今朝の夢
正しくは今朝では無い。起きたのは夕暮で、壊れた時計は昼と夜を移し替えて、どう頑張っても夜に眠ることなど、出来なくなってしまっているのだから。
わたしはかつての大学の教授から、かつてのわたしの面影みたくして、ある楽譜を眺めながら、楽曲の解析を教わっているらしかった。それはオーケストラとピアノのアンサンブルで、かたわらにはピアノが置かれていた。教授が弾き流したとき、その楽曲の断片すら聞いたはずだったが、それは起きたときには、すっかり抜け落ちてしまっていた。
ただ覚えていたことは、教授がサボりがちなわたしの態度に半ばあきれつつも、親身に教えようとしてくれていたその姿勢と、その楽曲の作者の名前。そうして、作曲家には娘がふたりいて、そのふたりが楽曲の中に、かなり露骨なeyeミュージックをかねて、音符として込められているという事実だけだった。
事実というのもおかしい。
それは夢の話だから。
けれども作曲家の名前は、フォルクスベルクという名前で、教授はその名前を当然のように使用して、わたしもまた、当然のように聞いていた。けれども次の生徒が入ってきた時、K教授の、実の入らない私への態度が、不意に冷たくなったように思われた頃、わたしはいつしか目を覚ましていた。
目を覚ませば不可解。
不意にドイツ人の名前をねつ造しろと言われて、とっさに「リープフラウミルヒ」などと答えてしまうのと、夢の精神構造はあまり変わらないのかもしれないが、それにしてもなぜこの名前なのか、起きてからちょっと不思議な感じに囚われた。
それでちょっとネットで検索してみたが、ヴォルフスブルクばかりが引っかかり、念のため「作曲家」などと加えてみたが、カタカナを止めてドイツ語で検索するほどの情熱も無く、またくだらないことに関心を示した自らを、あざ笑うように幕を閉じた。ただそれだけの小話だった。
そうして教授にしばらく連絡もしていないこと。けれども近頃は怠惰な毎日に押し流されて、生きることにすら実の入らないわたくしの、今さら何を連絡しようものもなく、かつて彼と話した会話などを、つかの間思い出して懐かしんでは、またくだらない毎日へと、魂はゆらいで消えるのだった。