たけを句集『雪月銃』について
亡くなった祖父が、まとめた句集で、おそらくは太平洋戦争に出兵していた時、手帳かなにかに記したものを、平成へと移り変わる頃に、改めて推敲したものらしい。戦後の句作も多くあったようだが、転居の際に大部分が行方不明になったと聞く。これも転居後、幼い頃わたしがよく遊んだ家で、あらためてまとめられたものだと思われるが、元となった手帳などは、見つけることは出来なかった。
平成の開始は1989年1月8日。冒頭には「昭和の果に記す」とあるが、あるいは昭和天皇が亡くなったのに触発されて、まとめたものを、そのように記したのではないだろうか。もっとも、私の知るままの祖父であれば、事務的に現実を記しただけなのかも知れない。あるいは、前年頃にまとめられたものが、たまたま歴史の移り変わりと重なっただけか。それともまとまり掛けていたものを、一つの時代の終わりに、完全なものにしたということか。そのあたりは分らない。
どの程度の手が、編纂時に加えられたのか、新しく詠まれた句があるかなど、今となっては分らない。もっとも生きていても、「そんなことは聞かれても分らない」と答えて、はぐらかされるような気もする。それに晩年は、私が誰かも分らないくらいだったから、生きていても、会話は成り立たないには決まっている。
ただ、戦時下の心境などは、詩情とはそぐわないものだから、今日残された、いわゆる「戦時中の俳句」などを眺めても、日常的な散文を窮屈に押し込めたようなものや、逆に、真摯な心情を伝えるべき所を、例の俳臭を漂わせて、汚らしい虚飾に委ねたような、お歴々の落書きが、立ち並ぶのが常であるが、それとは異質なもの。リアリズムと詩情の不思議に結びついている点、もしかしたら、後の推敲が影響しているのかも知れない。
なお題名の『雪月銃』は、祖父の付けた名称ではなく、祖父には似合わないような、空想的表現、あるいはファンタジーの気配のこもる、冒頭の一句から、わたしが勝手に命名したものである。いつの日か、故郷へ戻った際には、墓標に非礼をわびることになるだろう。
()で記した読みは、祖父の記したものだが、《》で記した読みは、わたしが加えたもの。間違いが無いとは言い切れない。また、句の下の注意書きや覚書も、私が加えた解説である。
たけを句集 『雪月銃』
うつろへる世に、こぞの雪解けて、新しき春の息吹に、花をゆづるが定めなれど、せめてもの空蝉のなぐさめ、あきつ島の古き傷跡を、つれづれなる句の柱影に、残し置くばかりなり。
昭和の果に記す
冬
雲は破(や)れ雪月銃を構へけり
[原稿には、小さく「初め月下の銃」と覚書がある。中七の「雪月銃」は、編纂の際に生まれたものか。他の句より、洒落た幻想性があるようで、わたしの知る祖父の精神とも異なる。冬から始めた点なども考えると、同じように異質な、秋の締めの句と呼応しているようにも思われる。]
子の骸《むくろ》抱《いだ》くが随《まま》に凍て付いたり
逃げ惑ふ道化の駒やはつ時雨
[兵を道化の将棋やチェスに見立てたものか。あるいは「初時雨」には、機銃掃射のようなイメージが込められているのかも知れない。]
枯れ枝の予備尽き暮れぬ飯盒地《はんごうち》
取はての蔦の跡さへかじり癖
[収穫をし終えた残り蔦を、空腹のためかじったということで、それが「かじり癖」になっている点、また「取り果て」と強調しているところが、慢性化したわびしさをかき立てる。]
撃止んで小春日和と分りけり
[句なら「なりにけり」とか「知りにけり」くらいにしそうなところを、「分りけり」としたところに、殺風景なリアリズムが込められているようだ。]
「枯木三句」
銃に持たれ朽ち木となりて崩れけり
構へして朽ち木の如く崩れけり
二三人枯木諸共弾飛
