大和物語142段「いのち待つ間のほどばかり」

大和物語142段「いのち待つ間のほどばかり」

 不思議と前半の41段のひたむきな記述法が思い返される段で、面白みのあるエピソードに埋もれて、それほど注目されるものでもありませんが、けれども『大和物語』全体の精神を規定しているのは、、このような華の無い、しみじみとした段であるかと思われます。そうして足を止めて、眺めるほどに、その精神と表現方法において、その深い味わいが、思い知らされるようなものには違いありません。とは言うものの……

 解説、一筆書きで、丁寧に読み返していないので、
  分りにくかったらごめんなさいということで。

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古文

 故御息所(みやすどころ)[人物不明、物語の架空の人物か?]の御姉(あね)、おほいこ[長女]にあたり給(たま)ひけるなむ、いとらう/\じく[品位がある、気品がある]、歌詠みたまふことも、おとうとたち[弟・妹どちらも指す]・御息所よりもまさりてなむ、いますかりける。

 若き時に女親(めおや)は失せたまひにけり。継母(まゝはゝ)の手にいますかりければ、心にものゝかなはぬ時もあり。さて、詠みたまひける。

ありはてぬ
  いのち待つ間の ほどばかり
 憂きことしげく なげかずもがな

となむ詠みたまひける。
 梅の花を折りて、また、

かゝる香の
  秋もかはらず にほひせば
 春恋ひしてふ ながめせましや

と詠みたまひける。

 いとよしづきて[由緒ある風、趣がある]、をかしくいますかりければ、よばふ人もいと多かりけれど、返りごともせざりけり。「女といふもの、つひにかくて果てたまふべきにもあらず。時々は返りごとしたまへ」と、親[=父親]も継母も言ひければ、責められてかくなむ言ひやりける。

思へども かひなかるべみ
  忍ぶれば つれなきともや
    人の見るらむ

とばかり言ひやりて、ものも言はざりけり。かく言ひける心ばへ[心の有りよう、気性]は、親など「男あはせむ」と言ひけれど、「一生に男せでやみなむ」といふことを、世とゝもに[常々くらいの意味]言ひけるもしるく[「~もしるく」で、予想通りで、その通りで]、男もせで、二十九にてなむ、失せたまひにける。

現代語訳

 今は亡き御息所(みやすどころ)[人物不明、物語の架空の人物か?]の姉(あね)、長女にあたる方は、たいへん気品があり、和歌を詠むことも、兄弟たちや御息所よりもずっと優れていらっしゃった。

 若いときに女親は亡くなられ、継母の手に育てられたので、内心では思うようにならないこともあって、このように和歌を詠まれた。

ありはてぬ
  いのち待つ間の ほどばかり
 憂きことしげく なげかずもがな

[ずっとはいられない
   いのちを待つ間の ことくらいは
  辛いことが多くて 嘆くことがなければいいのに]

[「ありはてぬ」は「ずっとは生きられない」で、もとは『古今和歌集』の平貞文の和歌。職を失った時のもの。]

と詠まれたのである。また梅の花を折り取って、

かゝる香の
  秋もかはらず にほひせば
 春恋ひしてふ ながめせましや

[こんな香りが
    秋まで変わらず 咲き匂うならば
  春が恋しいなんて 眺めたりすることもないでしょう]

とお詠みになった。

 大変気品のある、美しい女性だったので、求婚する男もたいへん多かったが、返事すらしなかった。「女というものは、ついに一人のままで、結婚もせずに死んでしまうものではないのだから、時々は返事くらいはしたらどうか」と、父親も継母も言ってくるので、言い責められて、このように和歌を詠んで返した。

思へども かひなかるべみ
  忍ぶれば つれなきともや
    人の見るらむ

[その人を思っても 報われないという理由で
   黙ってしのんでいると 愛情のない女だと
     他の人は見るのでしょうか]

とだけ詠んで、口をつぐんでしまった。このように言う彼女の気性は、親が夫をと言っても「一生男とは付き合わない」ということを、常に言っていたようなものだけれど、まさに彼女の言葉のとおり、男も作らずに、29歳で亡くなられてしまったという。

youtube上の解説

 『大和物語』の作者は、段によっては、必要最小限の表現で、行間を読ませるような、和歌の読解に結びつくような物語を構成しますが、ここでも最小限度の表現で、女性の複雑な心理状態を描き出しています。

