「大和物語46段48段54段」古文と朗読

「大和物語46段48段54段」古文と朗読

 現在の流行歌の歌詞が、心情を伝えることを一番の目的としたものであるならば、あまりにも修飾とあそび心に満ちすぎているように思えながら、結局は思いを伝えることを、本質として宿しているように、当時の和歌もまた、今の私たちには修飾と言葉遊びに過ぎたもののように思えたとしても、すこしその内側に入ると、日常の様々な心情を、それぞれに表明することを、核心に宿していることが分ってきます。

 ここでも、四十六段の和歌は、男の言葉を突っぱねるような調子があり、四十八段のものは、天皇ならではの、不安のない安心した、おおらかな、のほほんとしたような、相手への思いにあふれています。そうして、五十四段のものは、博打打ちならではの、陰気に沈まない達観のようなものが感じられて、それぞれにトーンが異なっています。

 そうして、言葉遊びが先に立つのではなく、まず思いがあって、その心情を伝える目的を踏まえた上で、表現上のユニークを競うのは、まさに今日の流行歌の歌詞とおなじ、生きた詩であるからに他なりません。それが、初めの心情を忘れがちに、表現と頓知に邁進して、エゴの模造品に仕立て上げる、例の着想品評会の提出作品とは、異なるところだと言えるでしょう。

 では今回は、そんな心情の違いに注目して眺めていきましょう。

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大和物語四十六段『いそのかみ』

現代語訳

 平中(へいちゅう)[平定文(たいらのさだふん)(871-923)]が、閑院の御(かんいんのご)と呼ばれる更衣(こうい)[女御の下に位置する後宮の女性]との仲が絶えてから、しばらくしてから逢った後に、和歌を贈るには。

うちとけて 君は寝つらむ
   われはしも 露のおきゐて
 恋にあかしつ
          平定文

[霜が溶けるようにくつろいで
   あなたは寝ているのでしょう
     わたしはあるいはみずからの涙でしょうか
  霜露に濡れながら起きていて
    あなたへの恋にさいなまれています]

 女からの返し、

白露の
  おきふし誰を 恋ひつらむ
    われは聞きおはず いそのかみにて

[白露が置かれるなかを
   起きては伏して 誰を恋い慕っているのでしょう
     わたしは聞く耳を持ちません
   「石上(いそのかみ)ふる」の女ですから]

古文

 平中(へいちゆう)、閑院(かんゐん)の御(ご)に絶えてのち、ほど経て逢ひたりけり。さて、のちに言ひおこせたりける。

うちとけて 君は寝つらむ
   われはしも 露のおきゐて
 恋にあかしつ

 女、返し、

白露の
  おきふし誰を 恋ひつらむ
    われは聞きおはず いそのかみにて

和歌の解説

 平中(へいちゅう)こと平定文(たいらのさだふん)(871-923)は、歌人としても知られるが、当時はなにより、色事の達者として有名だったらしく、在原業平(ありわらのなりひら)(825-880)を主人公としているともされる「伊勢物語」に対して、平中が主人公かとされる「平中物語(へいちゅうものがたり)」が残されているくらい。ここでの彼の和歌も、さりげなく読み流して、なかなか味わいのあるものだが、内容は分りやすいので解説は省略。むしろ二つ目の和歌に注目してみよう。

 まず結句の「いそのかみ」について。「石上(いそのかみ)」は、まずは、伊勢神宮と共に『日本書紀』に登場する、古来の伝統を誇る石上神宮(いそのかみじんぐう)を指す。それは布留(ふる)の地にあるので、万葉集の和歌にも「石上布留(いそのかみふる)」と詠まれたものがいくつもある。そこから派生して、やがて「古」「降る」といった「布留」と発音の言葉に付く、枕詞とも捉えられるようになっていった。また一方で、石上という氏(うじ)は、物部氏の血族から出た、伝統的な武門の家で、奈良時代には知られた氏であった。

 四句目の「われは聞きおはず」というのは「わたしは、自らのこととして聞きません」という意味だが、先に述べたとおり、「いそのかみ」という響きには、ただ「古い」といったニュアンスくらいではなく、当時はもっと特別な、例えば古来の守護のような精神が込められていたのではないだろうか。

 さらには、本来なら次に続くはずの「だからどうである」という結末を述べずに、「私はいそのかみですから」と言い切って止めてしまう和歌のトーンによって、女の和歌には、男性に寄り慕う印象とは正反対のもの、突っぱねる調子が込められていることが分る。

 そこまでつかみ取れば、後は物語がサポートしてくれる。つまり男の和歌は、逢わなくなって、しばらく経ってから、逢った後のものである。とわざわざ述べられているのだから。

