは泣き泣き「いったいどこの国が我々を倒すことが出来たというのだ。ローマでさえも滅ぼすことが出来なかったのに。」と言った。悲しくてろくに新聞の文面も読んでいないらしい。先生は新聞を奪い返すと、見出しを読み始めた。
「なになに、時に226年、かつてのアケメネス朝ペルシアの首都ペルセポリスで、貴族より身を起こしたアルダシール1世は、ゾロアスター教を教義とする新しい国家の建設を目論み、急成長をとげ遂にパルティア帝国を倒しササン朝ペルシア(226-651)を成立させた。新王はギリシア・ヘレニズムの影響にどっぷりと浸かったパルティアに見切りをつけ、イラン人達の文化の見直しを前面に押し出して。」
そこまで読むと、むくりと顔を起こしたオリバナムは、突然勝ち誇ったように笑い出した。
「何のことはない、同じイラン人の首のすげ替えのようなものだ。元祖騎馬民族の情熱が流れていれば、国名が変わっても心持ちは一緒だ。私は喜んでササン朝オリバナムと改名しようではないか。226年か、お前達、2人の風呂(26)にはササン朝がよく似合う。と覚えるがいい。」
ササン朝は元気百倍勢いよく講義を再開する。こうなったらもう手の付けようがない。
「こうして226年にパルティア王国を倒し成立した我らがササン朝ペルシア帝国が、勢いづいてローマにまで進軍を行うと、慌てたローマ軍は東部戦線に向かってひた走る。それ見ろ防衛ラインが手薄だと、今度はゲルマンが北から進入を試みれば、ついにローマはやってはいけない二正面戦争の危機にさらされた。恐れおののいたセウェルス・アレクサンダー帝は、茫然自失として無頓着に兵士給料切り下げを行ってしまうのだ。当然のこと不信任募る皇帝セウェルス・アレクサンダーと母のママイアは235年、兵士達に叩きのめされてセウェルス朝断絶。まあ、ほとんど自害したようなものだ。」
先生ものりに乗って跡を継ぐ。
「ところで、このアレクサンダーの宮廷祭壇には、多くの神々と共にキリストの像も建てられていました。それにママイアは、キリスト教神学者であるオリゲネス(c185-c245)を招いて話を聞くほどの熱の入れよう。オリゲネスはパレスティナで学校を建て教えていたのですが、この時代キリスト教の中にギリシアなどの古代思想が流入してキリスト教徒による学問が大いに成長を遂げました。このオリゲネス自身アレクサンドリアに生まれその地のキリスト教の初期学校施設で学んでいるのです。こうした学校にはすでにプラトーンなどのギリシア伝統の影響から、後の自由7科のような教養学習があり、神学の前に幾何学や天文学、プラトーンやアリストテレースなどの哲学や、倫理学などが学ばれていました。遂にこの頃から、キリスト教を学問としてその教義を説き明かし証明しようとする西洋思想界の一連の流れが、始まってしまったのかもしれません。特にこの時代にはネオプラトニズムという、プラトーンが聞いたら「誰の意見ですか」と尋ね返さなければならないほどの変容を遂げた新しいプラトン主義が大流行していました。これはアンモニオス・サッカス(c175-242)が初め、丁度ササン朝の誕生を記念して成人したプロティノス(205-270)という人が大成させた思想で、簡単に言うとこのようになります。」
待ってましたと黄金が立ち上がる。
「すべての元である唯一の物より、あらゆる実在が段階的に階層を持って流出することによって、我々の世界は成り立っている。したがって、より低い階層の存在は、上位階層の模倣された映像に過ぎず、より複雑化されてはいるが一層不完全な状態にある。不完全であるすべての物は上位の物に対して、意識を持たずして本質を捕らえようとする欲求を内包し、上位の物に回帰しようとする。この分化と回帰のせめぎ合いがすべての実在を構成しているのだ。そして我々の精神も実在であるから、数多くの感覚的な物を離れ、我々に内包される回帰を掴み取ることが出来るのならば、我々は自らの精神を越え、より完成された上位の存在と一体化することが出来るのだ。」
