「大和物語137-139段」古文と朗読

「大和物語137-139段」古文と朗読

 137段は大和物語のヒロイン「としこ」の和歌。しっとりとした特徴があり、やはりしばしば登場する「監の命婦(げんのみょうぶ)」とは、和歌の質がむしろ対照的です。しっとりとしたストーリーの合間に挟まっている138段は、現代人の感覚では場違いな印象もするのですが、『大和物語』におけるバラエティーの豊かさには寄与している様子。139段はむしろ和歌の教科書に掲載されてもおかしくないくらいですが、そんなことをまったく感じさせない物語になっているのが素敵です。

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大和物語百三十七段

 志賀の山越えの道にある「いはえ」という所に、今は亡き兵部卿の宮、つまり元良親王[陽成天皇第一皇子]が、別荘を大変立派に建てて、時々いらっしゃった。こっそりやってきて、志賀寺に詣でる婦人たちを眺めていることもあった。様々に趣深く、家もすばらしいものだった。

 藤原千兼の妻としこが、志賀寺に詣でるついでに、この家に立ち寄って、景観と別荘を眺めて感じ入り、和歌を書き記した。

かりにのみ
   来る君待つと ふりいでつゝ
 なくしが山は 秋ぞかなしき
          としこ (新勅撰集)

[狩りをするような時だけ
   仮にやってくるだけのあなたを待って
  鹿が鳴くみたいに、声を出して泣いてしまう
    そんな志賀山は、特に秋が悲しく思われます
   まるで恋愛において、飽きが悲しいように]

[全部の意味を記すとくどくなりますが、
ここではまとめてしまいましょう]

古文

 志賀(しが)の山越(やまごえ)の道に、「いはえ」といふ所に、故(こ)兵部卿(ひやうぶきやう)の宮(みや)、家をいとおかしう作りたまひて、時々おはしましけり。いと忍びておはしまして、志賀に詣(まう)づる女どもを、見たまふ時もありけり。おほかた[大体、つまり個々のあれこれではなく全体的にの意味]もいとおもしろく、家もいとをかしうなむありける。

 としこ[藤原千兼(ちかね)の妻]、志賀に詣でけるついでに、この家に来て、めぐりつゝ見て、あはれがり、めでなどして、書き付けたまひける。

かりにのみ
   来る君待つと ふりいでつゝ
 鳴くしが山は 秋ぞかなしき

となむ書きつけて往(い)にける。

解説

 「かりにのみ」は「仮に」と「狩に」、「しが山」(本来は「しかやま」表記)には「志賀山」と「鹿(のいる)山」が掛詞。現代語訳では、すべての意図を込めて訳してあるが、和歌で意味が重ね合わされる場合には、両方の意図が表裏なく主意である場合もあれば、一方が含みや修飾に過ぎない場合もある。またおなじ和歌でも、詠まれたシチュエーションによって、つまり詞書きなどの影響によって、その表裏関係が切り替わる場合もあり、つまりはそのような多様な意図を混在させることによって、わずか三十一字にすぎない言葉を、豊かな詩へと結晶化させているようなもの。

 この点、五七五七七の三十一字というのは、言葉を当てはめる枠くらいの意味しかなくて、枠に当てはめれば和歌になるというものではない。その根本的な所をないがしろに、散文を三十一字に当てはめても、いびつな落書きが提出されるばかりで、観賞されるべき詩とは見做されない。着想と頓知に邁進した駄散文を三十一字に当てはめるのは、クイズとパズルの領域で、文芸とは関わりのない遊戯には過ぎないもの。

 この段の場合は、はじめから家が「いとをかしう」であること、また「おほかたもいとおもしろう」あることが述べられ、としこもそれをこそ「あはれがりめでなど」したことが語られているので、物語の趣旨から、むしろ「あなたに逢いたい」ような恋愛の意図よりも、

 あなたを待ってか、声を上げて鹿の鳴いている、志賀山は秋こそことさらに心を打つものです。

と景観を季節に委ねて、別荘を褒めた思いが前面に表れてくる。かといって、「たまにしか来ないあなたを待って」と恋愛めいて待つ思いも、メロディーを支えるバスのようにして、通奏低音を奏でている。このバスがなくなると、メロディーそのものが貧弱になって意味をなさないように、掛け合わされた意図というものは、全体でひとつの作品には過ぎないもの。その上で、主意が明白な場合もあれば、両義性を保つものもあるということに過ぎない。

