「大和物語131-133段」古文と朗読

大和物語131-133段

 状況に応じた和歌として、特に131段と133段のおなじ源公忠の和歌の、理知的なものと心情的な表現の使い分けを、プロの巧みのすばらしさとして、楽しんでみるのも良いかも知れません。躬恒(みつね)の弓張(ゆみはり)の和歌は、むしろそのままのことを詠んだだけでも、状況次第では、効果的な和歌になる例とも言えるでしょうか。

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大和物語百三十一段

 先の醍醐天皇の時代、春が終わり夏になる四月一日に、ウグイスが鳴かないことを詠むように言われた源公忠(みなもとのきんただ)(889-948)が、

春はたゞ 昨日ばかりを
  うぐひすの かぎれるごとも
    鳴かぬ今日かな
          源公忠 (公忠集)

[春はほんの 昨日までのことを
   うぐいすが 期日を定めたように
     鳴かない今日だなあ]

古文

 先帝(せんだい)の御時、四月(うづき)のついたちの日、鶯(うぐひす)の鳴かぬを詠ませたまひける。公忠(きんたゞ)、

春はたゞ 昨日ばかりを
  うぐひすの かぎれるごとも
    鳴かぬ今日かな

となむ詠みたりける。

解説

 おそらく私集である『公忠集』から採用されたもので、ほぼ同様の内容が記されている。四月一日に言われたのでなく、「四月一日にうぐいすがなかない」ということについて詠めという題を与えられたもの。

『大和物語92段』にも「もの思ふと月日のゆくも知らぬまに、今年は今日にはてぬとか聞く」という和歌を紹介したし、古今和歌集の「としのうちに春はきにけり」を思い起こしても、人の代の暦というもの、実務的なものを、理屈っぽく説明することによって、かえって心情を表明するような和歌も、まるで一つのジャンルであるかのように、同種のものを見いだすことが出来るようで。

 ここでは、即興で与えられた題が、すでに暦と自然との結びつきの機知によるものなので、理屈的に返しているが、まるでその場で残念がっているような臨場感が、理屈を残念がる心情の方へと移し替えているように思われる。

 つまり「暦の春がおわったからって、ウグイスが鳴かないなんて」くらいの感慨に過ぎないから、「暦が春になったからって、肉まんが売ってないなんて」に説明的傾向が強くても、残念さを表明したように聞こえるのと同じように、説明よりも心情の方が強く引き出されるもの。もう少し意図を込めようとして、「メーカー名を加えた特定の肉まん」の名称にすると、かえってキャッチフレーズに落ちぶれるように、表現のバランス感覚が大切になってくる。その場で題を出された時の、即興的な機知とそのバランス感覚の見事さが、ここで採用された理由かと思われる。

 さらに「肉まん」の場合は人事だから、売らなくなったのは売り手側の計画に過ぎないが、ウグイスが人の暦を推し量るのは虚偽に過ぎないので、詠み手側のウグイスを聞きたいという願望が、あるいは春を惜しむ願望が、擬人化された「暦を知るウグイス」となって詠まれたに過ぎない訳で、その空想の分、「肉まん」よりははるかに心情的な和歌になっていると言えるだろう。

大和物語百三十二段

現代語訳

 同じく醍醐天皇の時、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)(859?-925?)をお召しになって、月のとても美しい夜、管弦の遊びなどを行った時、「半月の月を弓張と呼ぶのはどうしてか。和歌で答えてみよ」と言われたので、屋敷の階段のもとに控えて、このように申し上げた。

照る月を
  弓はりとしも 言ふことは
    山べをさして 入ればなりけり
          凡河内躬恒

[その照る月を
   弓張月とも言う理由は
     山を狙って 射るような姿で
   沈んでいくからでしょう]

 さらに、褒美に着物を貰って、その着物のことを、

白雲の
  このかたにしも おりゐるは
 天つ風こそ 吹きてきつらし
          凡河内躬恒

[白雲が
   山のこちらの方に下りて見えるのは
  天から風が吹き寄せたからだろう
    そうして白雲のような着物が
   わたしの肩に下りて来たのは
     天のようなお方のめぐみが、
    風のように吹いて来たからには違いない]

古文

 おなじ帝(みかど)の御時、躬恒(みつね)を召(め)して、月のいとおもしろき夜(よ)、御遊びなどありて、「月を弓張(ゆみはり)といふはなにの心ぞ。そのよし、つかうまつれ」と仰せたまひければ、御階(みはし)のもとにさぶらひて、つかうまつりける。

照る月を
  弓はりとしも 言ふことは
    山べをさして 入ればなりけり

 禄(ろく)に大袿(おほうちき)[「うちき」は女性の上着、男性の中着の一種だが、「大袿」はあらかじめ褒美として与えるために、大きめのサイズで作られた「袿」で、貰った人は仕立て直して着る]かづきて、また、

白雲の
  このかたにしも おりゐるは
 天つ風こそ 吹きてきつらし

解説

 前段に続いて、題を与えられて即興で和歌を詠む題詠(だいえい)を扱っている。弓張月は上弦・下弦の月、つまり半月の状態を指す月の名称。それを弓張と言うのは、もちろん弓を張る形をしているからであって、上句はその事を説明したにすぎない。

 すると、この和歌の取り所は、下句の「山の辺りを指すように射る姿で、入るからでしょう」というだけのことになってしまう。もし「照る月を弓張と言うことはなぜか」という質問に対する、和歌大学の答案でもあれば、「なぜ質問を無駄に質問内容を加えるのか」と、赤点が危ぶまれるくらいではあるが、凡河内躬恒ともあろう和歌の名手が、なぜそのような事をしてしまったのか。

