「大和物語118段119段」古文朗読と解説

「大和物語118段119段」古文朗読と解説

 今回は「閑院のおおいきみ」こと、源宗于(みなもとのむねゆき)の娘が活躍する段をどうぞ。特に119段の贈答歌の切り返しは、やはり女性側の和歌を紹介したかったのかと思わせるくらい、贈答歌の良質の見本となっているようです。

 119段はなんでか、二回朗読されていたので、二回分掲載してしまいましたが、二回目は最後の「耳に」を間違えて「声に」と朗読してしまっています。もっとも、「大和物語」の朗読は読み違いが沢山あるので、申し訳ないくらいですが、ほとんどの場合は、断りもなく間違って読まれています。あしからず。

大和物語百十八段

現代語訳

 「閑院のおおいきみ」と呼ばれる、源宗于(みなもとのむねゆき)の娘が、

むかしより
  思ふこゝろは ありそ海(み)の
    浜のまさごは 数も知られず
          源宗于の娘 (続古今集)

[昔から
   あなたを思うこころが有りまして
     それは荒磯(あらいそ)の海にある
  浜の砂粒の数が
    数えられないほどの思いなのです]

古文

 閑院(かんゐん)のおほいきみ[長女の意味]

むかしより
  思ふこゝろは ありそ海(み)の
    浜のまさごは 数も知られず

和歌について

 この和歌は、二句目に「思ふ心は」と置いて、4句目に「浜のまさごは」と、共に「は」を置いたことにより、ちょっとユニークな作品になっているようです。これによって、恋する心情を砂粒に委ねて、

かねてから思う恋心は、
  砂粒の数え切れないほどである

 つまり初めの二句が主意であり、三句四句は結句の「数も知られず」を修飾しているように聞こえますが、同時に、初めの二句が三句目を喩えたに過ぎなくて、つまり序詞として捉えて、

「むかしから思うこころは在り」と言われるような、この荒磯の海のうつくしい砂は、本当に数え切れないほどですね

と、すばらしい砂浜を詠みながら、個人的な心情を、うちに宿したもののようにも聞こえます。

 どちらにも聞こえるというのは、もちろん、和歌では基本戦略の、二つの意義の掛け合わせには過ぎないのですが、両方に「は」を置くことによって、それを故意に際立たせているように思えます。

 さらに冒頭に「むかしより」と、自分の近過去に対しても、より抽象的な普遍的な過去に対しても感じられる表現を置いていますから、個人的な心情としては、

あなたをずっと思っている心は、荒磯の海の砂も数え切れないほどなのです

という思いを、「むかし」という時間軸と、「浜の砂」という量によって喩えたものとなりますが、その比喩の抽象性と普遍性において、

むかしより相手を思うという気持ちは、荒磯の海の砂の数え切れないくらい、繰り返されてきたものである

と、自らの心情を一般的事象に置き換えて、格言のように表明しているようにも響きます。

 その個人的な心情表明とも、普遍的な格言とも、実際の情景に思いを織り込んだものとも、解釈が明確につかないけれど、指し示すベクトルはどれも、「相手を思うこころ」というものを向いている。そのため、解釈が定まらないことが不愉快にはならないで、かえってさまざまな解釈が、総体的に思いを表明しているような、魅力を持っている。またそのような詩としての効果のために、意義の掛け合わせということも、当時の和歌では多用されていたものと思われます。

 ところで、「ありそ海」というのは「波の荒れた磯の海」の意味ですが、これが一般的に荒れた海を指しているのか、あるいは特定の「ありそ海」と呼ばれた地名なのかは、明確ではありません。もし名所を詠んだ和歌なら、情景に委ねたという側面が強調されて、かえって面白く捉えられるかも知れません。

 また、『大和物語』においては、あえて物語を排除して、和歌だけを紹介するという態度を取っていますから、心情的な和歌を押し挟んでの物語の中にあって、幾分格言的に紹介されているような構図になります。(ただし、物語全体が心情的なものですから、他の和歌に比べればというくらいの意味で、これもまた十分心情的な紹介には過ぎないのですが。まあ、程度の問題です。)

