「大和物語103段」現代語訳と朗読

「大和物語103段」現代語訳と朗読

 この物語、平中[平貞文(たいらのさだふん・さだふみ)(?-923)]の知られた逸話に基づくようで、どうにもならない障害が重なって、思い詰めた恋人が尼になってしまう展開を見せますが、一方では「色好み」の彼が、「なでふ、かゝるすき歩(あり)きをして、かくわびしき目を見るらむ」「かゝる障(さは)りをば知らで、なほ、たゞいとほしさに言ふとや思ひけむ」など、やはり「色好み」の女性たちのひとりくらいにしか、愛情を持っていないではないかと思わせる台詞もあり、物語の展開と心理的なリアリズムのバランスが見事です。

現代語訳

 平中(へいちゅう)[平貞文(たいらのさだふん・さだふみ)(?-923)]が恋多き頃に、みやこの市[東市と西市があり賑わっていた]に出かけた。当時はみやびな人たちは、市に出かけて、恋を求めていたのだった。その日は、今は亡き后の宮(きさいのみや)[宇多天皇の皇后である藤原温子(おんし/よしこ)]につかえる宮女たちが、市に出ていた日だった。

 平中は、恋ごとを仕掛けて、非常に熱心に言い寄るのだった。その後で、手紙を送る。女たちは「車に乗る人は多いものを、誰に寄こした手紙でしょう」と言うと、男から、

もゝしきの
  袂(たもと)の数は 見しかども
 わきて思ひの 色ぞ恋ひしき

 そう詠んだのは、武蔵の守の娘にあたる女性に対してだった。彼女は、大変濃い掻練(かいねり)[「掻練・皆練」練(ね)ったり敲いて柔らかくした絹着物。紅色、濃紫を差すことが多い。または、表裏共に紅色の かさねの色目の名称]の着物を来ていた。彼女をと思って出した手紙だった。

 その結果、その武蔵の守の娘も、後には返事をして、付き合うようになった。彼女の姿は整っていて、髪も長く、美しい若者だった。たくさんの人が言い寄ってきたけれど、気高くあって男を作らないでいたのだったが、平中があまり熱心に言い寄るので、ついに逢って一夜を共にしたのだった。

 その翌日、平中は手紙も寄こさず、夜になっても音沙汰もない。女は憂うつな気持ちで夜を明かして、また次の日に待っても、手紙も来ない。その夜も、心待ちにしていたが、翌朝になると、彼女に使える者らが、「とても不切実な行動をすると、聞いていたとおりの人です。事があってお会いになってから、もしご自身になにか支障があったとしても、手紙をさえ送ってこないのは、本当にやりきれないことです」などと、あれこれと言う。みずから思っていることを、人も言うので、憂うつなだけでなく、とても悔しい気持ちがして、彼女は泣くのだった。

  その夜、「もしかしたら」と思って待つけれど、また来ない。
   次の日も、手紙も寄こさない。
  なんの音沙汰もなく、五日六日が経った。

 この女は、声に出して泣くばかりで、食事も取らない。仕える人らは、「そんなに思い詰めないでください。これくらいで、恋をあきらめるような身ではありません。誰にも知らせないで、この恋は終わりにして、また別の恋をもしましょう」と言うのだった。

 しかし、答えもしないで、うちに籠もってしまって、仕える人にも姿を見せない。ついには、大変長かった髪を掻き切ってしまって、尼になってしまったのだった。仕える人々は、集まって嘆くのだったが、もうどうしようもない。彼女は「とても憂うべき身の上ならば死のう、とは思ったけれど死ぬことも出来ず。せめてこのように尼になって、せめて仏門に励みましょう。騒がしくそのように、皆さん言い騒がないように」と言うのだった。

 このようになった訳は、平中は、二人の会った翌朝、誰か来たと思っていると、自分の上司が突然、用事があったからと立ち寄って、まだぼんやりしている平中をたたき起こして、「いつまで寝ているんだ」といって、気晴らしに行くぞと、遠いところまで平中を随行させて、酒を呑み、騒ぎまくるなどして、家に帰してやらなかった。[日数にして3日くらい。原文「遠き所に」など配慮が行き届いている。]

 ようやく帰るとすぐに、宇多院のお供として、大井に出かけなければならなくなり、そこでまた二晩お供をするうちに、酔い潰れのようになってしまった。

 夜も更けて、帰れるというので、彼女のもとに行こうとするも方違え(かたたがえ)で、みな違う方角へ、宇多院を出た貴族たちが、共だって向かうので、これに従うしかなかった。