 と思えば、ちゃんと物語の方で、「月のいとおもしろき夜御あそびなどありて」と状況が説明されている。言葉というものは、シチュエーションによって、まったくおなじ表現が、まったく異なる心理作用を引き起こすのは日常茶飯事で、この場合も、まさに歌われたままに、美しく山の端に入るような月がそこにあればこそ、「ほらごらんなさいそこに照る月を」と指さすような効果が生まれ、あらためてその事実を、ありのままに定義付けたこの和歌が生きてくる。あるいは大和物語の作者の、ここでの躬恒への関心も、状況を生かす和歌の巧みに対してではなかったろうか。

 二つ目の和歌もまた、私の現代語訳では、解説的な意図まで含んでしまったため、おべっからしい嫌みが鼻に付いてしまうが、もとの和歌自体はあくまでも、白雲と空と風のことだけを詠んでいるのであって、真意はあくまでも、相手側に委ねられている。だからこそ、上司へのおべっかが、もはや自己認識すらされないほど身についた、とあるサラリーマンの嫌みに落ちぶれないでいられるという仕組み。

 そうして、与えられた上着を、白雲が天上の風によって肩におりて来た、と詠むのもまた、この月の夜の場景の中で捉えると、先ほど同じ様な、雲と風が感じられればこその臨場感と即興性が込められていて、つまりは物語として和歌が並べられた意義もあるというもの。

大和物語百三十三段

現代語訳

 おなじく醍醐天皇が、月が美しいので、密かに妻たちの住むあたりを、散歩なさったとき、源公忠がお供をしていた。ある部屋から、濃い紅色の着物を着た、とても清らかな女が出てきて、ひどく泣き出した。天皇が公忠をそばに寄らせて、様子をうかがうと、髪を振り乱して大いに泣いている。「どうして泣くのだ」と言っても、答えもしない。天皇もたいへん不思議に思っていると、公忠が、

思ふらむ
   こゝろのうちは 知らねども
 泣くを見るこそ 悲しかりけれ
          源公忠

[思っているであろう
   その心のうちは分らないけれど
  泣くのを見るのこそ
    悲しいものですね]

と詠んだので、天皇もしみじみと良い歌だと褒めたそうである。

古文

 おなじ帝(みかど)、月のおもしろき夜(よ)、みそかに御息所(みやすどころ)たちの御曹司(みざうし)ども見歩(みあり)かせたまひけり。御ともに公忠(きんたゞ)さぶらひけり。

 それに、ある御曹司より、こき袿(うちき)[濃い紅色、または濃い紫の上着の一種]ひとかさね着たる女の、いときよげなる、いで来て、いみしう泣きけり。公忠を近く召(め)して、見せたまひければ、髪を振りおほひていみじう泣く。「などてかく泣くぞ」と言へど、いらへ[返事]もせず。帝もいみじうあやしがりたまひけり。公忠、

思ふらむ
   こゝろのうちは 知らねども
 泣くを見るこそ 悲しかりけれ

と詠めりければ、いとになくめでたまひけり。

解説

 前段と「おなじ帝」だけでなく、「月のおもしろき夜」でつながっている。内容的にも、ある状況下に即興的に詠まれた和歌として関連性があるが、題詠や即興的な和歌という意図は、あるいは125段の壬生忠岑の「酒中見舞い」あたりから継続しているものか。

 月見の夜など、しみじみとした思いに囚われがちな場景を描き出して、泣く女性を登場させるので、なおさら源公忠の和歌が、しんみりとした心情と調和して、興をそそられたものとなっているが、深読みすれば、天皇が自分の妻の住むあたりを歩いていて、「こき袿(うちき)ひとかさね着たる女」である、ある程度の身分のある女性が部屋から出てきて、泣きまくっているというのは、天皇が原因である可能性が大いにありそうで……

 あるいは仕来りなどでなく、公忠をそばに寄せて様子を見せたのは、ある種の気まずさがあったような気がしなくもない。ただそうしたことは、前面には現れず、あくまでも天皇も「いみじうあやしがりたまひけり」と、不思議なことになく女性の場景を崩すことはせず、しみじみとしたおもむきのまま、公忠の和歌で取りまとめている。

 それで彼の「こころで思うことは分らないけれど、泣いているのを見るのは悲しいものです」という和歌に、天皇が「いとになくめでたまひけり」、と特にすばらしく感じた点を考えると。

 もちろん、月の下で泣いている女性を見ていると、そのことだけで哀れを誘って悲しい気持ちにさせられた、というのがこの段の趣旨としてはそぐうものではある。ただ、それだけではなく、理由を答えないで泣いている女性に対して、さらなる追求をせずに、「理由は分りませんが、泣いているようです」と、様子を探るように言われた公忠が、一応自分の役割を果たしながらも、これ以上は詮索しないでおきましょう、というやさしさを込めた。そう思われたために、天皇も感じ入ったと、深読みをすることも出来るだろう。

 そうして、れ以上の詮索はかえって興ざめを誘うものではあるけれど……

 あえて興ざめを誘ってみるならば、これ以上泣いている訳を追求すると、かえって天皇の興を削ぐ結果になりはしないだろうか、そう察した公忠が、あえて「思うこころは分りませんが」と、天皇に配慮した点も、もしかしたら天皇が感じ入った原因でもあるのかな……

 なんて気もしなくもありません。(次の段の内容もあるので。)