いにしへの響
spring piano
響きあわせが奏でかな
spring piano
響きあわせてかなで唄
わたしはだらけていたのでしょう。
あるいは寝ぼけていたのでしょう。
それともみじめな終末の、
乏しき楽才を悟りして、
いじけていたのが真実か……
ひさしぶりの調理
そんな訳でして、
あるいは2008年、2009年にもさかのぼる、
絶え果ての調律をおこなうため、
おそるおそる連絡を入れるのでした。
それは酔いどれの生活が、そこから乖離することを恐れ、足かせを逃れようとするたびに、引きずりおろしたなれの果ての、たそがれの夕暮れのような、おわりの灯火の垣間見せた、つかの間の反抗のようなもの。
くじけて数年を過ごすほどの躊躇も、あるいは不思議なくらいに屈託もなく、連絡をすればかつての人、白銀に消えゆく人の、いまだ残されているのを知り、やがて訪れる彼の声に、懐かしさを覚える頃……
ハルモニアの破綻は解消され、
調和の霊感はよみがえるものならば……
謝意も金銭へと還元され、
味気なくも果たされるかと思われたが、
彼はいつもの金額しか要求せず。
実はわたしはそれを知っていた。
あるいはそれを期待していたのは、
なにもこころの卑しさではまるでなく、
わたしは純粋にその人のこころを……
そのようなものだと思っていたまでのこと。
そうしてあらゆる不協和音は解消されて、
調和と不調和の混濁するような、
あの調性世界は、帰ってきたのでした。
春はまだ?
C dur して 祈りかな
結論
2016/2/23、5年以上の空白を経て、ピアノ調律をおこなう。狭い部屋で、喧嘩みたいに離れていた夫婦が、仲直りするような気分というのは一方的で、相変わらず、手に負えないというのが、調律後の第一印象。ようするにわたくしには、才能がかけらもなかったのでせう。
ひとは時々、
自らの能力と乖離したものにあこがれ、
人生を台無しにするようですが……
それが不幸であるとは、なかなかに思うことは、誰にも出来ないのでありました。そうであるならば……わたしもまた、それをいたずら出来る指先を、つかの間の幸せと信じて、遊んでいても、何の不都合もないのではないでしょうか。というのが、ようやくこの頃たどり着いた、日和見主義者の結論のようでありました。めでたし。めでたし。
コメント
下手こそものの上手なれとか、
清少納言も言ってませんでしたっけ?
楽器に浮気はするなって、
中世の格言もあるくらい。
なか違いもつれ指して pianissimo
いまさらあがいてなんになるというのです。
過ぎゆく砂時計のおもかげをいたわって、
アルバムをめくっても未来は変えられない。
それがおわりのはじまりであると、
わたくしなどはおそわってきたものです。
やれやれ、
お二人とも元気そうですね。
死ぬまであがくのがいのちというもの。
なんて落書きしたら、
いつもの彼方さんが来る前に、
コメントを閉ざした方がよさそうですね。