「彼女はどれほど頼りなく、不誠実だと思っているだろう」と恋しさがつのるので、「今日こそは、早く日が暮れて欲しい。行って事の次第をみずから伝えよう。それだけでなく、手紙も送らなければ」など、酔いも覚めて考えていると、誰かが来て、門をうち叩く。

「誰か?」と問えば、「尉の君(じょうのきみ)[平中のこと]に伝えることがある」と言う。表を覗くと、彼女の家の侍女だった。不安な気持ちになって、「さあこちらに」と言って、渡された手紙を開けば、たいへん香りの良い和紙に、切った髪の毛を軽く輪のようにして、包んであった。あまりの不安で、書いてあることを読めば、

あまの川
  空(そら)なるものと 聞きしかど
    わが目のまへの なみだなりけり

と記されていた。
 尼になってしまったと分って、目の前が真っ暗になる。動揺を抑えきれずに、使いの女性に尋ねれば、「早くも髪の毛を下ろしてしまいました。ですから、家の婦人たちも昨日も今日も、泣き惑ふばかりで、下々の私でさえも、胸が痛くてなりません。せめてもこの髪の毛を……」と言って泣き出すので、男は心を押しつぶされるような気持ちだった。「なんでまた、喜ばしいはずの恋を求め歩いて、このようなわびしい気持ちにさせられるのか」と思ったが、なんの甲斐もない。泣きながら、返歌をしたためた。

世をわぶる
  なみだ流れて はやくとも
    あまの川には さやはなるべき

「あまりのことで、何も記すことが出来ません。私自身がすぐに参ります」と、手紙に記すのだった。こうして、平中はすぐに彼女のところにやってきたが、その時彼女は、壁で覆われた部屋に籠もってしまっていた。事の次第や、連絡を出せなかった障害についてなど、仕える人々に言いながら、平中は泣くばかりだった。「せめて言葉だけでも伝えたい。返事だけでもしてくれ」と、閉ざされた扉にむかって言うのだったが、返事すらもはやないのだった。

 本当にどうしようもない事情があったというのに、彼女はただ、同情から嘘を言っていると思っているのだろうか。と考えると、このようなむなしくも希なことはないのだ。平中はそうかみ締めたりもするのだった。

古文

 平中(へいちゆう)[平定文(たいらのさだふん・さだふみ)(?-923)]が色好みけるさかりに、市(いち)に行きけり。中ごろ[大過去と現代の間、当時はくらいの意味]は、よき人々、市に行きてなむ、色好むわざはしける。それに、故后の宮(きさいのみや)の御(ご)たち[身分のある女性を指して、婦人たち、彼女たちといった意味]、市に出でたる日になむありける。

 平中、色好みかゝりて、になう懸想(けさう)しけり。のちに文(ふみ)をなむおこせたりける。女ども、「車なりし人は多かりしを、誰(たれ)にとある文にか」となむ言ひやりける。さりければ、男のもとより、

もゝしきの
  袂(たもと)の数は 見しかども
 わきて思ひの 色ぞ恋ひしき

と言へりけるは、武蔵(むさし)の守(かみ)のむすめになむありける。それなむ、いと濃きかいねり[「掻練・皆練」練(ね)ったり敲いて柔らかくした絹着物。紅色、濃紫を差すことが多い。または、表裏共に紅色の かさねの色目の名称]着たりける。それをと思ふなりにけり。

 さればその武蔵なむ、のちは返(かへ)りごとはして、言ひつきにける。かたち清げに、髪長くなどして、よき若人(わかうど)になむありける。いといたう人々懸想(けさう)しけれど、思ひあがりて[誇りを持つ、プライドがある。現代のように悪い意味は持たない]、男などもせでなむありける。されど、せちによばひければ逢ひにけり。

 その朝(あした)に、文もおこせず。夜(よる)まで音(おと)もせず。こゝろ憂(う)しと思ひ明かして、またの日待てど、文もおこせず。その夜(よ)、した待ち[下待つ。心待ちにする、密かに待つ]けれど、朝(あした)に、つかふ人など、「いとあだ[不誠実な]に、ものしたまふと聞きし人を、あり/\て、かく逢ひたてまつりたまひて、みづからこそ、いとまも障(さは)りたまふありとも、御文をだに奉(たてまつ)りたまはぬ。こゝろ憂きこと」など、これかれ言ふ。心地(こゝち)にも思ひゐたることを、人も言ひければ、こゝろ憂く悔(くや)し、と思ひて泣きけり。

