大和物語の朗読 その二
朗読 あらすじ 十一 今は亡き源清蔭が、藤原忠房(ふじわらのただふさ)(?-929)の娘のもとに通っていたのを、醍醐天皇の皇女に心変わりしてからも、娘との間には子供もあり、語らいは絶えず、おなじところに住んでいた。あるとき「住吉の松でもないけれど久しく間が空いてしまいました」と源清蔭が和歌を贈ると、「そんな長い時間でもないのに、住吉の松は(別の人を待つの松に)生え替わってし………
女もすなる日記といふものを男もしてみむとてするなり
朗読 あらすじ 十一 今は亡き源清蔭が、藤原忠房(ふじわらのただふさ)(?-929)の娘のもとに通っていたのを、醍醐天皇の皇女に心変わりしてからも、娘との間には子供もあり、語らいは絶えず、おなじところに住んでいた。あるとき「住吉の松でもないけれど久しく間が空いてしまいました」と源清蔭が和歌を贈ると、「そんな長い時間でもないのに、住吉の松は(別の人を待つの松に)生え替わってし………
大和物語の朗読その一。
ふるさとの街なみへ 思い返せばふるさとは、ひとかげさえも消え失せて、ただ懐かしい風景に、セピアをかざしていのるでしょう。それなのにわずかな現実に触れたなら、なんだか知れないとがった痛みに、刺されるような夕暮れに、わたしは春をいのるでしょう。くだらないプロフィールはいつしか消され、あの頃は未来へと溶けるでしょう。あなたはいつしかそれを眺めて、わたしの知らないその街を、ただ豊かにほほえんで、け………
不思議なことに 見出しを付けるという行為が、酔いどれの落書きに、このような無意味な散文をも、加えることにもなることは、どれほど人というものの正体が、ある種のパターン化された行為に、規律されているかの正体であると共に、個性の範囲の狭さを、露呈しているようにも思えるのですけれども…… 今さら、そんなことはどうでもよいことです。 時々走らせる落書きさえも、 近頃は………