 また、はじめに「故兵部卿の宮」とあるが、もう少し言葉を補強して、兵部卿の宮が亡くなってから、としこが訪れた内容にすれば、また和歌の印象も大きく変わって聞こえるかと思われる。このように多様なシチュエーションに応じて、それぞれの主意を発揮しうるのも、和歌の表現が掛詞を含めて、多重の意図をはじめから内包しているからに他ならず、その掛詞をクイズや頓知にしか捉えられないなら、和歌の面白さは、永遠に対岸のひやかしから抜け出せない。

大和物語百三十八段

 「こやくしくそ」[「くそ」は接尾語で、「~ちゃん」「~野郎」とかと一緒、ここでのニュアンスはむしろ蔑称の意義がこもるか]と呼ばれる男が、女のもとに通って、その後送ってきた、

かくれ沼(ぬ)の
   底のした草 み隠れて
 知られぬ恋は くるしかりけり
          (新千載集 枇杷左大臣の和歌として)

[草に隠れた沼の
   さらに底の水草が 身を隠すような
  相手に知られない恋は 苦しいものですね]

すると女の返し、

み隠れに
  隠るばかりの した草は
    長からじとも 思ほゆるかな
          (新千載集)

[身を水に隠すように
   隠れまくっているような水草では
     身の丈が短いものですから
   恋しさも短いのではないかと
      思われますが]

 この「こやくし」という人は、長さがとても低かったという。

古語

 こやくしといひける人、ある人をよばひて、おこせたりける。

かくれ沼(ぬ)の
   底のした草 み隠れて
 知られぬ恋は くるしかりけり

 返し、女、

み隠れに
  隠るばかりの した草は
    長からじとも 思ほゆるかな

 このこやくしといひける人は、丈(たけ)なむいと短かゝりける。

解説

 書籍には「くそ」は敬意を表わす接尾語、とあるが、本来はむしろ、軽蔑や軽視と結びついた接尾語ではないだろうか。紀貫之の幼少名「あこくそ」は子供、劣るものに対して付けたものに過ぎないし。少なくともこの段においては、『小さい「やくし」野郎』くらいの意味で、わざと使用されているように思われる。「やくし」は何らかの役職や業種、階層を指す言葉か。それとも「こやくし」でひとつの名前か不明。

『大和物語』の段には、時々愉快なもの、滑稽なものが折り込まれるが、167段のように『万葉集』なら東歌に収められていそうな和歌を、故意に持ち込んだ、つまり執筆者の自然な段の類想ではなく、むしろそのような和歌も入れようとしてあえて持ち込んだのではないかと、疑われるような段も存在する訳で。

 この段も、それとおなじ系譜に属するものに思われ、「丈なむいとみじかかりける」のように、直接身体的特徴をからかうような、ざっくばらんな記述。はじめの「ある人をよばひておこせたりける」という、叙情的な描写を排して、単刀直入に事実のみを説明するような傾向。さらに、執筆者自身が少なくともまったく敬意を払っていない、「こやくしくそといひける人」「こやくしといひける人」という男の扱いなど、和歌の内容で女性からからかわれる男に相応しい扱いを、段を通じて行っている。

 このような調子の中で、「かくれ沼の底の下草みがくれて」という和歌の表現を眺めると、「ひっそりと隠れた恋は苦しいものです」「ひっそりと隠れているのは身長が低いからでは」という贈答では、明示化されない諧謔の気配が、逆に消されてしまうようにも思われる。

 あるいはこの段は、ほかの段には決して見られない、特別な滑稽ものを故意に持ち込んだものではないだろうか。つまり段の開始は「よばひておこせたりける」とは、言葉通り、女を抱きに行って、翌日に寄こした和歌で、(つまりカップルがむすばれる前を気取ったもので、)

かくれ沼の底の下草

という表現は、ダイレクトにエロを暗示するような表現として、詠まれたものではないだろうか。そうして女の方は、すでに事を終えて知っているものだから、「隠れまくっているような、あなたのサイズは、長くないんでしょうよ」とからかっている。つまり丈は、身長ではなく、下半身のそれではないだろうか。

