あるいは推敲について
2016年初め頃か、意味もなく、
写実でもなく、ふと浮かんだ句といえば。
ほろんほろ/\
おぼろ月夜の かたり唄
これを推敲しようとして、思い悩むには、
ほろんほろ/\
つき夜おぼろかゝたり唄
ほろんほろ/\
かたりおぼろの月夜かな
翌日、着想がこなれて生まれるには、
ほろんほろ/\
かたりが琵琶の月夜かな
ほろんほろ/\
かたりが琵琶のおぼろかな
ほろんほろ/\
かたり琵琶しておぼろかな
語りの即時性にはすぐれているが、虚構性の飛翔、すなわち、空想の飛躍というものをこそ、いにしえを推し量るような、このノスタルジックな句には相応しいのではないかと思い悩み、「星語り」「月語り」「月の唄」「星の唄」など、さまざまな表現を浮かべてみるが、結局は居士の述べるところの、「空想は難くして、現実は安し」の格言を逃れ得ず、安易な着想には辟易し、しばしのお蔵入りとなった。すなわち、テキストファイルのまま放置である。
数ヶ月後
忘れた頃に、不意にテキストを開き、思い返すには、
ほろんほろ/\
かたり琵琶しておぼろ月
ほろんほろ/\
琵琶して月が かたり唄
もちろん、記したときは信じて記したものである。
けれども眺め返せば、流ちょうな語り言葉とも異なる、斧鑿の後ばかりが目立つ、体裁だけの立派さ。つまりは八代集より後の勅撰和歌集の持つ、ある種の傾向にも似たものを感じ、さらに翌日、改めて落書きするには、
ほろんほろ/\
琵琶か月夜の かたり唄
ほろんほろ/\
星降る琵琶の かたり唄
ほろんほろ/\
琵琶に月見が 語りかな
やはり反省は生かされず、意義が勝ち過ぎて、こしらえものの傾向が増すばかり。自然に心情を吐露した結果、偶然優れた詩になっていたような錯覚をさえ抱かせる、はせをの境地にはあまりにもほど遠く、己の才能の不甲斐なさには、あきれて眠って、酒を浴びて眠るばかり。翌日さらに思い返してみるには。
ほろんほろ/\
かたり琵琶して 月夜かな/月見かな
ほろんほろ/\
かたりが琵琶の つく夜かな
最後の「つく夜」には、琵琶を弾く印象と、語りと琵琶との共演の意味と、月夜の意味を重ね合わせつつ、自然に語られたような印象を、損なわないように成したと思われ、その時は安堵したものであったが……
忘れた頃に
2016年も、はやくも初冬頃。
不意に思い出すには、
ほろんほろ/\
かたりが琵琶の おぼろかな
ひとつ前の「つく夜」のものは、何度も口に出して唱えてみると、体裁は立派もしれないが、あふれる心情がため息となって句になったような、簡単に言うと、臨場感を持った心象表現。つまり万葉集の持つ、表現のナチュラルな喜ばしさにおいて、必ずしも最上のものとは思われなくて……
簡単に言うと、仕立てものの感じが、拭い去れないのである。あるいは最大の原因は、意味の掛け合わせに邁進した、「つく夜かな」にこそあるのではないか。そう考え直して、ふと落書きしたのがこれであった。けれども、これまでの長すぎる経緯が、かえって安易な完成を認めさせず、とりあえず落書きしたまま、また放置。
年が明けて
2017年1月20日、逆に一つ前の「つく夜かな」を自然にするには、どうしたらよいかと悩むうちに、いくつかの落書きが生まれてはみたものの……
酔覚めの
枯れ枝に銀がつく夜かな
枯れ葉散り
銀に雫がつく夜かな
枯れ枝に
銀が雫のつく夜/つき夜かな
枯れ枝に
雫が銀のつき夜かな
最後の「銀が」には、同時に「銀河」の意味をそっと込めて、けれどもそれは月夜に相応しいものではないけれど、にも関わらず、星の瞬きは存在し、空想のうちに補完されつつ、幻想性に勝るように思われた。けれども、本来の意義の作品としては……
ほろんほろ/\
おぼろ月夜のかたり唄
という、一番当初の表現こそが、もっともナチュラルに、心情の表出と結びついているのではないか。一番の振り出しに戻されながら、同時にそれが、ありきたりの表現の範疇すぎて、すなわち俗的に響くのであれば、
ほろんほろ/\
つく夜おぼろの かたり唄
くらいの改変か、あるいは構造を維持しながら、
ほろんほろ/\
つく夜が琵琶の かたり唄
としてみたところ、やはり当初の表現の自然さが、たちまち損なわれて、詠み手が思考でこしらえたような、不純物がわずかに混じるようにも思われるのだった。けれども……
これまでの句を読み返すうち、
年末に不意に浮かんだ、
ほろんほろ/\
かたりが琵琶の おぼろかな
こそが表現の自然さと、自然には生まれそうもない、アクロバット性を兼ねそろえ、しかもそれが意義的に、つまり嫌みを持って感じられない、よりナチュラルな詩になっているのではないかと、結論づける事となった。
……そうはいっても、
結局はもっとも最初のものが、
もっとも心情をそのままに表現していて、
十分なような気持ちも、
いまだ残されてはいるのだけれども……
詰まるところは
これら全体を、なんども唱え直して、また忘れた頃に唱え直して、心に残るものを思いはかるうちに、自然と淘汰されたもの。すなわち、自らの思索の結果にあらずして、いかなる時も、自然に思える表現にたどり着いた時、推敲もまた、完結するのかもしれないし、また新たなる表現が生まれるものかもしれませんね。そして、現状はといえば、
ほろんほろ/\
かたりが琵琶の おぼろかな
そうでなければ、
結局は一番最初の、インスピレーションに委ねて、
ほろんほろ/\
おぼろ月夜の かたり唄
こそが正義なのかもしれません。