 しかも、必要な言葉を最低限選び取って、極限まで切り詰めて、それ以上のことは一切述べない精神は、和歌以外の部分がただの怠惰な散文などではなく、和歌が考え抜かれて詠まれたように、考え抜かれた文であることを示している。密度の高い、最小限度の提出物による小品、という傾向は、詞書程度の短い段で見られる傾向である。かと思えば、長編になると、また違った面白さもあり、バラエティーと統一性のバランスは見事だ。

  閑話休題。
 当時の貴族の男女関係は、男が女の元に通うことで恋愛関係が成り立つものだったから、しばらく恋愛をサボっていた男性側から「あなたへの恋で眠れない日々」などと言われると、「だったらすぐに来ればいいじゃない。ふざけるんじゃないわよ」という気分が増してくる。

 この女性の和歌には、「久しぶりに来たからって、もっともらしく、恋の和歌なんか詠んでんじゃないわよ。さんざん私を『古(ふる)の女』としてほったらかしておいて。あなたの言うことなんか、わたしは聞きませんから」とちょっとすねた、というよりは、その後の男の対応次第では、修羅場になりかねないくらいの、つっぱねた調子が籠もっている。

 そのニュアンスを込めながら、同時に「わたしは涙が霜露となって眠れないよ」と呼びかける男に対して、「露だなんて誰を恋しがっているの。わたしはなみだが『降る』ほど、あなたのために泣いた女だから、違う人なのね」と、やっぱり男の愛情を求めて、本心を打ち明けてもいるのである。

 もちろんプレイボーイとして知られた平中(へいちゅう)のことだから、その本意を捉えた和歌でも返して、また女性を惚れさせたには違いないのだが、残念ながらその返歌は本文には乗せられていない。

 ところで、和歌が掛詞や、意味の掛け合わせによって、つっぱねた調子の裏に、女の弱さを内包しているとなると、やはり女の和歌にも男に寄り添う精神が、つっぱねた調子の裏に、潜んでいるような気になってくる。すると、そのような繊細な読み取りが可能であるという事実と、平中の和歌の調子自体から、この贈答が、男性側にとってはそれほど間が空いたとは、明確に謝罪するほどには感じられなくて、ちょっとした和歌でご機嫌を直せるくらいの、間が空いただけだと思われたのに、待ちわびた女の方は、もう自分が古くなってしまうように思われるくらい、なみだの雨が降るように思われるくらい、それだからもう「石上だからあなたの言葉なんて聞きません」と突っぱねるくらい、長い時間のように思われた。それが何日かは知らないが、きわめて微妙な月日の移ろいを、織り込んでいるような気になってくる。

 そうして、その気になって読み直すと、ちゃんと語りの部分で、「ほど経て」という、きわめてデリケートな表現がなされているのに気づかされて、執筆者がどれほどの思いを込めて、(あるいは現代風にいえば策略を巡らして、)ストーリーを構築していったのか、こんな短い段でこれでは、ちょっと末恐ろしいような気分にさえ、させられるのだった。

 ところでこの解説、自分自身の[youtube]上のものでは、第一印象のままで、十分に解釈がこなれていないのを見ることが出来る。こんなちょっとしたショートストーリーでも、なかなか侮れない心のある和歌が並べられているのが、大和物語の魅力で、奥深さでもある。ただ残念なのは、「いそのかみ」と当時の詠み手が語ったり、受けたりする、本当のニュアンスは、やっぱり霧の中には違いないことで、もう千年以上も離れてしまったことだから、さもありなんとも思うのだった。

大和物語四十八段

現代語訳

 宇多天皇が即位していた時、「刑部の君(ぎょうぶのきみ)」と呼ばれていた更衣(こうい))[女御の下に位置する後宮の女性]が、里に戻られたまま、しばらく宮中に参上しなかったので、宇多天皇が送った和歌。

大空を
  わたる春日の 影なれや
    よそにのみして のどけかるらむ
        宇多天皇 (新古今集)

[大空を
   わたる春の太陽のように
     あなたは遠くから私を見て
   のどかに暮しているのでしょうか]

古語

 先帝(せんだい)の御時、刑部(ぎやうぶ)の君(きみ)とて、さぶらひたまひける更衣(かうい)の、里にまかり出でたまひて、久しう参りたまはざりけるに、つかはしける。

大空を
  わたる春日の 影なれや
    よそにのみして のどけかるらむ

和歌の解説

 内容は分りやすい。影とは照射されたもののイメージで、実体としての太陽に対して、照らし出さた光の部分が影である。なぜなら光は、太陽そのものではないからである。月の光もまた、月そのものを眺めずに、あたりに照射した光を眺めれば、それが月影である。おなじ理屈で、本体そのものから発せられて、映し出されたように思われる、光の当たらない部分、すなわち今日述べるところの影も、生まれてくるようだ。

