わたしが何を語りかけても

わたしが何を語りかけても (最終推敲前)

わたしが何を語りかけても
  あなたは聞こうとはしなかった

わたしが何を話しかけても
  あなたは耳を傾けようとしなかった

わたしはそれがむなしくて
  いつしか下手な役者のなりをして
    けがれた彼らの猿まねをして
  さかんにわめき立てるのだった

すると何を語りかけても
  聞こうとしなかったあなたは
    大喜びで手を打ち交わして
  いつわりのわたしに同調した

けれども時折何かわたしが
  ふと素を見せた時は決まって
    困惑の表情を投げかけてくるのだった

もしそれが、あなただけであったなら
  わたしも世界を信じることが
    あるいは出来たかも知れなかった

もしそれが、鶏小屋くらいのことであったら
  わたしも未来を信じることが
    あるいは出来たかも知れなかった

わたしの言葉に耳を傾ける
  本当のあなたがどこかにいるのだって
    信じることが出来たかも知れなかった

けれども、あなたが他の誰かに
  君に、お前に、彼に変わっても
 あるいは固有名詞の
   誰々さんに変わったとしても

友達みたいな見せかけのうちに
  ほんのわずかでも本心を語りかければ
 過去から未来のどの切断面を覗いても
   きまって途方に暮れるのだった

ある高名な心理学者が
  それを自己認知に関連した障害であると
 高らかに宣言しては患者をかき集め
   書籍にしては金銭を巻き上げるのだった

彼には冷徹な状況判断も
  人に対する倫理や羞恥心も
 それどころか科学的な精神さえ
   存在しないように思われたのだけれど

彼にしてみれば
  わたしのそれな認知さえ
常態を逸した、ある種の誤謬

つまりは
  精神疾患には
    過ぎないものだった

(なぜなら、そう宣言してさえいれば、
   そう言って、大衆的なものを常態として、
  それに媚び続けてさえいれば、
    彼は永遠に、彼らからは支持され、
      真実などお構いなしに、
    正当な学者だと、彼ら社会から認められ、
  拍手喝采を送り続けられるような、
    そんな不気味なあなた方社会を、
      あなた方は、あなた方の手で、
        すっかり完成させてしまったのだから)

ふむふむと彼が述べれば
  あなた方はひたむきに喝采するのだった
    これこれと彼が主張すればもう
  それが宇宙真理であるかのように見なされるのだった

現状境界線内社会において
  ユニークなもの
    矮小な意見が必ずしも
  時空を超えて、種をあまねく内包した
    理念的な人間的価値観の
      正当性を保証しないばかりか
        局所的な狂騒や病的傾向にさえ
          陥りかねないということ

もしそうなってしまえば
  その内部的な病的傾向は
    病的な狂騒の心理状態の内からは把握されず
 その病的傾向の正当性をこそモットーとして
   正誤を判断するに過ぎなくなってしまうということ

つまりは、
  あなたの認識が、
    あるいはわたしのそれとは別方向に、
  ベクトルをそれた弾丸みたいにして、
    イデア的なものを打ち砕く、
      包囲射撃にしかならない

そんな可能性もあるという心理について
  思い煩う事さえまるでなく
    現状我の心理をこそ正当性と
  社会的恒久に推し量り
しかもその正当性が
  圧倒的多数の同質的な傾向以外の
    何の論理的客観性も存在しないものを

それとも思わない輩が
  蛾の群がってひしめいたとき
    ひたむきなものは穢されて
      あなたから逸れた語りは黙殺されて
 同質的傾向から生み出された偽善や独善に
   安易な自己主張を混ぜ合わせたような
     いびつな物がこの世を覆い尽くして
       抽象的かつ異時的理想さえ考察するでもなく
  もはや異物を極端に恐れる全体主義が
    それ自体の不気味さと
      病的傾向を把握する能力さえ損なって
        かえってそれを罵り、嘲笑するような

それでいて
  大多数、あなた方喝采群の
    勢力を得て、自らの力と思い込めるような
 自我のない動物としてのヤンキーやら
   わがままを指標としたアウトーロー達の
     あなたがた喝采群と結びついて
       ひるがえすべき反旗すらなくしたとき

単質的圧倒的傾向はついに球体となり
  弾かれたわたしは消され、それだけならまだしも
    かつては存在したとわたしが信じるべき抽象としての
  一つの国は滅びたと言得るのかもしれません。