大和物語百十九段

 おなじ源宗于(みなもとのむねゆき)の娘に、今は亡くなった藤原真興(ふじわらのさねき)が、重い病気が快方に向かった頃、「どうにかして逢いたい」と言って詠んだ和歌。

からくして
   惜しみとめたる いのちもて
  逢ふことをさへ やまむとやする
          藤原真興 (信明集)

[苦しみを越えて
   つなぎ止めた この命で
  逢おうとする事さえも
    あなたは止そうとするのですか]

女の返し、

もろともに
   いざとは言はで 死出の山
  などかはひとり 越えむとはせし
          源宗于の娘 (後撰集)

[一緒になって
   さあ行こうとも言わないで
  死者の向かう山を
    なんでまあ一人で
   越えようとしたのですか]

 しかし、病が回復してから、男が出向いた夜も、事情があったのか、女とは逢えず、帰った翌朝に男から、

あかつきは
  鳴くゆふつけの わび声に
    おとらぬ音(ね)をぞ なきてかへりし
          藤原真興 (信明集)

[夜明けには
   鳴くにわとりの わびしい声に
     負けない声で わたしは泣いて帰りましたよ]

女の返し、

あかつきの
  寝覚めの耳に 聞きしかど
    鳥よりほかの 声はせざりき
          源宗于の娘 (信明集 伊勢集)

[夜明けの
   眠りから覚めた声で 聞いていましたが
     鳥以外の 声なんか聞こえませんでしたよ]

古文

 おなじ女に、陸奥国(みちのくに)の守(かみ)にて、死にし、藤原のさねきが詠みておこせたりける。病(やまひ)いと重くして、おこたりけるころなり。「いかで対面(たいめん)たまはらん」とて、

からくして
   惜しみとめたる いのちもて
  逢ふことをさへ やまむとやする

と言へりければ、おほいきみ返し、

もろともに
   いざとは言はで 死出の山
  などかはひとり 越えむとはせし

と言ひたりけり。さて、来(き)たりける夜(よ)も、え逢ふまじきことやありけむ。え逢はざりければ帰りにけり。さて朝(あした)に、男のもとより言ひおこせたりける。

あかつきは
  鳴くゆふつけの わび声に
    おとらぬ音(ね)をぞ なきてかへりし

おほいきみ返し、

あかつきの
  寝覚めの耳に 聞きしかど
    鳥よりほかの 声はせざりき

解説

 物語は、はじめに「いかで対面たまはらむ」と、どうにかして逢いたいことを伝え、次の贈答歌でも、逢おうとしたが逢えなかった状況が描かれているので、逢瀬の始まり頃の、女性が逡巡する時期を物語にしたものと考えられます。

 それで、はじめの贈答は、「どうにか逢いたい」と言って、「どうにか生きながらえたこの命で、逢おうということさえ止めようというのです」と男が贈っているが、結句の「やまむとやする」には「止まむ」の他に、「病まむ」を掛け合わせている。男が問いを発しているので、女性の返歌は「逢わない理由」でないと、意味が通じない事になる。

 なので、女性の返歌は「どうして一緒にと言わずに、一人で死者の山を越えようとしたのです」というものだが、その意図は、「死ぬときでも一緒だと言ってくださらないからです」、あるいはもう少し軽く受け止めて、「病の最中には私のことを思い出して、手紙をくださらなかったから」、それで回復してから和歌なんか贈っても、簡単に逢うものでしょうか。という軽い批難を、ユーモアがてらに詠み込んだものと思われる。

 次の贈答歌は、それで逢えることになった夜だったが、結局男は逢うことが出来ずに、「にわとりの声に負けないで泣いて帰りましたよ」と和歌を贈ると、女性の方は「鳥の声しか聞こえませんでしたが」と、やはりユーモアがてらに返している。

 くらいにも思われるのだけれど……

夜更の妄想

 後ろの和歌からひるがえって考えると、いろいろ不可解なところが見えて来る。まず、女性の最後の和歌から、女性は男を待って起きていて、夜明けの鳥の声を聞いていたことが分る。男性もおなじ鳥の声を聞きながら、逢えずに泣きながら帰っていく。物語上は、二人の和歌の心情から、逢うべき条件が整えられているのに、なぜか「え逢ふまじきことやありけむ、逢はざりければ」と、男は逢えずに帰っている。