[最後の句は「もろともはじけとぶ」と読むものか、あるいは「もろともに」など加えるものか。一句目と二句目は、きわめて似ているので、あるいは推敲中に、どちらも捨てがたくて残したものかも知れない。むしろ、二句目が初めからあり、それを口語化したものが一句目で、けれども添削前のものも捨てきれなかった。そんな印象を受ける。それとも、以前の句のフレーズが気に入っていて、別の時に繰り返した類似の表現か。]
淡雪の道化は踊る照明弾
[この道化も、下五の「照明弾」から兵隊かと推察される。まさか敵を的にして「道化は踊る」とは詠まないだろうから、自分たちの哀れさを表わしたものだろう。]
友の血を眼に差して月の雪
[祖父は大陸に渡っていたと聞くから、中国の内地のどこかで、雪にあったものか、雪の句がいくつか残されている。日本ほど雪の盛んな国もないようだが、どの程度の雪を見たものかは知りようがない。]
冬花火生温きものゝ匂ひして
[殺戮の炎や爆撃を、花火に喩えたものか。あるいは夜の意味もこもるか。上五のために、現実の生々しさが遠ざけられ、スナップの情緒画のように差し替えられそうになるところ、続く「なまぬるき」はかえって不気味で、リアルからの離脱を拒むようにも思われる。]
自軍旗に鬼火の憑くや戦前
[「鬼火」は一般には季語とはされないようであるが、「狐火」の代理に冬に置かれたものか。吉兆か、凶兆かは分らないが、もう一つの「鬼火」の句を読むと、凶兆を示したように思われる。ただ「憑く」の漢字は、何ものかが憑依するイメージだが、絶対に悪いものを指すとも限らない。もしかしたら、旗に鬼火が見えたら軍神降臨のような、俗信があったのだろうか。]
ふるさとの雑煮思ひて豆袋
酌交す寒酒ひとつの別れ哉
[おそらく当時、酒などはあまり飲めなかったので、あえて「ひとつ」と強調したのではないだろうか。それとも、戦勝していた頃は、二杯も三杯も飲めたのに、もはや今は「一杯」の別れである。そんな意図が込められているか。]
爆心の肉片あさる寒烏
[時々、ぶっきらぼうなくらい、リアルな場面を描いた句があるが、同時にそれを突き放して眺める、冷徹な眼のようなものが、それを詩的な表現に昇華させていて、リアルでありながら、スナップを眺めるような気にさせられる。生々しい嫌みに落ち入らないため、句として鑑賞できるが、そんな眼差しを持った、彼の精神はどんなだろう。]
ぼろきれの傷の開きや寒の河
煮汁啜《すす》り三途河原を後戻
春歌は唱へずなりぬ陣中会
[状況は不明。もし、行軍手帳のようなものに記されていたのなら、その手帳の方があれば、いろいろ解説も出来そうなところ、残念ではある。そもそも陣中会とはなんであろう。句意は、もはや春歌を歌うような状態ではなくなってきたので、自ずから誰も、歌わなくなったという意味か。]
寒村の静寂に倦《う》み人捜し
[当然大陸の、つまり敵国の寒村で、相手国の住人を探したのだろう。単に立ち寄って、恐れられてひと気が消えたというより、中句の印象から、もはや人の存在しない寒村か。あるいはすでに廃墟となった村かも知れない。]
銃口に鬼火の憑くや生き絶える
[もう一つの「鬼火」の句。敵の銃口に火が見えて、仲間が倒れたのか、知人が亡くなったときに、彼の持っていた銃口に鬼火のようなものが見えたのか。ただ、句の表現に動的傾向が見られないので、戦闘中というよりは、死に際の銃口に、火が見えたように思われたという印象が増さるようだ。いずれ、独特な表現から、実景には聞き手の意識は向かわず、空想画のように「生き絶える」へと収束される。それでいて生々しさがある。]
春
後ろより刺し徹(とお)しては冴え返る
