ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 op68 (1877年)
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成立過程
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………1856年に作曲された「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」(op15)は、もともと2台のピアノのソナタだったものを交響曲に編曲し直そうとして完成せず、これが冒頭楽章に転用された。「セレナード第1番」(1858)の素材も一度交響曲にしようとしたことがあった。1862年には「交響曲第1番」の第1楽章の初稿が記されたが、そのままお蔵入りとなってしまった。彼はベートーヴェンを崇拝するあまり、彼の代表的ジャンルにおいて、彼に匹敵する作品を世間に問うほどの質の高さに、なかなか交響曲を完成させる踏ん切りが付かなかったとも言われている。(ただし新作の交響曲というジャンルが、随分需要の薄いジャンルになっていたことも一因だろう。)おまけにヴィーンでアンチワーグナー、新古典主義の中心人物に押し立てられたことが、絶対的に至高の交響曲を書くことをブラームスに要求し、彼の心持ちを大いに挫いたとも考えられる。その点加えるなら、ブラームスがオペラを書かなかったのは、ワーグナーが居たからだという意見も、なかなかに急所を突いた意見なのかも知れない。もちろん完成が遅れたとはいっても、だらだらと何十年も作曲を続けたわけではない。暫定放置することと、毎日ちまちま作曲を続けることは別問題だ。したがって恐らく70年代前半、1873,4年頃に再度完成に向けて本格的に動き出したのではないかと思われる。ただし一応1856年から1876年(完成稿は1877年)までを作曲期間として20年交響曲とか、21年交響曲とも見なされるわけである。
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特徴
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………ハ短調からハ長調に到る勝利への楽曲という構想(ベートーヴェンの「第5番」)や、最終楽章の第1主題(ベートーヴェンの「第9番寒気の歌のフレーズ」)などがベートーヴェンを強く意識したとはよく言われる。動機の綿密な活用などもあり、指揮者のハンス・フォン・ビューローが「ベートーヴェンの第10番」と言ったこともよく知られている。
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初演
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………1876年11月4日。カールスルーエ宮廷管弦楽団楽長フェリックス・オットー・デッソフ(1835-1892)指揮、カールスルーエ宮廷管弦楽団の演奏により初演。後さらに改訂が加えられ、出版が翌年1877年となる。デッソフはブラームスの友人であり作曲家でもあった。1878年には自分の弦楽四重奏曲の価値をブラームスに問う手紙が残されている。「弦楽四重奏曲ヘ長調」(op7)がそれにあたるそうだ。
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出版
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………ジムロック社から1877年に出版。
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編成
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[ウィキペディアより引用]
木管
フルート 2
オーボエ 2
クラリネット 2(楽章順に、B管、A管、B管、B管)
ファゴット 2、コントラファゴット(第3楽章以外)1
金管
ホルン 4(C管Es管各2、E管2、Es管H管各2、C管Es管各2)
トランペット 2(C管、E管、H管、C管)
トロンボーン 3(アルト、テノール、バス各1)(第4楽章のみ)
ティンパニ
弦五部
第1ヴァイオリン
第2ヴァイオリン
ヴィオラ
チェロ
コントラバス(4弦)
楽章ごとの解説
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第1楽章
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ソナタアレグロ形式
ハ短調 (c moll) (最後はハ長調で終わる)
6/8拍子
Un poco sostenuto (序奏)ー
AllegroーMeno Allegro (コーダ最後)
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第2楽章
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複合三部形式
(歌曲形式的な)
ホ長調(E dur)
3/4拍子
Andante sostenuto
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第3楽章
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複合三部形式
(歌曲形式的な)
変イ長調(A dur)
2/4拍子
Un poco Allegretto e grazioso
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第4楽章
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ソナタ・アレグロ形式の展開部無し
ハ短調 (c moll)→ハ長調 (C dur)
4/4拍子
AdagioーPiu Andante (序奏)
ーAllegro non troppo,ma con brio
ーPiu Allegro (コーダ)
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