 まず、はじめの和歌までの部分で、若いときに母が亡くなって、継母の手で育てられたので、心の自由にならないこともあって、このように和歌を詠んだと説明されますが、これがこの段のテーマとなります。

 詠まれた和歌は、「生きている間くらい、憂鬱なことで嘆きたくないのに」というもので、続いて梅の花を折って、「このような香りが秋まで咲き続くなら、春が恋しいなんて眺めないでしょうに」というもの。はじめのテーマから、「春が恋しい」というのは、死んだ実の母親を指していて、それが散ってしまった現在の心境を示しています。

「秋もかはらず」という表現から、「変わってしまった母親という存在」つまり継母を対比させていると捉えてても良いでしょう。ここまでが、いわば彼女の境遇を提示していて、後半部分の結婚するように言われても、男を作らずに二十九才で亡くなったと物語は展開します。

 はじめの二つの和歌まで丁寧に彼女の心境が描かれていることによって、男をつくって結婚しないのが、理由は散文で描かれないながらも、実の母が亡くなり継母の手で育てられたことと関連付けられます。

 三首目の和歌は、ストーリー構成上優れたもので、父と継母に糾弾されての返事としては、「思っても甲斐のないような相手なので黙っていると無関心だと思われます」なんて、誰かを好きであるかのように見せかけながらも……

 実際は「母のこと、継母のこと、夫婦のこと、子供のこと」など自らの境遇について、自分でも甲斐がないとは知りながらも思っていても、あなた方に話すことは出来ないので黙っていると、無情だとか無関心だとか、あなた方は見るのでしょうけど。というような複雑な心理状態を描き出しています。だからこそ、「とばかりいひやりて、ものもいはざりけり」とかたくなな女性の姿が描き出される訳です。

 そのかたくなな心は、最後に明確に「一生に男せでやみなむ」という表現で提示され、継母からどのような仕打ちをされたのか、あるいはそうでは無くて、女性の感受性が豊かすぎただけなのか、駄文小説なら数巻をもてあそびそうなテーマには、ひと言も触れずに、ただ事実として二十九で亡くなったと、物語を閉ざしているのがリアルです。

 もう一つ、これは読解というよりは、むしろ段の空気のようなものですが、一つ目の和歌の「ありはてぬ命まつ間の」という表現から、どことなくこの女性が病弱だったのではないかという気配がしてきます。それは、早くに亡くなった母親のイメージや、「秋もかはらずにほひせば」の印象、そして実際に29才で亡くなってしまう現実からもたらされ、最後の三つめの和歌を、「早くに亡くなってしまうから、誰かとむすばれることは出来ません」、また自分のような子供が出来てしまうから、とでも詠まれたかのように、わずかに思わせたりもするのです。

 それが正しいかどうかはともかく、あれこれと深く思いを量りたくなるような、それでいて量りきれないような、複雑な心理を描き出して、全体はしみじみとしてもの悲しいようなショートストーリーを、ここまで切り詰められるのは和歌のおかげでもありますが、和歌を自在に操るような、執筆者の能力の高さが際立ちます。

解説

 一首目の和歌が知られた『古今集』の平貞文のものであること。三首目の和歌が、結ばれ得ない人への秘めたる恋の様相であること。また、諸本によって「この歌ども皆古事に成りたる」などの表現が、末尾に加えられている事などから、知られた和歌を利用して、歌物語としたものと思われます。

 もちろん、このストーリーと和歌の融合が執筆者の創作なのか、ある程度の参照を元にまとめられたものかは不明ですが、完成された作品の密度の高さを考えれば、この言葉で描き出された事こそが、この段の価値のすべてであると言えるでしょう。

 きわめて密度の高いこの短編は、三つの線から成り立っていると思われます。まずは段のテーマとしての、継母に育てられた女性が、おそらくは父親と継母と自分との関係から、家族関係、あるいは夫婦というものに対する、ある種の不信感や嫌悪感のようなものを持ってしまい、一生をひとりで終えるというもの。

 和歌では掛詞という言葉だけが、両義性を持つキーワードとして一人歩きがちですが、実際はひとつの和歌が、異なる解釈を折り込んでいたり、情景を詠んでいるのか心情を詠んでいるのか、二つの意義のままに一つの文脈に落とし込んで、まさに詩的な領域を模索したりと、多義性というものが、重要なポイントになっているのですが、この『大和物語』の作者は、その多義性をストーリーに折り込んでいるとしか思えない段が、いくつも見られます。

