2016年元旦

2016年1月1日

あらたまの富士

 あらたまる年も年ごとに人のかりそめの尺度に過ぎないことばかりが味気なく思われるこの頃には、よろこびも薄れゆく気配ではありますが、人を捨て去れないわたくしもまた、人の世の習いに従うものとして、年明けを祝うのもまた、おもしろかろうとは思うのですけれども……

静けさに
  映える街なみ 陽浴びして
    羽ばたく鳥よ としあけの空

あいさつも
  夕べわすれや 年のあけ

散る庭の老爺も歳の初めかな

あるはまた
   「散る庭の老爺も歳の数え歌」
  とするもおもしろきか

交番に
  あけおめします 子どもらに
 はにかみ顔の 新米もいて

  「ゆうべの投げやり歌」
五臓六腑に響き渡れよ\るや除夜の鐘

酒飲みの句は甘ったれて駄目なものなり

母(か)あ/\と
   鳴いた鴉も 伸びをして
  としの残を 食い荒らすかも

神々の あずかり知らぬ はかりごと
  あらたまります 人のこゝろは

隠れ家に
  問ふ人あらば 言づてむ
   「今年もよろしく お願いします」と

中歌

 去年の終り頃、短歌と長唄の中間のものを、中歌とするのはどうかしらと思いつきにまかせて詠んだ落書

光の波
  ゆうべの春の あらしさえ
 忘れまなこの かもめたち
  夢の青空 輪を描いて
 おどる潮騒の ワルツです

うさばらし
   散らばる床の ビー玉を
 ひとつはじいて 数えては
  みどりにぶつかる だいだいに
    こぼれてなみだ 拭きもせず
      あなたのたよりは いつくるの?

 加えるならばあらたまの思いなど

あらたまの
   願いの夢も 影もなく
 寄り添う幹の 冷たさに
     おどろくいのち のこりかも

手を伸ばしても
   つかみ取れない 夜明けして
 我らを照らす あまてらすの神

P.S.

 今年は子規居士の

元日の人通りとはなりにけり

という俳句ばかりが思い浮かばれる年明けだったが、この句は即興句のように感じられながら、その実、なかなかにたやすくは詠めないような着想のひらめきがあるように、この頃は思われてならないのだった。

     

コメント

  1. 時乃遙 より:

       きみのいる
          窓べ小鳥の すがたして
        さえずる歌に ねがいゆだねて

    今年もよろしくお願いしますね。

  2. いつもの彼方 より:

    だらしねえ、
      やっぱ正月から飲みまくってんじゃねえか。
     今年も俺さまをよろしくな。

         あらたまの燃える炎がいのちだぜ!

    やっぱこれくらい奮発しねえとな。じゃあな。

  3. 炭焼き党員 より:

     驚くべき結果である。あけおめ、ことよろであることはほぼ確実である。ついに完全なる新年を迎えたである。書き初めを抱負に描き出すまでもなく、あらたまの思いにひたることは、揺るぎない信念である。

       あけおめばことよろしたまふ炭火かな

  4. たはむれせんとや より:

    やれやれ皆さん
      相も変わらずですね。