[時々ぞっとするような事を、句境を保ったまま言い放つのには驚かされる。以前、自分の習作の「即興曲第二番」の中にある「あの日の夕暮」で、この句集をパラフレーズして真似たときに、どうしても改編できなくて、そのまま掲載したことがある。(もちろん身内に甘えての事である。)その習作も、今あらためて眺めると、せっかくの句境を幼く貶めたものばかりで、何を求めた改悪やら、死者に済まないようなものである。]
焦土などほざくが春の事始
[句境を全うしているということは、日常臭い生の声は排除されている。という傾向を持つことになりそうだが、この中句などは、なかなか生の批判的精神が込められているようだ。もし手帳に記などして、上司に見とがめられたら、ただ事では済まなそうだから、あるいは後日、作句したものかと、わたしなどは邪推してしまう。]
しのゝめの機銃に染まるなごり雪
[これは機銃によって撃たれた血に染まるの意味か。]
瓦礫よりけぶり立ちけりわすれ霜
撃散らす吾を裁けや呼子鳥
[呼子鳥は一応春の季語とされるが、何を指すのか明確ではない。カッコウとする説もあるが、それだと夏の季語になりそうなところ。ウグイスやホトトギス、ヒヨドリなどを当てはめる意見もあるが、むしろ特定の鳥というよりは、特徴的な鳥の鳴き声などを、漠然と表現したもののようにも思われる。
おそらくこの句も、「子を呼び育てるべき鳥よ、人を撃つ我を裁けよ」くらいの意味ではないか。ただ、こんな主観主義の句は、老人としての祖父の姿しか知らないわたしには、まるで別人を見るような気がする。]
焼畑に根芋の種《たね》を盗みけり
[これは腹が減って、まだ植たばかりの種芋を盗み喰ったの意味。焼畑とあるから南方か。盗む方も悲惨かも知れないが、盗まれた方も悲惨である。そういう安っぽい情や倫理が排除されて、事実だけが記されているから、詩的に読まれるのだろう。]
新転地日長く友を聴問す
せがまれて春高楼を唄ふかな
[祖父が歌うところなどは、一度も聞いたことがないから、こんなシーンは思いもよらなかった。もっとも、当時は酒も煙草もたしなみ、しかもなかなかの酒豪だったようである。この句集に煙草は詠まれていないが、酒に関わるものは、句数に対してむしろ多いくらいで、わたしの知る、酒も煙草も嗜まない後年とは、別人のような快活な人だったのかも知れない。]
ふる里は花見桜か配給酒
補給路は花の祭の如くなり
花に酔ひて遠里《とほざと》の唄歌ふなかれ
[あるいは「とほざと」ではなく「えんり」と読ませたものか。時々酒と宴の句が顔を覗かせるのには、つい sympathy を感じてしまうが、実際のところは、きわめてまれな喜びのひと時だからこそ、句境が起こるだけのことかも知れない。自分が酒が好きだからといって、祖父までその仲間に引き入れようとするのは、さすがに失礼と言うものか。
それにしても、戦争中とはいえ、様々なものを見聞きし、経験したろうに、句集に収められた精神は、きわめて閉ざされている。これは他の詠み手でも同様だが、ここではむしろ、閉ざされたことに句集としての意義があるか。]
あまた降る花は無残に散にけり
若草を穢してぬめる血潮かな
[これも、描いている内容は、句になどなりそうもない、リアルな嫌らしさにあふれていて、普通この種の句を詠むと、不快感を生じるものだが、生々しい情景を残しながら、その日常的な心情が消え失せていて、句として詠めるのは不思議だ。それでかえって「ぬめる」の言葉が不気味に感じられるようなもの。写真ではなく、絵画にされたリアリズムの戦争画を眺めているような印象が、それに近いか。]
青柳の廃墟に立木残りけり
頼まれに友の終はりをさゝら雨
[「ささら雨」という表現は、細やかな雨が降る時、好んで祖父が使っていたので、てっきり当たり前の言葉かと思っていたが、ネットで検索すると、こんな言葉は出てこないようだ。あるいは春雨くらいのニュアンスか。
