歌う百人一首026番「小倉山」

歌う百人一首026番「小倉山」

「拾遺和歌集」の詞書きに、宇多法皇が大井川に出向いたとき、醍醐天皇も来るべきと言って、太政大臣である藤原忠平(ただひら)がその意を受けて詠んだことが記されています。『大和物語』でも、ちょっとストーリー化されていますが、この和歌が紹介されていますので、そちらでストーリーを確認してみるのも良いかも知れませんね。

小倉百人一首099「小倉山」

小倉山
  峰のもみぢ葉 こゝろあらば
    いまひとたびの みゆき待たなむ
          藤原忠平 (拾遺集)

[小倉山の
   峰のもみじ葉よ もしお前に心があるならば
     この後もう一度おとずれる
   天皇の行幸(みゆき)を散らずに待って欲しい]

 「みゆき」は「行幸」と書いて、天皇が都を離れてその地にいらっしゃることです。すばらしい紅葉を天皇にも見せたいから、来るまで散らないで欲しいというものですが、それを小倉山の紅葉に向かって語りかける演技性が、この和歌の魅力になっています。何しろ語りかけの対象が、山の紅葉ですから、人間の方がはるかにちっぽけなのが明白ですから、擬人化も鼻につきません。

 その上で、心があるなら、あの偉大な天皇が来るのだから、それまでは待って欲しいというのは、一方では天皇を持ち上げまくってもいる訳で、そこにおべっかの匂を嗅ぎつける人もあるかと思いますが、それもまた人間のことなど知ったことかという、紅葉山の実景に吸収されて、あまり気になりません。

 つまりは、紅葉の小倉山に語りかけるという情景とその演技性が、壮大な方向へ聞き手の心情を導くため、人事の思惑などは消されてしまうという仕組みです。また「いまひとたびの」とある理由は、大和物語の方を確認すればよく分るかと思います。