歌う百人一首 067番「春の夜の夢」
「春の夜の夢」は初恋の予感。
かどうかは知りませんが、恋の始まり頃に相応しい表現と思われてはいたのではないでしょうか。おなじ表現でも、『大和物語』のものは、こちらの和歌のように理知的傾向よりも、ストレートな心情を詠んでいます。それだけに、華やかではありませんが、その代わりどんな時に聞いても、ちっとも嫌にならない、素直な言葉の結晶になっているようです。
小倉百人一首067「春の夜の夢」
春の夜の
夢ばかりなる 手(た)まくらに
かひなくたゝむ 名こそ惜しけれ
周防内侍(すおうのないし)
[春の夜の夢くらいな
はかないあなたの手枕を借りて
意味もなく立ってしまうような
浮き名のうわさなんて残念です]
千載和歌集に収められた和歌で、その詞書きには、みんなで話をしているときに「枕が欲しい」と言う周防内侍に、藤原忠家(ただいえ)が自分の手を枕にどうぞと差し出したので、詠まれたものとあります。下句は「甲斐もなく立つうわさが残念」という意味ですが、腕のことを「かひな」というので、三句目に続けて腕枕の意味が込められてもいます。
差し出された手枕なんか借りて、うわさでもたってしまったら、何の甲斐もなくてただ残念ですという内容で、仲間内でくつろいだ会話のなかであればこそ、ちょっと冗談を込めて、手を差し出した相手の冗談に答えたものとしても良いでしょう。
ただ、もう少し深く捉えるなら、「春の夜の夢」といい、「甲斐もなく立ってしまううわさ」という表現といい、ここであなたの手枕を借りて、何の実利もないうわさが立ってしまうのは残念だけれど、本当に実体のある愛情であるならば、「名も惜しくはない」という読み取り方も出来そうです。
つまり「春の夜の夢のような頼りない手枕でうわさが立ってしまうのは嫌だけれど」の「春の夜の夢」の表現には、単なる機知だけではなく、恋心がひそんでいるのではないか。少なくともそう思わせることに成功しているようで……
ただあしらっただけでない、相手への心情が見え隠れするあたり、また上句から、「春の夜の夢」の話でも語り合ったような、印象がにじみ出てくるあたり、理知と心情のむすばれた和歌の姿を見ることが出来るかも知れません。
もちろん、そのように思わせる才能、つまり和歌の才能と、実際の心情が一致するものでないのは、今日の作詞家を眺めても、十二分に分ることには違いありませんから、これだけで恋心があると述べることも、そのような思いでなく機知で返したと述べることも、共に小学生の読書感想文の失態には違いありませんが。