ちょっと分かりづらい句だが、亡くなる友に頼まれたのなら、「友の終わりを」とはならないから、「友の終わりを頼まれた」、つまり第三者に頼まれて、友人の最後を語ったときに、春雨が降っていたという内容かと思われる。]
蛆の這ふ屍《かばね》に添ふやおぼろ月
春の夜の見果ぬ夢の骸《むくろ》かな
[この二つの句などは、幻想性といったら当人に叱られるかも知れないが、私などには暗闇のファンタジーのようなものが感じられる。戦争の臨場感の中で、このような精神で詠めるものなのだろうか。普通なら、生々しい感情が、詩的表現を虚飾と見なして、積極的に排除する方向に向かうもの。もっと簡単に言えば、詩的表現などは憎むようになるから、兵隊の句などは、平時に詠むと、かえって詩にもならないような、不体裁な落書きへと落ちぶれてしまいがちである。さすがにこのあたりは後年の創作か。]
夏
赤紙を睨みつけして蝉時雨
夏冷の衰《すい》の戻らぬ体哉
餓鬼となりて夏虫さへも喰らひけり
マラリアに郷里の畦を歩(あり)きけり
[祖父がどこを転戦したのか、聞いたことはないが、最後は八丈島のあたりにいたという。暗号をやっていたと聞いたこともある。この句は、あるいは、転戦で中国から南方へ向かった時のものか。内容は、マラリアの熱でうなされて、夢に故郷のあぜ道を歩いたということだろう。郷里は「きょうり」と読むのが普通だが、「さと」なら字足らずだし、「ふるさと」なら字余りとなる。やはり大和言葉で「ふるさと」と詠むべきか、どれも意義があるように思えて決めがたい。]
沸きのぼる蛆を驟雨《しうう》で清めけり
[「沸きのぼる蛆」なんて表現は聞いたこともないグロテスクだが、実際に腕や脚をのぼってくるような、実体験したくないリアリズムも込められている。それを「驟雨で清めけり」と詠み放つのにはおどろかされる。この後半のおかげで、全体が日常表現から乖離して、詩興へと救い出されているが、同時に実景は保たれてもいるという仕組みだ。]
ガソリンに燃された腕のちぎれ哉
[それでも時に、ぶっきらぼうなくらい日常的になるのは、いくさの句集なら当たり前と言えば当たり前か。全体がこのような調子なら、詩としては嘔吐を催すくらいだが、時折顔を覗かせると、かえって句集全体の独自の雰囲気に、寄与しているようにも思われる。実際は無季だが「燃された」で夏の扱いか。]
芋粥を夢見てノミを潰しけり
日は盛り君衰えてうめき声
炎天下鍋付く蟻の焦にけり
雲の峰睨み潰して友軍機
[敵か味方かの意味か。あるいは待ちわびたの意味か。そういえば、レーダーの話なども聞いたことがあるような気がするが、今ではなにも覚えていない。不肖(ふしょう)の孫ではある。]
時に酔ふ隊長殿の裸舞
[あるいは句集全体でもっとも陽気な句か。酒の席では、戦時も変わらない愉快が垣間見られる。「時に酔ふ」には「時々」ではなく「その瞬間の幸福に酔う」ような意味がある、と読むのは解釈のしすぎだろうか。]
青蔦《あおつた》に君の屍《かばね》を沈めけり
[「君の」とあるのは、あるいは上司なのかもしれないが、むしろ親しい友人のように、今日では感じられる。掘る場所も力もないので、せめて蔦の影に、遺体を隠したということか。]
眠る友に螢の唄を捧げけり
[先の句に続いているので、やはり二句とも、ごく親しい友人に当てたものか。この話は知らないが、友人の隣でしゃべっていたら、いきなり友人だけ吹っ飛んで死んでしまったような話は、幼い頃に聞かされたことがある。]
秋
万歳にはためく盆の別れ哉
機銃止んで見知らぬ虫の声すなり
生き綱(づな)の研ぎ澄まされてきりぎりす
[「生き綱」詳細不明。戦争用語であろうか。それとも「命綱」くらいの意味か。きりぎりすはおそらく、古典の用法で、実際は虫の声くらい。それとも実際のきりぎりすだろうか。]