 さて、これが俳句だったら、ただの空ではなく「大空」と置いて、わざわざ「春日」に定めたことを悟られよ、と偉そうに解説に書かれそうだが、むしろここでは、「春の日のように余所から眺めたら長閑(のどか)だろうな」という、あくせくしない、おおらかな、天皇の詠みを楽しんで貰いたい。

 おなじ状況でも、あるいは天皇でなければ、「どうして戻ってきてくれないのです」という、愛情表現や寂しさが込められそうな場面だが、そこは、自分が命じれば帰すことも出来る天皇。さらに、個々の女性に対して、それほど拘泥をしないでいられる天皇であればこそ、「あなたは宮中を離れたりしてうらやましいね」などと、なんだか大きな子供のような精神で、うらやましがることが出来る訳で。

 けれども一方では、国のトップならではの感慨。自分もたまにはここを離れて、遠くから眺めて、ぼんやりと暮してみたい。あなたがうらやましいよ。という思いも、切羽詰まったものではないけれど、確かに込められているようようだ。

 つまりは、そのくらいの心情が込められた和歌だからこそ、『大和物語』の方でもあえて掲載をしているので、ただ天皇が詠んだ和歌だから、安易に掲載してしまった訳でも、拍手喝采、上司におもねって掲載した訳でも、もちろん無い。和歌として魅力が籠もるから掲載しているのである。

 そんな当たり前の所、ぐうたらに書かれたものが、ぐうたらに残されたものではなく、残される意義があるから、今日まで伝えられた。その当たり前のことをちょっと悟るだけでも、あなたはきっと、ずっと作品に近づいたことになるでしょう。

大和物語五十四段

現代語訳

 源宗于(みなもとのむねゆき)の、三男にあたる男が、博打をして、親にも兄弟にも憎まれたので、足の向くままに落ち延びようと、よその国へといった。そこで、親しかった友達に詠み送った和歌。

しをりして ゆく旅なれど
  かりそめの いのち知らねば
    かへりしもせじ

[責められて
   いつか戻るためのしるしを付けながら
     逃れ出た旅ではありますが
   仮の命のことは誰にも分らないから
    帰ることはないかもしれません]

古文

 右京(うきやう)の大夫(かみ)宗于(むねゆき)の君、三郎(さぶらう)にありける人、博奕(ばくやう)[博打、賭け事]をして、親にも、はらから[兄弟姉妹]にも憎まれければ、足の向かむ方(かた)へ行かむとて、人の国へいきける。さて、思ひける友だちのもとへ、詠みておこせたりける。

しをりして ゆく旅なれど
  かりそめの いのち知らねば
    かへりしもせじ

和歌の解説

 初めの二句は、枝を折ったり印を付けて、道を覚えておくための「枝折り(しをり)」と、親に責められたことから「責る(しをる)」の意味を掛け合わせている。結句の「し」は、強調と字数を整える役割を担っていて、「帰りもせじ」は「帰ることもないだろう」という推量表現になっている。

 これに同情を加えて、「帰りたいのに帰れないかも知れません」のように読むと、この段の面白みは台なしになってしまう。もちろん帰りたくない訳ではないから、「しをり」をしてゆく旅であるのは事実であるが、同時に三句四句の「仮の命のことは分らない」という、覚悟を込めた格言的調子は、あるいはギャンブラーとして培われてきた、「さいの目感覚」にも基づいているようで、

「遣るだけのことは遣ったが、帰れるかどうかは、最後は運まかせさ。」

くらいの、割り切った調子が感じられる。その足音はけっして弱々しくない。まだ地方でも、一旗揚げてやるくらいの気概が、確かに感じ取れる。感じ取れるということは、つまりは、執筆者がそのような精神を込めようとして、わざわざこの段を加えたということで、貴族的な恋愛の和歌とことなる印象を、もちろん故意に差し挟んでいるのである。

『大和物語』の和歌は、なかなかバラエティーに富んでいる。ただそれが、和歌の水準という枠で守られているのと、私たちが千年以上離れたエトランゼなので、つかみ取るのに時間がかかるし、分らないうちは同じように見えてしまうというだけのこと。もし時間を掛けて、寄り添ってみれば、色あせたモノトーンに思われた世界も、急にリアルな色彩でよみがえって、「おほほ」と戯れる雅な貴族という、ステレオタイプの印象とは、まるで異なる豊かな心情も浮かんでくるものである。