 この逢えない場景から、ひとつ前の女性の和歌に戻ると、「死出の山をどうしてひとりで越えようとなさったの」という和歌が、むしろすでに女を置いて死んでしまった相手に、「どうしてそんな思いになったのです」「一緒に行こうとも言わないで勝手に」と詠んでいるようにも感じられる。

 さらに冒頭の男性の和歌に戻ると、「どうして逢うことを止めようというのです」という問いかけがある。それに対する女性の和歌が、「どうして死出の山を一緒にと言ってくださらなかったの」というもので、これはもちろん、はじめに解説したように、「だって一緒に死のうとも言ってくださらないんですもの」とユーモアで返したようにも聞こえるが、もし物語のない純粋な和歌としては、むしろ死んでしまった最愛の人に対して、嘆いている和歌の様相が濃い、その方がしっくりくる内容で、むしろ、それを病気の回復の贈答歌として流用したような感じである。

 もし別の詞書きが付いていたら、ということで考えれば、冒頭の男性の和歌自体、女性に対して「逢ってくださらないのか」と尋ねてはいるものの、「ようやくつなぎ止めた命で逢うということさえも」今は終わろうとしていると、辞世の句でも残しているような印象で捉えることが可能である。

 さらに物語の冒頭に返ると、「死にし藤原のさねきが詠みておこせたりける」という一文が記されている。これはもちろん、「重病が回復した頃のこと」とは続けられているが、前半の女性の和歌や、後半の逢えないところなどから、どうしてもユーモアのある贈答歌を紹介したと言うよりは、ある種の怪談話を、怪談話としてではなく、それとも解釈できるが、生者の物語としても解釈できるくらいの、つまり和歌での馴染みの二重の意義を込めて、執筆したのではないか。そんな疑惑が生まれてくる。そうして、その疑惑は、一度それが気になり出すと、いよいよ全体が怪談めいて捉えられて、聞き手のこころを離さなくなってくるらしい。

 他にも、101段で病が「すこしおこたりて」出勤した少将が、辞世の句を残して死んでしまったのと、おなじようなパターンであることもあり、不思議なくらいこの段は、怪談の気配が漂っているように思われる。

 つまり、その線で解釈すると、「死にし藤原のさねき」が、女性に逢いたいと言って「ようやくつなぎ止めた命ですが、今は逢うことさえ終わろうとしている」と辞世の句を詠んで、女性はそれに対して「どうして一緒に死出の山を越えようとしたの」と嘆く和歌を返す。

 そんな現実、というか物語の二重の意義の、一方の意義を受け入れられなかった二人は、物語のもう一方の意義、生きている二人のユーモアのある贈答、というストーリーのまま生き続け、いよいよ逢えることになるのだが、あくまでも仮想世界のこと、現実にはもはや逢うことが叶わないので、「え逢ふまじきことやありけむ、え逢はざりければ帰へりにけり」となる。

 それで男のほうが、朝になって啼く「ゆふつけ鳥」[にわとりの事とされるが、呪術的な意味がこもる様な気がする]にも劣らない声で泣いて帰りましたよと和歌を送ると、あるいは映画なら、ここで女性が夢から覚めて我に返るような演出だろうか、「眠らずにずっとあなたをまって、聞き耳を立てていたけれど、鳥よりほかの声はしなかった」、それがこの段の終わりとなっている。

 なぜ、以上のようなことを考えたかというと、じつは前半の死の気配よりも、この段の最後の和歌、特に「寝覚めの耳」のあたり、どうしてもユーモラスな和歌であるよりも、もっと不可解なものを宿しているように、わたしには感じられたので、その不可解を解読しようと推し量るうちに、自然とこのようなまとめになってしまったというものには過ぎない。さらに、154段にも登場する「ゆふつけ」鳥が、やはり死と関連した段であることも気になってくる。

 また、これがどこまで意図されたものか、それとも、藤原真興と源宗于の娘との、重病に絡んでの贈答歌と、男女の逢瀬のすれ違いのユーモアのある贈答歌を、物語にまとめるに際して、幾分偶成的に生みなされたものなのかなど、いろいろ考えたくなってくるが、今はそろそろあかつきの時刻。次の段へと、足を進めるべき夜明けである。

 ちなみにここでは藤原真興が詠み手であるのに、源信明の和歌集に入っているのは、真興の名前が似ているので間違われたものかともされている。