「大和物語92段93段」古文と朗読

「大和物語92段93段」古文と朗読

  今回は歌人としても知られる、藤原敦忠(あつただ)の待つ恋と去る恋を一つづつ。
 九十二段のものは、結ばれる前の恋煩いと、初めてあった頃のときめきを描いていて、現代でも受け止められるような内容になっています。一方で九十三段の方は、貝(かひ)を拾いながら、恋人を思い浮かべて、「今は甲斐(かひ)もないこと」と思う場面でも思い描いて貰えば良いのですが、下手なダジャレにしか聞こえない人も多いかも知れません。

 それはひとつには、私たちがもはや、掛詞的な表現から、離れてしまったせいでもあります。けれども、もしかしたら、これがダジャレにしか聞こえないのは、現代とか過去とか関係なく、単にあなたやわたしが、心から貝殻に思いをゆだねて、愛しい人のつもりで、貝殻を拾ったり、眺めたりした経験がないだけのことなのかもしれません。一度恋人の貝殻を、冗談ではなく、本当に一生懸命に、拾い集めてから、結論を出しても、良いのではないでしょうか。

 一方で、どちらもおなじ藤原敦忠の和歌でありながら、段で恋人が違っていますから、そのあたりの恋多き貴族の姿も、想像してみるのも魅力かも知れませんね。

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大和物語九十二段

 今は亡き権中納言[藤原敦忠(あつただ)(906-943)。三十六歌仙の一人。百人一首43番「あひみての」]が、左大臣[藤原忠平(ただひら)(880-949)]の娘に言い寄った頃、その年の十二月の末日に、

もの思ふと
  月日のゆくも 知らぬまに
    今年は今日に はてぬとか聞く
          藤原敦忠

[あなたのことを思って
    月日の過ぎるのも 知らないままでいたら
  今年は今日で 最後なのだと聞かされました]

[主観のままに「あなたが好きだと思っているうちに今年が終わってしまいました」と言うと、ストレートな心情が伝えられるので、特に学生のうちは、このような表現の方が、はるかにすばらしく響くもの。ただ、実際の所、その瞬間の心情としてはまさっていたとしても、その場の思いを伝えただけに過ぎない言葉というものは、はたしてそれが継続された心情として、真実なのか。それとも今だけの感情に過ぎないのか、きわめて頼りないという側面を持つ。
 対して敦忠の和歌は、ちょっと聞くと、「月日が流れるのも」などちょっと解説っぽく、「今年が今日に終わると聞く」など、理知的で回りくどいように思われるが、それには理由が存在する。その理知的で回りくどいような所から、つい理由を探り求めるとき、もつれた糸がほどけるみたいに、彼の心情が伝わってくるという仕組みである。
 心情的な表現を、心情的に受け止めただけでは、言葉は即興的な情緒にゆだねられるばかりだが、詩的に表現された言葉には、それとはまた別の真実があり、別のアプローチも存在する。自らが相手の言葉に立ち止まって、積極的に働きかけて、もつれた糸をほどくうちに、いつしか相手の和歌もまた、忘れられない味わいとなっていく。優れた和歌とは、あるいはそのようなものなのかも知れない。
 などと、よく非理性的な落書きを極めたものだが、実際のところこの和歌は、それほどの名歌というものではまるでない。けれども、「月日のゆくも」と言われると、時の流れは一日一日の累積が、月単位で継続しているように感じられるから、「一年中」などと言われるよりは、はるかに毎日の重みが生きてくる。その下準備の後に、「今年は今日に果てぬ」と改めて言われると、類似のことを二度繰り返し、かつ年単位の思いでもって締めくくられたものだから、長い恋煩いを、それらしく感じさせることに成功している。
 しかも、「今日で終わる」のは「聞く」と述べているから、最後の瞬間、つまり和歌が詠まれた現在まで、詠み手は相手のことばかり考えて、継続的に「知らぬまに」あった、つまり「恋煩い」の状態にあったことになる。
 それを人から「今年も終わり」と聞かされた、はっとなって、同時に思いあまって、この和歌を詠んだ。それくらい、あなたのことを思っているのです。というのだから、「あなたが好きだと思っているうちに今年が終わってしまいました」とは、技巧の結果詰め込んだ内容と、継続的な真実味が、まるで違ってくる。
 もちろん刹那の思いとしては、ダイレクトな表現が勝るには違いないが、同時にそれは、語りとしての誠であり、詩としては取るに足らないもの。一方で藤原敦忠の和歌は、詩としての誠がこもり、語りとしての真も、ダイレクトな表現にはまさらないものの、込められた表現になっているという訳だ。
 それはたとえ日常会話では必要ないものだとしても、日常会話ではなしえないだけの思いを、凝縮させた言葉の結晶にもなっている訳で、和歌に限らず詩の面白さと、価値というものは、そのあたりにも存在するのかも知れない。
 それにしても、わたしはなんで、こんなしがない和歌のために、無駄に長文を叩きまくってしまったのだろうか。ただ、和歌の表現というものは、この程度のものでさえ、なかなか侮れないものであるということは、覚えておくと、役に立つ……とかそういう、浅はかな御利益のことではなく、ただ純粋に、心おどるようなうれしさです。]