 この段のもう一つのテーマも、言葉では(病弱などとは)明示化されませんが、明確に作者の意図にあって、それを決して明言しないことによって、おもむきとか余韻に寄与するようなこと、この段の情景の空気感のようなものを、川床の様相が水面の精神を彩るみたいにして、あるいはバロック音楽の通奏低音みたいにして、支えているように思われます。

 それが[youtubeの解説]で最後に記した、この女性が長くは生きられず、あるいは自分でもそれを悟っていたというもので、掲載された三つの和歌は、継母に関する主要テーマで解釈が成り立つのと同程度、主要テーマとは関わりなく、若くして亡くなるというサブテーマでも、解釈が全うされます。

 それどころか、実際は主要テーマの方は、ストーリーの助けを借りて、幾分知的な解釈で、つじつまを合わせて組み込まれたもので、むしろ理知的な結びつきが強いのですが、サブテーマの方は「自らの命の短さを知るもの」の和歌として眺めると、きわめて情緒的に、すんなりと受け取ることが出来るようです。

 つまりは、心情的に受け取られやすい、感じ取られやすいものだから、それは表には出さないで、表面上はある女性の継母に対する、あるいは家族関係に対する、ある種の葛藤だけを描き出すことによって、「描かれている内容だけにしては、なんでか深みがある不思議な物語」を描き出すことに成功していて、それをよく吟味して、二つのテーマの絡み合いが感じられれば、不思議な感じからは解き放たれるものの、ますますこの段の魅力にはまってしまう。

 ただこの段には、もうひとつテーマというか、当然ながら大切な線が存在していて、それはこれらのプロットは、提示される和歌の流れが、すべて優れたものでないと、たちまち破綻してしまうという、きわめて当たり前のものなのですが。

 作者はここでは、それを水面下の仕事としてはせずに、冒頭にすぐれた歌詠みであったと明示することによって、「彼女の優れた和歌を紹介する段」という体裁を、実際に相応しい和歌を選び取って、全うしている。これによって、『大和物語』の優れた和歌を紹介するという、根本的なテーマに乗っ取るだけでなく、その意義を積極的に物語に内包させることに成功しているように思えます。

 この三つの線ということを考慮に入れて、はじめの和歌が詠まれるまでを眺めてみましょう。

 冒頭の登場人物の紹介に、彼女の慎み深さといった性格と共に、優れた歌詠みであることが紹介され、続けて若くに母親は亡くなったことが、継母の手で育てられて、思いの叶わなかったことが紹介され、和歌が詠まれるという流れなのですが、ここまで必要最小限の表現だけを極め、わずかでも余分な言葉はすべてそぎ落として描き出すような態度は、もとより言葉足らずの描き出すべき表現ではなく、むしろ言葉のmagicianとでもいうべきもの。

 つまり和歌での、驚異的な言葉の洗練を、物語にさえ持ち込もうとでもしたかのような、切り詰めた、けれども決して語りの魅力を踏み外して、意義の紹介や、あらすじに落ち入ったりはしない、魅力的な表現になっているようです。

 そうしてサブテーマに関する部分は、意図的に背景に委ねられますが、ここでは冒頭の「故御息所」や「いますかりける」といった過去に委ねる表現から、今は亡き人のイメージとして、悟らせるほどのものでもありませんが、ただ「わかき時に女親(めおや)はうせたまひにけり」という表現が、物語の締めくくり、

二十九にてなむうせたまひにける

と親子そろって短命であったことの、表現上の輪が閉ざされているように思われます。

 いずれ冒頭の内包するテーマを含めつつ、それ以外のことは何も語らない密度の高さには驚かされますが、それが二つ和歌を紹介した後の、中間部分になると、親の言葉が入って来て、いわば劇の動き出すような、動的でありながら、最後の和歌を提示するための情景を、やや時間を掛けて描き出す部分へと移行して、最後の切り詰めた取りまとめで段を閉ざすまでの、和歌を交えたその言葉には、ひと言すらの無駄も無く、ショートストーリーとしても、詩と散文の融合としても、驚異的と言っても差し支えないくらいのものではあります。