不思議なことに
見出しを付けるという行為が、酔いどれの落書きに、このような無意味な散文をも、加えることにもなることは、どれほど人というものの正体が、ある種のパターン化された行為に、規律されているかの正体であると共に、個性の範囲の狭さを、露呈しているようにも思えるのですけれども……
今さら、そんなことはどうでもよいことです。
時々走らせる落書きさえも、
近頃は殺風景なこころです。
即興的四行詩
たとえば誰もいない野原の真ん中に
さびしそうにわらいますのは捨て去られた
ぶっきらぼうなアンフォラみたいな
ひび割れたたましいなのかもしれません
たれ待つ虫の夜も更けて
月かげワルツのおだんごみたいな
銀のしずくか、酔いどれの
枯れに吹かれたうさぎです
カフェに溶かしたカーテンの
夜霧とミルクの混ざりけは
伝えきれないもどかしさ
あなたにそっと、伝えられたら……
時計は、針のひとまわり
またひとまわり ひとまわり
どれだけまわって 壊れても
それさえ時の かけら色
今はあなた
どれだけおはなししたくても
答えられないこの胸に
残され島した痛みです
そしてまもなく
波にさらわれ……