いや、申し訳ないが、全然分りません。私達は、キョトンとした顔をして、互いを見合わせてしまった。もしかしたらと期待した秀才君も、黒髪すらりさんもやっぱり何の事やらさっぱり分らないようで、頭の中で上位と下位が行ったり来たりしてどうにもならない有様だった。その様子が余り面白かったのか、遂に先生達は一斉に吹き出してしまったのだ。
「まあいいでしょう。このネオプラトニズムは、当時ギリシア思想がオリエント地方に広まって作られた独自のグノーシスという神秘宗教と大いに関係を持っているのですが、このグノーシス神秘宗教では神の啓示を思想ではなく、直接的な啓示によって唯一の神を捕らえようとしましたから、最上位の物に回帰しようとする思想を持ったネオプラトニズムと互いに影響力を及ぼし合う、ある種の類似性があったわけです。そして先ほど出てきたオリゲネスという人は、プラトーンの宇宙生成論である「ティーマイオス」を、旧約聖書の「創世記」の世界創造と結合させて、「創造とは神が無に対して自分の存在を分け与えたことだ」という立場からキリスト教を捕らえようとしました。以後彼は、想像を絶するような著述を残し、聖書の注訳書を書き、初めてキリスト教が学問として立ち上がるのに重要な役割を果たしているのですが、グノーシスの思想にも通じる彼の考えは、やがてグノーシスを異端の筆頭として忌み嫌う教会によって異端の扱いを受け、沢山の書物も火の中にくべられて燃え尽きてしまいました。運良く、代表作品として「諸原理について」という書物が後世に生き残りますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。しかし、オリゲネスは沈められてしまいますが、ネオプラトニズムの思想は、ローマが滅んだ後もずっと中世に伝えられ、育まれ続けていくのです。中世から、挙句の果てにルネサンスに至るプラトーン運動というのは、実はすべてこのネオプラトニズムの思想を元にしているのですから、プラトーンに言わせれば、「勝手にしてくれ」と言ったところでしょうか。ありがたいんだが、迷惑なんだか、私には到底彼の心持ちは推し量ることは出来ませんね。」
先生はまたしても、独自の冗談で一人笑いを演じてしまった。
「こうして、漸く思想的立場も強化され、未だ数多くの福音や外伝が乱立し、儀式も流動的だったキリスト教は、定期的な激しい弾圧にもかかわらず、ますます信者を獲得し、おそらくもっとも熱いシーズンを迎えていたことでしょう。その中には当然、私達の探す聖歌音楽も含まれて、様々な発展を迎えていたのかも知れません。あるいは、様々な遣り方が行われていたのかも知れませんが。」
先生は上を向いて、涙を堪えた。
「その音楽は、すっぽりと行方知れずなのです。」
立ちつくした先生を押しのけて、ササン朝オリバナムが後を続ける。
「えい、どくがいい。後は俺がやる。」
ササン朝は先ほどのドライバーを握ったままである。ゴルフスーツが心配そうに気にしているが、到底返してくれそうにない。
「先生は放っておいてローマの歴史を先に進めてやる。オリゲネスもたむろしたセウェルス朝が断絶した後、26人もの皇帝が争い立つ恐るべき軍人皇帝の時代を迎えるたローマは、各地軍隊が勝手に皇帝を立て、帝位を意のままにし、互いに争いあう内乱状態に陥った。すでにずっと前から軍隊兵士は現地で調達されて、彼らは現地女性と結婚したから、各軍隊どうしの戦さには、各異民族同士の争いの意味合いもあったのだ。こうしてローマはますます本来の都市国家から離れ、ローマ帝国という全体意識すら次第に希薄化、変質を遂げていく。後のゲルマン人流入によるあっけない崩壊の下ごしらえは、こうして水面下で形成されていたのかもしれない。そして新しい我が祖国、ササン朝ペルシアの脅威も高まり、対抗意識を燃やすゲルマンの脅威だって負けてはいない。内乱状態の為にますます軍事費が増大し、経済活動も混迷状態に陥った。260年には事もあろうにウァレリアヌス帝が我がペルシア軍の捕虜になり、西ではガリア駐屯軍が勝手にガリア帝国を建設する始末。