「大和物語105段」現代語訳と朗読
はじめは、最後の親に捨てられる記述、本体の恋の贈答の物語に、取って付けたおまけくらいに思っていましたが、あらためて詠んでみると、開始部分と呼応して、導入と離脱の枠構造を果たしているようです。親の視点とまでは明確ではありませんが、冒頭の第三者の視点には、親の視点も含まれていて、もしかしたら、「親にとっては、悪霊も浄蔵大徳も、娘の心を奪った点においては、おなじであった。ちゃんちゃん」と、鎌倉時代の文筆家なら、ちょっと面白く描いて見せたのではないかとも思います。
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現代語訳
近江の介(すけ)の職にある平中興(たいらのなかき)の娘が、悪霊に取り憑かれて、浄蔵(じょうぞう)という高僧に加持祈祷をして貰ううち、人々のうわさが立った。二人の様子が普通ではなかったからである。しばらくは忍んで逢っていたが、うわさがあまりうるさいので、浄蔵は修行のため、鞍馬(くらま)寺に引きこもった。けれども女が忘れられないでいると、彼女からの手紙を見つけた。そこには、
すみぞめの
鞍馬の山に 入(い)る人は
たどる/”\も かへり来なゝむ
平中興の娘 (後撰集)
[墨に染められた暗闇の
鞍馬の山に入っていった人が
迷いながらでも
戻ってくれたらよいのに]
と記されていたので、我慢できなくなった浄蔵は、女のところに出向いてしまう。ふたたび寺に戻ってから、女の元に、
からくして
思ひわするゝ 恋しさを
うたて鳴きつる うぐひすの声
浄蔵
[辛い思いをしながら
忘れたはずの 恋しさを
ひどく思い起こさせるような
うぐいすの声がします]
女の返し、
さても君
わすれけりしか うぐひすの
鳴くをりのみや 思ひいづべき
平中興の娘
[それではあなたは
忘れていたのですか うぐいすが
声に出して鳴いたときだけ
思い出すだなんて]
また、別の時には浄蔵は、
わがために
つらき人をば おきながら
なにの罪なき 世をや恨みむ
浄蔵 (詞花集)
[ただ私だけを
苦しめるあなたを 差し置いて
どうして罪のない 世の中を恨むでしょうか
(わたしの恨みのこころはすべて
結局はあなたのことなのです)]
とも詠んだ。女は親から大切に育てられ、貴族達が言い寄っても、帝の妻にするつもりで、会わせないほどだったが、このことがあって、見捨てられてしまったとか。
古文
中興(なかき)[平中興]の近江(あふみ)の介(すけ)がむすめ、物の怪(ものゝけ)にわづらひて、浄蔵大徳(じやうざうだいとく)を験者(げんざ)にしけるほどに、人とかく言ひけり。
なほしも、はたあらざりけり。忍びてあり経(へ)て、人のもの言ひなどもうたて[いよいよはなはだしく]あり。なほ世に経じ、と思ひて失せにけり。
鞍馬(くらま)といふ所にこもりて、いみじう行(おこな)ひ[仏教の修行]をり。さすがに、いと恋しうおぼえけり。京を思ひやりつゝ、よろづのこと、いとあはれにおぼえて行ひけり。
泣く/\うち臥(ふ)して、かたはらを見れば、文(ふみ)なむ見えける。「なぞ[「何ぞ」で読みは「なんぞ」]の文ぞ」と思ひて、取りて見れば、この[今恋しく思っていた女性に対して「こうして」くらいの意味]わが思ふ人の文なり。書けることは、
すみぞめの
鞍馬の山に 入(い)る人は
たどる/”\も かへり来なゝむ
と書けり。いとあやしく、誰(たれ)しておこせつらむと思ひをり。持(も)て来べき便り[持ってこられるだろう伝(つ)て]もおぼえず。いとあやしかりければ、また一人まどひ来にけり[女の元へ]。
かくて山に入りにけり。さておこせたりける[女の元へ]。
からくして
思ひわするゝ 恋しさを
うたて鳴きつる うぐひすの声
返し、
さても君
わすれけりしか うぐひすの
鳴くをりのみや 思ひいづべき
となむ言へりける。また浄蔵大徳、
わがために
つらき人をば おきながら
なにの罪なき 世をや恨みむ
となむ言へりける。この女は、になくかしづきて[(親が)例もないくらい大切に育て]、皇子(みこ)たち、上達部(かんだちめ)、よばひ[求婚する]たまへど、帝(みかど)に奉(たてまつ)らむとてあはせざりけれど、このこといできにければ、親も見ずなりにけり。