「虚偽の哲学」

虚偽の哲学

虚偽は虚構を共として
  偽善をロマンスと風に乗せ
    羽ばたく夢さえ化粧まみれに
  太ったきらびやかにあふれてた

現実はむさぼるみたいな
  虚構をつなぐ釣り糸にされ
    喜怒哀楽のいつわりをむさぼりながら
  セピアに褪せて揺らめいていた

日常は与えられた快楽のための
  代価に支払うべき贄(にえ)となり
    人の目にはすべてもはや
  コマーシャルの合間にしか思われなかった

すべからくして娯楽へと
  豊かな仮想の稔りの中で
    いつわりの勇気や希望やら
  愛やら、あるいは朽ちかけの

ジェスチャーさえもグロテスク
  わざとの果のコメディアンどもの
    あらゆる動物がなし得ないほどの
  虚飾に満ちた叫びと、嘲笑の渦に

虚構は常態へとなり代わり
  塗りたくられた日常へと変化(へんげ)した

いびつにゆがんだ現実は
  嬰児(みどりご)のクレヨンの落書きか

未熟を美徳に演繹され
  結末を虚構へと導くのだった

そうしていつか、カサカサとしてひび割れる
  枯れ野のみじめさへと落ちぶれていくのだった

汚辱に満ちたスナップを
  眺めるのがつらくていつわりの
    多彩なかざり立てた虚偽のお城へと
  人々はますます邁進するのだった

それに合せてあたりきな生活は
  ますます、むなしいものへ貶められ
    粘土細工の鼠はどす黒くて
  我が世の春を謳歌するのだった

そうして日頃の肌感覚が辛うじて
  僕らを保っていたはずの精神は
    塗りたくられてははしゃぎまわる
  個体の意志などどこにもない

哀れな哀れなモルモット
  そうでなければ飼育され
    島離れした猿山の
  キーキーはしゃぐお猿さん

統計的サンプルとしての快楽動物へと
  自らをなげうってはそれを誇りとし
    バナナとリンゴの味の違いほどの
  個性やら多様性へと成り果てた

ハウス栽培に整えられて
  数ミクロンの違いを褒め合うような
    這いずり回るよ奈落の底で
  それさえ気づかずにはしゃぎまわるのだった。

それないにしへの昔語りも
  人で無したるこの頃はもう
    すっかりはやらなくなりました。

そうして人は愛し方も
  殴り方も、ののしり方も
    あまつさえなみだの流しかたも
  信任やら尊敬の仕方さえ損なわれてしまい

虚構から与えられた
  それらしいマウスの仕草は
    誰もがおなじジェスチャーで
  ピエロみたいに大げさにしはするのですが

それとて植え付けられた仕草には過ぎなくて
  自発性やら情緒と結ばれた精神などなにもない
    定型的行動パターンを旨とする
  没個性的なからくり人形のなれの果て

同一的な仕草をもてあそぶばかりで
  けれども、それを常態とは信じ切って
    わずかでも、情緒と結ばれた真実の
  表現やら行為というものに接すると

まるでもう、おぞましい者でも眺めるみたいに
  みずからがそぎ落とした、符号でないものを厭(いと)うみたいに
    つまりは自らが、エックスで無くなるのを恐れるみたいに
  ベルトコンベアーから落とされる恐怖みたいに

右隣、規格品とのわずかな違いでさえも
  つまりは、定められた、色彩やパーツの違いをのみより所に
    それから外れるくらいの、たとえわずかな人としての
  ぶつかるような意見と呼ばれていたはずのものたちを

お化けでも見るように毛嫌いするのでした。
  そうして、また、くだされる作為的な創造物からの
    恩恵に満ちた虚偽の世界にのめり込んでは
  そこから逃れるくらいの人の精神さえも

もはやもたなくなったのです。
  すべからく、世界は彼らの範疇にあり、
    それは彼らの共通思念に成り立つ宇宙であり、
 そこから、わずかでも足を踏み外すことは、
   もはや、恐ろしいどころの感情ではなく、もっと質朴な
     きたならしく、おもうばかりには過ぎませんでした。

こうして、人の世は、自らの意志にのみより終焉を迎え、
  符号の新世紀を迎えました。
    つまりは、人は人類が滅びるよりもずっと前に、
  みずからの低俗なドラマのうちに埋没して、

せっかく芽生えた駄菓子のおまけくらいの
  情緒に結びついた本当の言葉という大切な
    けれども私たちを、私たちとしていた唯一のものを
  わずかな時系列のうちに、失っていったと伝えます。

そうして損なわれた符号らは
  符号の果てに、ついには、その名称ばかりを継続させ
    もはやその名称だけを、自らと疑うことすらない
  原始的な回路へと成り果てました

ただ永続的なのは、AとかBとかいう
  符号の名称ばかりであり、
    それが彼らにとってのいのちであり
  精神であり、自由であり、思想でもあったのです。

(それが彼らの言うところの
   永遠のいのちであったようです)

そんなものは符号のアルファベットの
  アルファーやベータの違いに過ぎなくって
    感情に紐糸付けて言葉を結び合わせたくらいの
      魅力に満ちた原始的な知性動物
   あるいは羅列のうえでも辛うじて生きられる
     情緒的動物としての人間の姿では
    もはや無くなっていたというのに……

彼らは符号としてのアルファベットの
  アルファーとベータを君と僕と定義して
    何の違いも無い同一線上のアリアを奏でながら
  決められた足並みで踊るのでした

それが第二次宇宙時代の
  辺境の地球で起こった些細な
    記すべき価値もないコメディの
  一顛末ではありました。

めでたし。
  めでたし。

未完成

[未完成な完成?]
2016/8/7 落書
  2016/12/02 酔って手直
   2018/03/19 酔ってまた手直し
  きりが無いのでとりあえず掲載