 そう思わせるくらい、この段と167段の調子は、前後の段とトーンが異なっていて、しかも全体の流れからもずれている。そこで、執筆者がそのような意図の和歌も込めようとして、わざと差し挟んだような気配がする。

 それはそれで息抜きにもなるし面白いけれど、『大和物語』全体がしっとした傾向にまさるのと、特に後半に入ると物語的な面白みが増してくるために、かえって蛇足のように思われなくもないが、あるいはそれは現代人の感覚に過ぎないものか。

 東歌的な系譜は、138段と167段くらいだが、滑稽もの、あるいは愉快なストーリーや和歌の段は、所々に折り込まれていて、わざと下手な和歌を紹介したりもしているので、なかなかに侮れない面白さがあるのが、また『大和物語』の魅力にもつながっているので、あながち傷とは言えないでしょう。

大和物語百三十九段

 先の醍醐天皇の時、承香殿(じょうきょうでん)に住む女御(妻の一人くらいで)源和子(みなもとのわし・かずこ)のもとに、「中納言の君」と呼ばれる人がお仕えしていた。そこに、今は亡き兵部卿の宮[元良親王]がまだ若く、恋に生きていた頃、承香殿の近くに住んでいたので、趣味の分るような人々がいると聞いて、出向いて話をするのだった。

 そんな頃、この中納言の君と、こっそり共に寝るようになった。時々共寝をしていたが、やがて宮はほとんど訪ねて来なくなってしまった。その頃女が和歌を詠んで贈った。

人をとく
   あくた川てふ 津の国の
 なにはたがはぬ 君にぞありける
          中納言の君 (拾遺集)

[人を早くも飽きたなんて
   芥川(あくたがわ)という
  津の国の難波にある川の
    名前と何も変わらないような
   あなたなのでした]

 こうして、食事も咽を通らず、泣きながら病気のように恋い慕っていたが、ある時、承香殿の前の松に、雪が降り掛っているのを折って、このように和歌を詠んで差し上げた。

来ぬ人を
  まつの葉に降る しら雪の
    消えこそかへれ あはぬ思ひに
          中納言の君 (後撰集)

[来ない人を待ちます
   その松の葉に降る白雪さえも
  溶けて消え去ってしまいそう
     あなたに逢えない
    わたしの思いの火によって]

と詠んで、「けっして、この雪を落とさないで」と使いに言って、松の枝と和歌とを元良親王に贈ったという。

古文

 先帝(せんだい)の御時に、承香殿(じようきやうでん)の御息所(みやすどころ)[読みは「みやすんどころ」が良いかと]の御曹司(みざうし)に、中納言の君といふ人さぶらひけり。それを、故兵部卿の宮、わか男にて、一の宮と聞こえて、色好みたまひけるころ、承香殿はいと近きほどになむありける。らうあり、をかしき人々あり、と聞きたまひて、ものなどのたまひかはしけり。

 さりけるころほひ、この中納言の君に、忍びて寝たまひそめてけり。時々おはしましてのち、この宮、をさ/\[「をさをさ+打ち消し」で、「ほとんど~ない」]問ひたまはざりけり。さるころ、女のもとより詠みて奉(たてまつ)りける。

人をとく
   あくた川てふ 津の国の
 なにはたがはぬ 君にぞありける

 かくてものも食はで、泣く/\病(やまひ)になりて、恋ひ奉りける。かの承香殿の前の松に、雪の降りかゝりけるを折りて、かくなむ聞こえ奉りける。

来ぬ人を
  まつの葉に降る しら雪の
    消えこそかへれ あはぬ思ひに

とてなむ、「ゆめこの雪落とすな」と使(つかひ)に言ひてなむ、奉りける。

解説

 一つ目の和歌は、ある意味超絶技巧的。「あくた川」に「飽きた」の意味が、「なには」には「難波(なにわ)」と「名には」の意味が掛け合わされて、どちらの意味を本意にするのか分らないようにさせるのは、和歌のお決まりの戦略ではある。