あるいはそうでなく
  はじめからそのような国など
    この島には存在しなかったのかもしれませんが……

あるいははじめから
  彼らの強固な全体主義的な精神からは
    わたしはいつの時代に生まれたとしても
  結局は異物には過ぎなかったのかもしれませんが……

(あるいはその精神は
   娯楽という名の共通性を
     娯楽内部のジャンル分けくらいで
       多様性とほざけるくらいの
     不気味な団体主義にには違いなくて

   物欲主義という単一的傾向を
     物欲それぞれのジャンル分けで
       多様性とほざけるくらの
     不気味な団体主義には違いなくて

   そうして
     化粧という単一精神を
       お絵かきの多様性をもって
     個性とのたまえるような
       グロテスクなペンキ仕立てには
         過ぎないひとつっきりの
           価値観を持った億の水疱には
             過ぎなかったのかも知れませんが……)

さっそく彼らは罵ります
  大多数正当の原理において
    自己主張すべき少数派は
 大多数のゆとりを持った偽善において
   ことさら「多様主義」の名のもとに
     許容されるとしても

その善意の大多数そのものを
  罵るようなわずかな存在に対しては
    惜しまずに圧倒的大多数の
  圧倒的大少数の敵として

糾弾と抹消を加えること
  あるいは完全なる黙殺を決め込むこと
    ただそれだけが我々社会を良くするための
  慈善事業の核心だと信じます

そうしてそれが
  単質的団体以前に存在すべき
    個の集合としての社会主義を
  恐れるほどの単質的傾向から

生みなされているとは
  たとえいつわり、論理的な思索を志す
    社会観察主義を掲げるべきはずの
 学者のうちからすら
   語られることはありません

(なぜならそれを認めることは
  彼らの精神の根底を
    否定することにすらなりませんから)

そうして単質的なものどもは
  元来なら多様的要素を内包した
    水からの子供達をペンキ塗にして
 はなっから彼らの同胞のように飼育してしまい
   それを教育だと信じ切っているようです

これによって彼ら社会は継続して
  継続しながらますます単一化して
    同一的価値観にどっぷりと浸かりながら
 色鉛筆の色のみを個性として
   物欲の物の違いのみを個性として
     快楽の対象物のみをユニークとして
  ますます悪の栄えて
    広がりゆくばかりです

それはもはや私の信じるところの
  人の生き交うべき領域ではなくなって
    まるでブロイラーの養成工場で
  はしゃぎ回る鶏どもであるようにしか
わたしには思われないものでしたが

彼ら大多数が主張する
  監獄の欲望の精神だけが
    あらゆる快楽を手に入れられる檻の中では
      絶対的な所属員の証であり

そこからはぐれたものは
  すなわち人で無しということになるのでした

そうして演繹するところ
  結論は社会通念としての
    わたしは人でなしになっちまっているのです
  構成要因ではなくなっちまっているのです

けれども例えそれが
  外観的事実であったとしても
    いち面においてわたしの心には
 自由な意思が存在しているのであって
   そのわたしの内面世界においてなお
     正当とすべき価値観が残されるのであれば

わたしが自らを信じる
  それだけが、あるいは
    わたしのたった一つ残された
  たましいの自由であるのならば

わたしはあなた方社会における
  自らを最後の心のうちの
    真の自由人として掲げ
  そうして一言も通じない

この言語そのものにさえ恨みを抱き
  けれども、卑下せずに滅びの瞬間まで
    わたしを掲げて
  ひたむきにあがいてみようと思うのです

あがいて生きたいと
   願って祈るのです

それはもはや、あなたに対してではありません
  わたしはもはや、あなたを決して信任しない
    信任しようにも、わたしの今までの経験が
  どうしてもあなたを信任させないから
人は悲しいくらい、どうやら経験的な生き物で
  理念なんてものは、これだけ述べても結局は
    飾りみたいなものなのかも知れません。
      そうだとしても……

わたしはただ絶対的な
  自らが信じる何ものかに向かって
    (もちろんそれは、神などという抽象ではなく)
  それでも信じる、宇宙定理に向かって
    (もちろんそれは、何の見返りもよろこびも無く
      ましてそのものの意思をすら、決して信じるでもなく)

己が道を貫き通そうと願うのです
  貫き通そうと決意するばかりです
    わたしの折れるその日まで。