廿年初

年始挨拶

 一茶は玉石混淆はなはだしき人なれど、それだけに玉の見事さは比類なく、普遍的な精神性に訴えかけるような、瑞々しさを損なわない。そんな彼の句に、

うつくしや年暮れきりし夜の空

「うつくし」などの表現は、老いやら人生などを持ち出して、さも達観じみた句に仕上げるやからも多く、そうでなくても二つの対象の際をことさらに誇張して、陳腐のみならず、「わたしの素晴らしい句を見よ」的なグロテスクさを醸し出す場合がきわめて多いものであるが、一年を暮れ抜いた心情と、あたりきの自然の情景とが引き立て合って、景観に安易に使用すれば、無様に落ちぶれかねない「うつくし」という表現を、虚飾性のない心情へと返していて瑞々しい。

 かといって、ファインプレーを望むなら、ささいなる句の落書きさえままならない。そうであるならば、年明けの句は、安易なるパラフレーズに委ねて、

のどかさや年明けきりし旅の空

などほざいてみるのも、即興句としては似つかわしいもの。取り立て残すべき価値もないが、年明けの礼節には適うだろう。そう思って、二三句詠んで、年始の挨拶代わりとするも一興。

うすらいに影を落として日の出かな

さだめすんで屠蘇飲む朝のさわやかさ

元日や風は今遠く宵の空

  [返句]
俺の星見上げて転ぶぜ年はじめ 彼方

思はずと思ひし歳の初め哉 渡歩

おもちあきてチョコかむ宵かもひめはじめ 遥