大和物語145段「浜千鳥」古文と朗読

大和物語145段「浜千鳥」古文と朗読

 大江匡房の『遊女記』にあるような、遊女たちの存在も、資料には残されることが少ないものの、貴族社会に近しいものではあったようです。また、和歌が巧みであった者などは、きわめて例外的に、勅撰和歌集に顔を覗かせたり、このように和歌と物語の融合物に逸話を残すこともある訳です。

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古文

 亭子(ていじ)の帝(みかど)[宇多天皇]、河尻(かはじり)[京から淀川を下る途中の港町。遊女の町としても知られた]におはしましにけり。うかれめ[遊女]にしろといふ者ありけり。召(め)しにつかはしたりければ、参りてさぶらふに、上達部(かんだちめ)、殿上人(てんじやうびと)、皇子(みこ)たち、あまたさぶらひ給(たま)ひければ、下(しも)に遠くさぶらふ。「かう遥かにさぶらふよし、歌つかうまつれ」と仰せられければ、すなはち詠み奉りける。

浜千鳥(はまちどり)
  飛びゆくかぎり ありければ
 雲立つ山を あはとこそ見れ

と詠みたりければ、いとかしこく愛(め)でたまひて、かづけもの[褒美としての衣類]賜(たま)ふ。

いのちだに
   心にかなふ ものならば
 何か別れの 悲しからまし

といふ歌も、このしろが詠みたりける歌なりけり。

現代語訳

 宇多天皇が、河尻(かはじり)に来られたときに、「しろ」という名の遊女がいた。人を使わして呼ぶと、参上して控えていた。上達部(かんだちめ)[おおよそ三位以上の貴族]、殿上人(てんじやうびと)[昇殿を許された人々]、皇子(みこ)[天皇の子たち]たちが、大勢参上していたので、下座(しもざ)の方に、天皇から遠く控えていた。

「そのように、はるか遠くに控えている理由を歌ってみよ」
と天皇がおっしゃるので、すぐに和歌を詠みあげた。

浜千鳥(はまちどり)
  飛びゆくかぎり ありければ
 雲立つ山を あはとこそ見れ

[浜の千鳥は
   飛んでゆく能力に 限りがありますので
  雲立つ遠くの山を あれは淡路島なのかなと
    眺めるばかりです]

[雲立つ山は、天皇貴族のいる殿上の比喩で、「あは」には「あれは」と「淡(あは)」(淡路島や阿波国など)の掛詞。浜千鳥を自分に喩えて、私の身分では殿上の頂であるあなたを、あれは淡路島かと、遠くから眺めるばかりです。と詠んだもの。]

と詠んだので、天皇は大変感心されて、褒美の物をくだされた。

いのちだに
   心にかなふ ものならば
 何か別れの 悲しからまし

[もし、命さえ
   思いどおりになるものならば
  どうして別れが
    悲しいということがあるでしょうか]

[けれども人の命は
    思いどおりにはならないもので
  次に会えるかどうかも分らないものだから
     こんなにも悲しい思いにとらわれるのです]

という和歌も、このしろが詠んだ和歌であった。

解説の前に

 139段では、おなじパターンで詠まれた和歌を、理知的なものと心情的なものとして並べて紹介しながら、物語に組み込むなど、和歌の教科書なのか、和歌と物語の融合の極地なのだか、その両方なのだか分らないような、すぐれた段を描いて見せた作者ですから、もちろんこの段のふたつ目の和歌も、なんとなくついでに紹介されたものではありません。

 すでに126段から128段にかけての「檜垣の御(ひがきのご)」を紹介した段では、貴族らに試される形で、おなじ鹿を詠んで、心情的な127段、理知的な128段を形成して、それを踏まえて、126段の主要ストーリーが置かれて、やはり即興で詠むというシチュエーションにおいて、理知的な技巧性と心情を融合させたような和歌を提示しています。

[理知寄り、心情寄り、というのは、この大和物語によく登場する「監の命婦(げんのみょうぶ)」と「としこ」のそれぞれの傾向でもあり、キャラクターの異なる二人が所々に登場することは、『大和物語』の統一性とバラエティーに寄与しているように思われます。]

 これによって、「檜垣の御」という女性歌人の、即興的な和歌の才能を紹介するというのが、この三段(現在の便宜上の段番号では)の目的であって、なんとなくスナックをつまみながら、せっかくだからこれも紹介しちゃおうかな、くらいのノリで、ついでに短い段を加えてみたものでは、全然ありません。

 しかも、それに続けて129、130段では「檜垣の御」ではなく、ただ「筑紫なりける女」の和歌が紹介され、「檜垣の御」の和歌を紹介し続けるようにも、おなじ筑紫に縁のある別の歌人の紹介に移ったようにも思わせながら、つまり段ごとの推移を込めながら、126段から130段までの全体を覆う「秋」の傾向を、131段で春と夏の境界線に切り返す戦略は見事です。(そうしてちょっと連歌的です。)ただここまで綿密な構成感は、この作者がはじめから完備していたものでもなく、『大和物語』の後半に入って、物語への関心が高まるのに合わせて、著しい成長を見せているようにも感じられます。

解説

 『大和物語』の後半においては、これほどに綿密にストーリーと和歌を組み込む作者が、ポテチに気を取られて、ついでに「命だに」の和歌を書き加えるということは、まずあり得ません。この段のメインは、貴族に試される下々の歌人の即興的力量の提示にあり、しかもここでは「ウグイスの鳴かない理由」のような自然から情緒を得られやすいお題では無く、「下座に控えている理由を詠め」というものですから、実際はきわめて難しく、和歌も理知的な傾向に落ち入りがちで、それをうまく情緒との折り合いを付けた「浜千鳥」についても、「この状況をよくまとめた」という素晴らしさは籠もりますが、シチュエーションから引き離してしまうと、それほど大した和歌でもありません。

 ですから、これだけだと「状況に応じて巧みな歌人のエピソード」くらいで、幾分軽佻(けいちょう)な紹介に終わってしまいそうですが、知的傾向(ここでは和歌の技巧性では無く、解釈においてですが)を込めながらきわめて深い心情を宿した秀歌を、先のエピソードに続けて紹介することによって、これほどの和歌を詠む女性が、即興的な歌人としての力量も備えていたエピソードとして、この段の内容は、ずっと深いものになっている。それが作者の狙いかと思われます。

 さらに次の段で、やはり貴族の前で和歌を詠まされる遊女のストーリーが展開されます。そこに登場する「大江の玉淵が娘」というのは、「しろ」と同一人物という説もありますが、そうであれそうでなかれ、次の段との関連で眺めてみると、またいろいろと面白そうですが、今はこれまで、そろそろ秋の風が吹いてまいりました。