と詠まれた。また、このようにも、

いかにして
   かく思ふてふ ことをだに
 人づてならで 君に聞かせむ
          藤原敦忠 (後撰集)

[どうにかして
   このように恋心を 抱いていることだけでも
  誰かの伝言ではなくて 直にあなたに聞かせたいよ]

[こちらは、なかなかどうして、主観的な表現で攻めていて、詩的作品として眺めたとしたら、傑作や佳作になど入ることのない、けれどもその分、生の心情を強く感じることの出来る和歌に仕上がっている。
 このように和歌の表現は、言葉を飾ったものから、理知的なもの、主観的なものまで様々で、それを時と場合によって使い分けているのが、和歌の巧みであり、一級の歌人と言えるかも知れない。そうであるならば、自らの表現の枠に限界のあるのが、二級の歌人とでも言えようか。ただし、必ずしも常に、一級が二級の上に来るものでもない。けれども、表現のレベルを操れる歌人は、やはりもっとも優れた作品を、生みなせる人たちには違いない。
 なぜ、こんなことをくどくどと、述べたかと言えば、次に紹介する和歌は、理知的なものと心情的なものが、きわめて自然に溶け合っていて、思いがこみ上げて述べた溜息のようでありながら、読み解くべき深みを兼ね揃えた、きわめて和歌の技術を持った、巧みの作品になっているからである。
 それにしても、大和物語の作者は、どの程度まで策略的に、このように和歌を並べているのだろうか。直に尋ねてみたい気はする。]

などと詠んで、ついに一夜を共にした朝に、

今日そへに
   暮れざらめやはと 思へども
 たへぬは人の こゝろなりけり
          藤原敦忠 (後撰集)

[今日もまた
   暮れるのだろうとは 思うのだけれど
     (そうして暮れればあなたに逢えるというのに)
   あなたに合いたいという恋心を
     抑えることが出来ません]

[「今日そへに」は「今日という日に従って」。「暮れざらめやは」は「暮れないことがあるだろうか(いや暮れるだろう)」]くらい。二首目の主観的和歌とは違い、また理屈っぽく感じられるかも知れないが、単純に考えても「今すぐ逢いたい」よりは「夜になって逢えるのを待ちわびています」と言われる方が、刹那の思いには劣るかも知れないが、継続して逢いたがっている時間の累積には勝るもの。そのくらいの把握のしかたでも、この和歌に近づくことは出来るのではないだろうか。
 下の句を合せると、「今日もまたいつものように暮れていくとは思いますが」それでも「逢いたいという恋心を絶えさせることは出来ません」という意味になり、そこから「今日の夜がいつもと違う特別な日」つまり「また恋人に会える日」であることが理解され、逢えると分っているのに、片時も恋人に逢いたい気持ちが離れない、その思いを絶えさせることが出来ない。という、なかなか深刻な心理状態を、四句目の「たへぬは」は担っていると言える。
 同時に、今日という日は、暮れて絶えたとしても、わたしの思いは決して絶えないという決意表明もしている訳で、今という刹那の情緒で「お前が好きだぜ!」ではなく、今日一日の時間軸を、あなたのことで過ごしたわたしは、今日が終わっても、絶えることなく、あなたのことを思って過ごすだろう。と伝えてもいる事になる。
 一方では「はやくあなたに逢いたくてそわそわしてる」くらいの、浅い読み取り方をしても、十分に心情を楽しめながら、より深く紐解けばそれだけ、しみじみとした味わいが湧いてくる。そんな和歌を、人はスルメ歌と呼ぶのだろうか。
 その意味では、理知的傾向に勝る一首目と、心情表明において勝る二首目の、両方の性質を兼ね揃えたものが、この三首目となる訳だが、そこでふと思うのは、一つ前の和歌で述べた言葉。物語の作者は、どの程度まで策略的に、和歌を並べているのだろうか。という疑問である。]