帝国の威信は地に落ちた。危機感高まるローマでは、各皇帝が国家宗教を高める指令を何度も出し、皮肉なことに犠牲を捧げることを拒否するキリスト教徒に対して何度も大弾圧が加えられたのだ。こうした危機意識の中で、時代遅れの歩兵を中心とする軍編成を騎兵中心に変更するなどの軍制改革が行われたのだが、最後には自由経済が魅力だったはずのローマ帝国は、経済の非自由化と軍事国家体制の確立によって漸く帝国の瓦解を食い止め、やがてディオクレティアヌス帝(在位284-315)とコンスタンティヌス帝の時に、この新しいローマ体制が完成された。そして、いよいよキリスト教が公認される時がやってくるのだ。」
しかし、オリバナムの講義はそこで途絶えてしまった。私達は泊まりの宿にあったちょうど良い広い部屋を勝手に講義場にしたのだが、3人の教師が入れ代わり立ち代わり交替で講義を行うのを聞きつけた他の客が、外国人が朗読会を行っているのだと勘違いして、私達の即席講堂に飛び込んできてしまったのだ。「私も混ぜてください!」その男は確かにラテン語でわめき散らしたのだが、すぐさまラブドスが全球翻訳を駆使したおかげで、私達は苦もなく言葉をやりとりすることが出来た。
「諸外国の皆様方。どうか、私のラテン語の朗読もぜひ聞いてください、そして吟味してください。まさかこんな所で朗読会が行われているとは知らなかった。最近は、皆朗読会に悪いイメージがあるようで、入浴場で朗読をすれば怒鳴られるし、柱の前で詩を読めば皆逃げていくし、イヤだなあ、こんな所で私に内緒で朗読会を開くなんて。じゃあ、早速行かせて貰います。」
こちらが、話す暇もなく、その男はいきなりパピルス紙に書き記した大量の文章を私達に大声で聞かせ始めたのだった。
「行きます、行かせてくださいっす。プシケとクピトの恋の一幕、目下執筆中であります。推敲のためにどうか一つ、ご教授お願い致します。」
わあっと止めに入ろうとした黄金が前につまずき膝と両手で体を支えたうなだれポーズを取ると同時に、意気揚々としてプシケの話しは開始されてしまった。
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「いとも美しきプシケーの、麗しき姿に人々もはやため息交じり、もうこうなったらあの一言、最高の賛辞を贈ります。立ち上がったる男衆、「ヴィーナスを越えた」と讃えれば、それを聞きたるヴィーナスの、貝殻揺らして怒り来る。荒波立ったるヴィーナスの激しき嫉妬か呪いの言葉、我が子クピトを呼び出して、命じて言うよう大声で。「取るに足らない間男に恋をさせてしまうがいい!」よし来た母さん任せて呉れろ、得心したるキューピット、自らのハートに矢を放ち、うっかり目覚めた恋心。「ほら、母さん。矢の先に。取るに足らない男が1人。」
呆れた母さん出ていけば、冗談終わって残る物、沸き上がるのはプシケの思い。恋の病に冒されて、兄(あに)さんアポローンに泣きつけば、呆れた事の一抹を、笑い転げる兄さんに、お願いしながら嘆いて言うよう。「どうか、何とかクピトと結ばれたいよう。」
恋にやつれた弟の、哀れな姿に胸叩き、太っ腹兄さん立ち上がる。「よしきたおいらに任せておきな。」遠矢の神の神託に、プシケ出向かせ、呼び出せば、暗闇紛れてクピトは寄り添い、しっかと結んで離れない。組んずほぐれつしてみれば、日が昇る前消え去った。残るは余韻と甘い言葉か。はたまた恥と後悔か。
日が出て消えた、恋人も、夜が登れば現われる。姿の見えない、凛々しいお方、次第に高まるプシケの気持ち。両思いなら幸せなのと、思ってみても気に掛かる。自らの名前を取るに足らない、そう呼ぶ彼氏は誰かしら。そんな思いに身をやつし、人目みたいな情熱を、奏でた時こそ事の始まり。事の始まりて、ことの始まりはあに図らんや。あに図らん?」
弾丸のように朗読を開始したかと思ったらその男は、そこで急に立ち止まってしまった。どうやら、文章がうまく行っていないようだ。先生はこの時ばかりと突っ込みを入れた。
