以上の総括として
言えることは 一番はじめの詩は、その刹那に信じた真実を唄ったものではなく、言葉の虚飾をもてあそんで、それらしい体裁に整えたからこそ、虚飾の体裁の似合うお化粧の世の中には、ありきたり詩らしく思われ、それ以外のものは、素朴な心情の吐露より出発したが故に、虚飾にあふれたお化粧の世の中には、不体裁なものに思われて、ひからびちまった情緒をもてあそび、与えられたお涙に酔いしれる鶏どもからは、倦厭される………
女もすなる日記といふものを男もしてみむとてするなり
言えることは 一番はじめの詩は、その刹那に信じた真実を唄ったものではなく、言葉の虚飾をもてあそんで、それらしい体裁に整えたからこそ、虚飾の体裁の似合うお化粧の世の中には、ありきたり詩らしく思われ、それ以外のものは、素朴な心情の吐露より出発したが故に、虚飾にあふれたお化粧の世の中には、不体裁なものに思われて、ひからびちまった情緒をもてあそび、与えられたお涙に酔いしれる鶏どもからは、倦厭される………
あるいはまた攻撃的な 鶏小屋の真実を真実と見なす鶏しか居なくなったとき、鶏小屋の真実が真実となって、小屋など存在しない、鶏の真実は穢されて、いびつなにせものと罵られ、消されゆくものには違いありません。それでもなお、悪あがきする鳥の一羽くらい、暴れ回るのが詩なのかも知れませんね。 わたしではなくあなた Ⅰ その人の言葉だけが 真実のように思われて ただ、その人の落………
それは不体裁な姿して けれどもわたしだけには、本当のたったひとつの歌だから。どれほどの嘲弄にもてあそばれても、譲ることの出来ない信念なのかも知れません。それは例えば、 星の果 あの日あなたを 抱きしめておけばよかった 秒針はあの日と 変わらない刻みをしたけれど あなたはいつしか 別のあなたに わたしもいつしか 別のわたしになって それでもいつま………
あるいはにせものの詩について 真の心情からではなく虚飾の生ぬるい精神から生みなされた詩の、本質的な嫌みということについて説明しようと思って、わざと作ってみた詩。それを作りっぱなしで、どのように説明しようとしたのか、すっかり時期を踏み外してしまったので、とりあえず掲載だけして置こうというもの。化粧品まみれのこの手の落書きなら、今の世こそ大量にあふれているには違いありません。そうして本当の心な………