歌う百人一首006番「かささぎの」

歌う百人一首006番「かささぎの」

 百人一首の「かささぎの」が大伴家持の作品であるというのは、否定的な意見が多いようですが、けれども家持に結びつけられるような古歌であるならば、あるいはここで壬生忠岑が、知られた和歌を引用したような情景も、あるいはこの和歌が意識されているのかも知れませんね。

小倉百人一首006番「かささぎの」

かさゝぎの
  わたせる橋に おく霜の
 白きを見れば 夜ぞ更けにける
          中納言家持

[七夕の二人の出会いのために
  かささぎが渡すという天の川もいまは
    霜が置かれて真っ白です
 それを眺めているうちに
   こうして夜も更けていきます]

『新古今和歌集』の620番に収められたもので、大伴家持の作となっていますが、取られた『家持集』の信憑性や、鵲(かささぎ)を詠んだ和歌が『万葉集』時代には無いことなどから、彼の作品であるか疑われてもいるようです。もっともそれだけでは、彼の作品で無いと言えるほどの、確かな証拠でも無いようですが。

「鵲の橋」は、七夕の二人の出会いのために、鵲が橋を架けるという伝説にあやかって、銀河の流れを眺めて詠んだという説と、これは宮中の橋の例えで、そこに霜が降りているのを詠んだという説がありますが、どちらの意味も内包しているものとして鑑賞するのが、あるいはもっとも無難かとも思われます。

 それを言ったら、「霜の白きを」が喩えに過ぎなくて、冬の銀河などではなく、まさに夏の銀河の白銀をこそ、喩えたかったとする方が、七夕に絡んでは、はるかに相応しいくらいですから。