「君、未完成の作品を持ってくるとは何事ですか。朗読会は毎週同じ曜日にここで開かれていますから、出直してきなさい。」
ほんとはそんな朗読会はどこにも無いのだが、どうせもうすぐこの世界を離れてしまうのだから知ったことではない。その男は、急に自信をなくした所に、再チャレンジの約束を得て、文章を手直ししようと慌てて部屋に帰っていってしまった。なんというお騒がせ人物なのだろう。
「・・・あれはこの時代の文学者として名高いアープレーイウスです。朗読が滅茶苦茶に聞こえたのは、ラブドスの全球翻訳が詩を解さないためで、決してあなた達が日本語で聞こえたような訳が正しいわけではありません。」
ラブドスがそれに怒って赤くなってはぐるぐる回っているが、先生は相手にしない。
「改めて、アープレーイウスについて教えて差し上げましょう。彼は123の連番の年頃に北アフリカに生まれて、カルタゴとアテネで学習行った、5賢帝時代の代表的な著述家です。先ほどのプシケの話しは、君達の時代にまで生き残った「黄金のロバ」または「変形物語りMetamorphoses(メタモルフォーゼス)」の中の一節なのですが、主人公のルキウスが、魔術師の妻がフクロウに変身するのを見て、自分も真似て魔法を掛けたところ、うっかりロバに変身してしまい、酷使されながら諸国を行脚し最後に人間に戻るというのが全体のストーリーになっています。のちの様々な変身物語や、未来における変身シリーズものも、みなここにルーツがあるわけですね。当時は、出版業の原稿買い取り制度もなく、紙に書かれた著作物は紙の所有者のものとされていたので、著述家に対する著作権が全く保証されていませんでした。それが出版するよりも、あのように自らの著述をどこでも彼処でも朗読しまくるという、今日におけるカラオケのような状態が、そこかしこで沸き起こっていた原因なのです。ホラーティウスは余りにも朗読が酷くなったために、今では「朗読をもって人を殺す」ことが出来ると言っていますし、風刺文章で知られたマールティアーリスという人も朗読ストーカーに取り付かれて「とほほ状態」を満喫しています。もちろんアープレーイウスの朗読が聞かせて貰えるというのならば、後の人は莫大なお金を出すかも知れませんが、私達にとっては講義を邪魔されすっかり水を差されてしまったので、オリバナムの講義は後ほど続きをやることにして、今日は黄金アーンドラにそのマールティアーリスの「とほほ状態」を再現して貰いながら、講義を終わることにしましょう。」
うう、アープレーイウスのお陰でますます音楽から遠ざかっていく気がするが、まあ気にしないことにしよう。黄金も気にせず立ち上がると、講義の締め括りを開始した。
「おい、リグリーヌス君。何でまた君の周りに誰も人が集まらないのか、君を見れば皆逃げていくのか、教えてくれる人はいないのか。しかたがない、私が教えてあげますから良く聞くがいい。いいですか、君は余りにも詩人過ぎるのだ。まったく、君の詩人っぷりにいったい誰が耐えられるというのだろう。君は、僕が立っているのを見つけては朗読を開始する。僕が座っているところでも、君は読み始める。僕が走り出せば、君は追いかけながら朗読を続けるし、トイレの中にまで付いてくる始末だ。僕が行き場を失って浴場に逃げていけば、これ幸い大音響の朗読設備が満載だとばかりに、君は浴場全員に向けてその声を轟かせ、食事に行くから付いてくるなと言っても、君の声は後ろから追いかけてくる。そんな君の特技は、自ら食事を口に挟みながら、ただの一度も止まることなく言葉を発し続ける事なのだから、私は食事をしているのだか、音を食わされているのだか分らない。耳が疲れ果てて遂に私が居眠りを始めると、君は私のことを揺り起こして、揺り起こして、無理矢理返事をさせて、・・・・まだ朗読をするのだ。なるほど、正しい、圧倒的に正義だ。君の発言の内容に、避難すべき点はどこにもないよ。君は少年の心で、朗読に専念する、君は7歳、無邪気な人だが、君は恐ろしい。この血は恐ろしい。」
2004/11/30
2004/12/08改訂