大和物語の朗読 その二

朗読

あらすじ

十一

 今は亡き源清蔭が、藤原忠房(ふじわらのただふさ)(?-929)の娘のもとに通っていたのを、醍醐天皇の皇女に心変わりしてからも、娘との間には子供もあり、語らいは絶えず、おなじところに住んでいた。あるとき「住吉の松でもないけれど久しく間が空いてしまいました」と源清蔭が和歌を贈ると、「そんな長い時間でもないのに、住吉の松は(別の人を待つの松に)生え替わってしまったのでしょうか」と返答があった。

十二

 その源清蔭は、醍醐天皇の皇女と結ばれたが、それは宇多院が結婚の仲介をしたのである。しかし、はじめの頃は、しのんでは夜な夜な通いながら、こんな和歌を詠んだものである。

十三

 藤原千兼(ちかぬ)の妻に、「としこ」という人があった。子供に恵まれ暮らしていたが、「としこ」が亡くなってしまったので、千兼が悲しんでいると、「としこ」の友人であった「一条の君」の従者に会ったので、「亡くなった人の悲しさにあなたまで薄情になるとは」と和歌を送ると、返事があった。

十四

 「おほつぶね」という幼名の女性が、陽成院(ようぜいいん)の元へ送られたが、院が顔を見せてくれないので詠んだ和歌。

十五

 また陽成院は、「若狭(わかさ)の御(ご)」という女性と一夜を共にしたが、ふたたびお召しがないので、女性が詠んだ和歌。

十六

 陽成院に使える女性が、「まま父の少将」という少将と交わした和歌。

十七

 「出羽(いでは)の御(ご)」とよばれる女性と、「まま父の少将」の交わした和歌。

十八

 いまは亡き式部卿の宮。彼は宇多天皇の息子である敦慶親王(あつよししんのう))の事であるが、彼が「二条の御息所(みやすどころ)」とよばれる女性のもとに通わなくなってしまったので、次の年の正月七日に、御息所が若菜を差し上げながら詠んだ和歌。

十九

 秋の頃。おなじ女性が、おなじ式部卿の宮に、しばらく来ないので送った和歌と、宮からの返し。

二十

 やはり、その式部卿の宮を、「桂の皇女(かつらのみこ)」とよばれる女性が、恋い慕ったが、おいでにならないので、月のすばらしい夜に贈った和歌。

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