  その夜、「もしや」と思ひて待てど、また来ず。
   またの日も、文もおこせず。
  すべて音もせで五六日になりぬ。

 この女、音(ね)をのみ泣きて、ものも食はず。つかふ人など、「おほかたは、な思(おぼ)しそ[「そんなに思い詰めないで」くらいの意味]。かくてのみ止(や)みたまふべき御身にもあらず。人には知らせで止みたまひて、ことわざ[異なる技で、別の恋くらいの意味]をもしたまうてむ」と言ひけり。

 ものも言はで、籠(こ)もりゐて、つかふ人にも見えで、いと長かりける髪をかい切りて[掻き切って]、手づから[自分の手で]尼になりにけり。つかふ人、集まりて泣きけれど、言ふかひもなし。「いとこゝろ憂き身なれば死なむ、と思ふにも死なれず。かくだになりて[「だに」は「せめて」くらい。せめてこのように尼になって]、行ひ[仏道のこと]をだにせむ。かしがましく、かくな人々言ひ騒ぎそ」となむ言ひける。

 かゝりけるやうは、平中(へいちゆう)、その逢ひけるつとめて[翌朝]、人おこせむと思ひけるに、つかさのかみ[自分の務める役所の長官]、にはかにものへいますとて、寄りいまして、寄り臥(ふ)したりけるを、おひ起こして、「いまゝで寝たりける」とて、逍遥(せうえう)[気ままに歩く、だが「レクリエーション」くらいの意味]しに遠き所に率(ゐ)ていまして、酒飲み、のゝしり[大声で騒ぐ、くらいの意]て、さらに帰したまはず。

 からうじて帰るまゝに、亭子(ていじ)の帝(みかど)[宇多天皇、実際は譲位しているので宇多院]の御ともに、大井(おほゐ)に率(ゐ)ておはしましぬ。そこにまた二夜(ふたよ)さぶらふに、いみじく酔(ゑ)ひにけり。

 夜(よ)更けて帰りたまふに、この女のがり行かむとするに、方ふたがり[方違(かたたが)え。その方向へ行くのは不吉だとされる]ければ、おほかたみな違(たが)ふ方(かた)へ、院(ゐん)の人々類(るい)していにけり。

「この女、いかにおぼつかなく、あやしと思ふらむ」と恋しきに、「今日だに日もとく暮れなむ。行きてありさまもみづから言はむ。かつ文(ふみ)をやらむ」、酔ひさめて思ひけるに、人なむ来てうち叩く。

「誰(た)そ」と問へば、「なほ、尉(ぞう)の君[平中の職場の役職が、尉(じょう)の位にあったのでこう呼んでいる ]にもの聞こえむ」と言ふ。さしのぞきて見れば、この家の女なり。胸つぶれて、「こち来(こ)」と言ひて、文を取りて見れば、いと香(かう)ばしき紙に、切れたる髪を少しかいわがねて[「輪がねて」輪の形にして]包みたり。いとあやしうおぼえて、書いたることを見れば、

あまの川
  空(そら)なるものと 聞きしかど
    わが目のまへの なみだなりけり

と書きたり。尼になりたるなるべしと見るに、目も暗れぬ[前の前が暗くなった]。心きもをまどはして、このつかひに問へば、「はやう御髪(みぐし)おろしたまうてき。かゝれば、御(ご)たちも昨日今日(きのふけふ)いみじう泣きまどひたまふ。下衆(げす)[身分の低いもの、使いの女が自分のことを言っている]の心地(こゝち)にも、いと胸いたくなむ。さばかりに侍(はべ)りし御髪(みぐし)を……」といひて泣く時に、男の心地いといみじ。「なでふ、かゝるすき歩(あり)き[恋を求めて歩き回る]をして、かくわびしき目を見るらむ」と思へどかひなし。泣く/\返りごと書く。

世をわぶる
  なみだ流れて はやくとも
    あまの川には さやはなるべき

「いとあさましきに、さらにものも聞(きこ)えず。みづからたゞ今まゐりて」となむ言ひたりける。かくて、すなはち来(き)にけり。そのかみ[当時、その頃/(話題になった時点で)その時。147段『生田川』で印象的に使用されている言葉でもある]、女は塗籠(ぬりごめ)[壁で覆われて、板戸で出入りする部屋]に入りにけり。ことのあるやう[これまでの顛末]、さはりを、つかふ人々に言ひて、泣くことかぎりなし。「ものをだに聞こえむ。御声をだにしたまへ」[せめて話だけでもしたい、せめてお声だけでも、の意味]と言ひけれど、さらにいらへ[返事]をだにせず。

「かゝる障(さは)りをば知らで、なほ、たゞいとほしさに言ふとや思ひけむ」とてなむ、男は世にいみじきことにしける。