「大和物語7段12段」古文と朗読

「大和物語7段12段」古文と解説、朗読

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大和物語 七段

古文

 男女(をとこをんな)、あひ知りて、年経(へ)けるを、いさゝかなることによりて離れにけれど、飽(あ)くとしもなくて[=飽きたという訳ではなくて+「し」は強調]、止(や)みにしかばにやありけむ。男も[女が哀れと思って、「男も」という意味]「あはれ」と思ひけり。かくなむ言ひやりける。

逢ふことは
   今はかぎりと 思へども
 なみだは絶えぬ ものにぞありける
          (新勅撰集)

 女、いとあはれと思ひけり。

現代語訳

 恋仲の男女が、知り合って何年か過ごしたが、ささいな事があって別れてしまった。しかし、互いに飽きて別れたというのではなかったので、女同様、男もまた、しみじみとした思いに囚われて、ある時和歌を贈った。

逢うことは
  今はもう無いと 思っていますが
    涙だけは今でも 絶えないものなのです

 女もまた、しみじみと聞き入るのだった。

解説

 分りやすい内容だが、強いて言うなら、和歌の二句目の「今は」には、なかなか深い思いが込められていて、同時に和歌を引き締めても入る。つまり、「今でも涙が絶えません」ならただの日常的な感情を表明しただけだが、はじめに「今はもう逢うことは叶わないと思っても」と自分たちの現実を突きつけてから、「今でも涙は絶えないものです」とまとめるので、「逢えなければなおさら恋しい」という複雑な心情を込めつつ、

今は逢うことは叶わないと思うけれど

今でもなみだは絶えることはない

 という二つの文脈の軸として機能しながら、しかも倒置法によって二句目に置かれているために、安っぽく二つを併置したような印象はまるでなく、渾然として一つの心情を表明している点が見事である。

 これを簡単に述べると、現代語の短歌として捉えても、二句目の冒頭にだけ「今は」と置くのは、日常語からそのまま述べると、当たり前のような文章でいて、なかなか当たり前でない。それで悟られないような和歌じみた表現がなされていて、今日にも伝わる魅力を備えているといえる。

 もっともこんなものは、当時の和歌にはあまたに存在しているので、相対的な表現力のすばらしさに、辟易するくらいのもので、別にこの和歌を、殊更に評価しているというよりは、分りやすいものだから、ちょっと説明を加えただけのことであった。

 だからといって、現代のあまたのへたれた落書きと、その格調を比べようというものでもなく、当時にもあまたのへたれた落書きがひしめいていたものが、時間のうちにさらされて、素晴らしいものが今日に伝わっているだけならば……

 などと、脱線を極めるのは、今は控えておこうか。

大和物語 十二段

古文

 おなじ大臣(おとゞ)、かの宮を得たてまつり給ひて、帝(みかど)の逢はせたてまつり給ひたりけれど、はじめ頃(ごろ)、しのびて夜な/\かよひ給ひけるころ、帰りて、

あくといへば
   しづこゝろなき 春の夜の
 夢とや君を 夜のみは見む
          源清蔭

現代語訳

 源清蔭は、醍醐天皇の皇女と結ばれたが、それは宇多院が結婚の仲介をしたもの。しかし、はじめの頃は、しのんでは夜な夜な通いながら、帰ってから、こんな和歌を詠んだものである。

 飽きると思えば落ち着かず、夜が明けると思えば落ち着かず、すぐに開けてしまうような春の夜の、おぼつかない夢のような頼りなさで、あなたをみじかい夜のあいだだけ、頼りない思いで見ているのです。

和歌について

 「夜だけは見るのです」という結句は、他に対して理屈っぽく、しかも三句目に登場した「夜」が繰り返され、冗長にも響くが、だからこそ同時に「みじかい春の夜の夢。その夜の間だけあなたを」という強調にもなっていて、つまりは結句はこの和歌を「生かすと同時に殺し、殺しながら生きたものにしている」と言えるかも知れない。

 それを分りやすく述べるなら、結句を他のものに代えて、より切磋琢磨した和歌にすれば、比類無い名歌になったであろうに。という残念な思いと、この結句だからこそ、日常的な心情を離れずに済んだという安堵が交差する。と言ったら、かえって分りにくくなってしまうだろうか。

 いずれこのような、一流の和歌にはなれなかった作品は、決して貶めるものではなく、わたしの考える二流の和歌とは、きわめて価値の高い、けれどもちょっと傷のある、このような作品を指すものである。

と、また酒を呑んだせいか、今回は脱線気味に冗長であるのは、簡潔にまとめる能力の無い、執筆者の限界を、あるいは露呈するものか……