米尽きて野分にうなる獣かな
ぱらぱらと魂《たま》散る音や霧のうち
夜逃げして月に撃たれし初老犬
[軍から逃げた初老の男が撃たれたという意味か。初老犬は「しょろうけん」か。]
臭気焦げて風月の虚も繕へず
[これは句としては破綻している。詩的境地から逸脱しているが、その句の内容が、まさに事実を述べているところから、この句集がどれほど人工的に、つまり詩として詠まれてたものであるかが見えてくる。
あるいは生々しい散文的俳句や、イデオロギー丸だしの句などが、句の生命である詩興が損なわれ、後には詠まれなくなってしまう宿命を知っていて、逆説的にこのような句集こそが、当時のリアルな心情を、永遠に留めることが出来ると……「おじいちゃん」としての祖父しか知らない私には、彼がそれほどのロマンチストだったとは、どうしても思えないのだけれど。]
弓張や友の亡き名を殴り書
[「ゆみはりや」なんて雅語と、「殴り書」なんて俗語が、ぶっきらぼうに結びついているのには、ちょっとびっくりさせられる。]
赤漆《せきしつ》に彼(か)の血を混ぜていざよへり
[赤漆は、簡単に言うと赤く塗った後に、漆でコーティングしたもの。ここではさかづきか何か。「いざよへり」は、みやびの表現ではなく、もはや「十六夜月」の意味をなしていない。ただ酔ったように我を失うような印象を、込めたかったものと思われる。
この句は、めずらしく、例の偉大なるお歴々の表現と、似通ったところがあるように思える。心情よりも表現において増さっていると言えば分りやすいが、句集のなかの構成要素としては、バラエティに寄与している利点があるか。単独の作品として聞くか、あるいは他者の句作であれば、わたしはきっと糾弾しただろう。]
斉射(うち)止んで月にうごめく影法師
[機銃掃射かなにかが終わって、兵の影が動き出すというもので、こちらから撃ったものか、あるいは自らがうごめいたのか。不思議なくらいサイレント映画。]
連隊の怒濤の夢も冬隣
相撲(すまい)して友懐かしや集積地
[集積地も、集合地なのか、何かをまとめ置く処なのか不明。相撲は、平安時代に相撲節会が7月7日の七夕に催されていたので、秋の季語とされるが、ここで秋の後半に登場するのは、実際に相撲を取った時期を、それとなく織り込んだものか。]
遺言を衣嚢《いなう》に風の沁む身かな
[これは芭蕉の句に寄り添ったものだろう。衣嚢(いのう)はようするにポケットのことで、自分の遺言をしまっておいたのが、切実に風の冷たさに感じられるというものかと思われる。知人の遺言だと、十七字で閉ざされた調子にならないから。あるいは、痩せ細ってきたので、いよいよ遺言が痛切に感じられる、という思いを込めるか。もちろん正式なものではないだろうから、手帳などのメモ書きを「遺言」と呼んだものか。]
何食らふ犬数増えて冬隣
夕映えの鉄鎖にこびる血の匂
[「夕映え」も季語とはされないし、もし「夕焼」なら夏の季語だが、あえてここに置かれている。不気味な生々しさが、嫌みにならないのは、具体性を排除した、抽象的表現によるもの。だからこそ、句としてはかえって心に響いてくる。]
誰そ彼の逢魔《あふま》が魂《たま》の手招きよ
[冒頭の句と同様、祖父の他の句よりも、幻想性において勝る。それで最後に持ち込んだものと思われる。この句も、私は習作で改編して、
「あの日見た夕暮のなかの手招きを……」
と詠んだことがあった。不安をかき立てるような、なんだか分らない、呪術的な不気味さを、もとの句が宿しているのに、当時のわたしはまるで気づかないで、自分の表現が今日風なのだと思い込んでいた。浅はかを通り越して、滑稽な醜態ではある。ここに祖父に謝罪しつつ、解説を閉ざすものである。]
(をはり)