古文

 故権中納言(ごんちゆうなごん)、左の大臣(おほいどの)[「おほいどの」は「大臣(おとど)」の敬称]の君をよばひ給(たま)うける年の、師走(しはす)のつごもり[12月末日]に、

もの思ふと
  月日のゆくも 知らぬまに
    今年は今日に はてぬとか聞く

となむありける。またかくなむ。

いかにして
   かく思ふてふ ことをだに
 人づてならで 君に聞かせむ

 かく言ひ言ひて、つひに逢ひにける朝(あした)に、

今日そへに
   暮れざらめやはと 思へども
 たへぬは人の こゝろなりけり

大和物語九十三段

 同じ権中納言[藤原敦忠]が、斎宮の皇女(みこ)[醍醐天皇の娘である雅子内親王(がし・まさこないしんのう)]に、長らく思いを寄せていたが、ついに今日明日にも逢おうという時に、内親王は占いにより、伊勢の斎宮(さいぐう)[伊勢神宮の祭神に仕える未婚の皇女、または女王]となることが決まって、逢うことが叶わなかった。それで「言葉にする甲斐もないほど悔しいよ」と思って、次のように詠んだ、

伊勢の海の
   ちひろの浜に ひろふとも
  今はかひなく おもほゆるかな
          藤原敦忠 (後撰集)

[伊勢の海の
   広々とした浜で 拾ったとしても
  伊勢の斎宮となってしまったら
    もうわたしのものとすることは出来ないから
   今は貝を拾う甲斐もないと
     思われるばかりです]

[心から四つ葉のクローバーを探し求めた事も無い人に、そのことに思いをゆだねた詩を、心からは理解できないように、片思いの貝やら、恋忘れ貝に思いをゆだねて、ひたむきに貝殻を拾い集めた事のない人に、この和歌の思いを、完全に受け止めることは、たとえ受け止めたつもりになっても、なかなか難しいのかも知れない。
 まして与えられた快楽に埋没して、そのような些細な思いのことを、軽蔑するような人々にとっては、まさにこの種の和歌は、ダジャレのようにしか響かないのかも知れない。それは結局、その人が、ダジャレくらいにしか、言葉を把握する能力がない、それだけの事かも知れないけれども……
 それで、こんな和歌は、頭であれこれ考えるよりも、実際に好きなあの子のことを心に浮かべながら、浜で貝殻を拾い集めてみるのが、一番詩情に近づくには手っ取り早く、あたりまえの方針には違いない。
 そうすれば、神々のおわす特別な伊勢の、広々とした海岸に、どれほど無数の貝殻が転がっているのにも関わらず、けれどもその貝殻は存在しないかのように、拾うのがむなしく思われる。そんな詠み手の思いが、理屈でなく、心で感じられるかも知れないから。そうすれば、これは「甲斐無く」に貝殻を当てたダジャレではなく、恋の貝を拾うのも今はむなしいという心情に、「甲斐無く」を当てたものだと、分るには違いないのだから。]

古文

 これもおなじ中納言、斎宮(さいぐう)の皇女(みこ)を年ごろよばひたてまつりて、今日明日(けふあす)逢ひなむとしけるほどに、伊勢の斎宮の御占(みうら)にあひ給(たま)ひにけり。「言ふかひなく口惜し」と思ひたまうけり。さて、詠みてたてまつり給ひける。

伊勢の海の
   ちひろの浜に ひろふとも
  今はかひなく おもほゆるかな

となむありける。

おまけ

 そこである人の言ふよう。

「言ふかひなく口惜し」とあるからは、すくなくとも「大和物語」の作者、駄洒落の意を出したるにやあらざらむや。

 さもありなむ。されど我又殺風景なる世に刃向かふ物なれば、時に理よりも、我が魂の暴走に、身をゆだねたるを由とするべき傾向、酒上なれば、しば/”\起こりたるをまぬがれず。虚言にはあらざれど、いさゝか誘導の気味なきにしもあらず。ゆるしてんやと。