 しかし、「芥川という津の国の難波」と「早く飽きてしまうあなたです」を「芥川」の語呂合せと、川の流れくらいで結びつけてしまう強引さは、普通ならむしろ破綻しそうなところを、冒頭「人を早くも飽きた」と始まるので、恋愛に飽きたことを語るのかと身構えるよりも早く、「芥川」からいきなり「芥川という津の国の難波」と、芥川の話をはじめて、聞き手が何の話だか、軽い混乱を引き起こしつつも、あるいはこれは土地の話であったか、と会話の方向修正を図る頃には、「難波」から「名には」に切り替えして、そんなあなたですとまとめてしまう。

 まるで和歌自体が急流の川の流れのようで、何度読み返しても、結びつかないはずのものが、言葉のリズムで、無頓着に結び合わされているような気にさせられながら、それが少しも破綻するでもなく、読み返すだけ、意味は明確に悟られ、けれども初めの不思議な違和感は、何時になっても消えないもの。これもまた、ひとつの和歌の才能には違いない。

 より正確には、『万葉集』にしばしば見られる、序詞と心情をほとんど無頓着に結びつけて、かえって魅力を獲得するような、ある種の和歌のタイプに則っている。149段の「沖つ白波」の和歌もおなじタイプ。

「『名には』違わないあなたです」というのが、本意でその「名には」に掛詞として地名の「難波」を掛け合わせ、上句は「難波」を全体とは関わらずその単語を説明するだけの序詞として、「芥川という津の国の難波(にある)」と言っている。

 一方で上の句だけを眺めると、「芥川という津の国の」という川の説明に対して、冒頭の「人をとく」だけが、「人を早くも飽きた」つまり「あくた川」の「あく」の掛詞としての「飽く」に掛っている。

 その上で、全体を眺めると、「人をすぐに飽きてしまう、といううわさ通りの人ですね」つまり、「人をとく飽くてふ名にはたがはぬ君にぞありける」が本意となっている。けれども「飽きる」早さを例えた「津の国の芥川」の「名とおなじです」という比喩もまた、それを伝えることこそが、主意ではないかと思われるくらいの存在感とインパクトを放っていて、聞き手は普通なら関わらないはずの両義が、異なるベクトルが無頓着に、おなじ心情を指し示すみたいにして、思いを伝えているような、不思議な感覚に囚わ続ける。

 このような和歌は、何度読み返しても、心情よりも先に、技巧性と外面的な表現の妙へと注意がいってしまい、そのきらびやかな外面から、選集を飾りはするが、深みのある詩という基準からすると、むしろ除外されるようなもの。

 一方で、二つ目の和歌は、「来ぬ人を待つ」の「まつ」を掛詞に、「松の葉に降る白雪」へと渡し、「消えこそかへれ」の部分で、「白雪が消える」の意味から、「(心が)消えかえる」と心情表明へと渡している。

 つまり、パターンはまったく「あくた川」の和歌と一緒で、しかも両義性を増すために、実際に雪の掛った松を折り取って、物語に持ち込んだために、聞き手は雪のことを述べたかったのか、思いを述べたかったのかという、わずかな不思議な感覚に囚われる。

 ただそれが、一首目の時と違って、技巧性を感じさせずに、むしろ深い思いを感じさせるのは、「飽きる早さを川の名称で例える」ことよりも、「消え入りそうな思いを雪のはかなさに例える」方が、一般人の感覚において、心情へと返されるからに他ならない。

 このように、おなじ技巧を使用した和歌をあえて二つ並べることによって、外向的な和歌と、内向的な和歌の違いと面白みを明らかにしつつ、全体の物語は二首目の和歌に則って、しんみりとした待恋のトーンで統一されているあたり、高度な和歌の紹介とストーリーの融合には、驚かされるくらい。

 ただ、もっとも大切なのは、そのような執筆者の着想が、まるで感じられず「すらすら」と書き流されたようにしか、完成された物語からは感じられない点で、だからこそこの作品は、すぐれた文芸であると言えるだろう。

 ところで、例えばこのように和歌を並べる事は、この詠み手の和歌の巧みさを表明したいために、物語を記したという意図があって、相手の返答を省略するのは、むしろ必然になってくる。すると、この段では書かれていないが、時々目にする「相手の返歌は忘れた」などの筆記も、かなり策略的なのかなと思えてしまうのだった。