「大和物語101段」現代語訳と朗読
死に際の和歌の段は、『大和物語』のなかでいくつか見られますが、この段は特に在原業平の有名な和歌を、『伊勢物語』を元に再構成した、165段「つひにゆく道」と対になっているように思えます。和歌の面白さは165段ですが、物語全体はこちらの方が優れているかと思われます。
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現代語訳
おなじ藤原季縄(すえなわ)の少将が、病に伏せって、少し快方に向かったとき、宮中にやってきた。それは、近江(おうみ)の守(かみ)である源公忠(みなもとのきんただ)(889-948)が、まだ掃部(かもん)という役職の次官であり、蔵人(くろうど)[天皇の秘書的組織]でもあった頃のことだった。
その源公忠に逢って、藤原季縄が、
「まだ乱れた気分が直りきっていませんが、ふさぎ込んでしまうのと、仕事が心配なのでこうして参上しました。これからの事はともかく、ともかくまずは出勤してみたまでのこと、今日はこれで退出して、あさって頃には正式に出勤しましょう。そのように、よく天皇にお伝えください」
と言って、宮中から帰っていった。
その三日ほど後に、彼のもとから手紙が届けられたのを見れば、
くやしくぞ
のちにあはむと 契りける
今日をかぎりと 言はましものを
藤原季縄 (新古今集)
[無念なことに
後に逢おうと 約束しました
今日で最後だと 言うべきだったのに……]
とだけ書かれていた。
驚いて、涙ながらに使いの者に、「どのような様子か」と問えば、使いは「たいへん弱ってしまいました」と言って、泣き出してしまい、それ以上は何も聞き出せない。「自分で行こう」といって、自宅から車を取り寄せて、待つ間もそわそわして落ち着かない。近衛府の門まで出て待って、車に乗って走らせる。
五条にある少将の家に着いてみれば、ひどく騒がしい様子だが、門は閉ざされている。少将が死んだのだった。彼のことを尋ねても、取り合ってさえくれない。ひどく悲しくなって、涙ながらに帰宅するのだった。
このような顛末を、一通りお伝えすると、帝(みかど)もたいそう哀れな気持ちにとらわれたという。
古文
おなじ少将、病(やまひ)にいといたうわづらひて、少しおこたりて内(うち)に参りたりけり。近江(あふみ)の守(かみ)公忠(きんたゞ)[源公忠(889-948)]の君(きみ)、掃部(かもん)[掃部寮(かもんりょう・かもんづかさ・かにもりのつかさ)。宮内省に属する令外官で、行事の設営や宮中の清掃などを行う]の助(すけ)[長官につぐ次官の役職]にて蔵人(くらうど)[これも令外官で、天皇の補佐役、秘書役が公的機関になったもの。だからこそ公忠に天皇への言葉を委ねている]なりけるころなりけり。
その掃部の助に、会ひて言ひけるやう。
「みだり心地(こゝち)は、まだおこたりはてねど[この「怠る」は病気が快方に向かうの意味。「はてねど」とあるので「直りきらない」ということ]、いとむつかしう[「嫌な感じだ」「不愉快だ」の意味で、次の言葉と合せて、むしろ仕事に出ないので落ち着かないくらい。役職から外されかねない懸念が感じられる]、心もとなく侍(はべ)ればなむ、参りつる。のちは知らねど、かくまで侍ること。まかり出(い)でゝ、明後日(あさて)ばかり参り来む[次の仕事日が明後日ではなく、実際は調子が悪いので、もう一日休んだらきっと、という捉え方をすると、言葉のパーツがきれいに意味を担ってくる]。よきに奏(そう)したまへ」
など言ひおきて、まかでぬ。
三日ばかりありて、少将のもとより、文をなむおこせたりけるを見れば、
くやしくぞ
のちに会はむと 契(ちぎ)りける
今日を限りと 言はましものを
とのみ書きたり。
いとあさましくて[「あさまし」は「驚きあきれる」と訳されることが多い。ここでは例えば、知人が死んだのを聞いて「茫然として」くらいのニュアンス]、涙をこぼして使(つかひ)に問ふ。「いかゞものしたまふ」と問へば、使も「いと弱くなりたまひにたり」と言ひて泣くを、聞くにさらにえ聞こえず。「みづからたゞいま参りて」と言ひて、里に車[牛車(ぎっしゃ)だが、以外と正確なことは分かりきっていない様子。ある程度の速度が出せたかも知れない]取りにやりて待つほど、いと心もとなし。近衛(このゑ)の御門(みかど)に出(い)で立ちて、待ちつけて、乗りて馳(は)せゆく。
五条(ごでう)にぞ、少将の家あるに、行きつきて見れば、いといみじう騒ぎのゝしりて、門(かど)さしつ。死ぬるなりけり。消息(せうそこ)[ここは、手紙ではなく、訪問の取り次ぎ]いひ入るれど、何のかひなし。いみじう悲しくて、泣く/\帰りにけり。
かくてありけることを、上(かむ)のくだり奏しければ、帝(みかど)もかぎりなく哀(あは)れがりたまひける。
内容について
亡くなるに際しての和歌というのは、大和物語にもいくつか見られ、それぞれ味わいのある段を形成していますが、この段は状況の詳細、また衰弱を聞いてから、相手の館へ出かけ死を知るまでの過程が、心情と共に描かれていて、しかも時事的な記述ではなく、物語として優れていて、今日言う所の「短編小説」として、きわめて優れた作品になっているのではないでしょうか。
和歌は、凝ったものではありませんが、ありきたりの思いを、真心のままに述べたようなものですから、かえって亡くなる間近の、いつわりのない心理を表明していて、それが相手に、死に際を予感させる、リアルな和歌として、この段においては機能しています。
しかも前段では、この季縄少将(すえなわのしょうしょう)が、「くやしきものを」という言葉を込めて、別の和歌を詠んでいて、この段の「くやしくぞ」と対比されます。わたしたちには、もはやピント来ないかも知れませんが、あるいはおなじ言葉を使っても、前段では和歌らしい和歌を詠んでいた少将が、もう和歌らしい技巧も取り落とした、思いをようやく和歌に込めたような、切羽詰まった和歌を詠んできた。切実な響きとして、当時の詠み手には、痛切に捉えられたかも知れません。
段の構成も凝っていて、前半は亡くなる前の少将側から描きながら、和歌の提示と前後して、フォーカスを源公忠(きんただ)側に移す手腕は、この場合、詠み手である少将が死んだため、生者に視点が移ったような効果を、結果として担っているようにも思えます。
また、彼の死を知りながら、みずからは、死者との対面も果たせず、悲しく帰って行くあたり、公忠側の悲しさとむなしさを、簡潔に表わすと同時に、間接的に死に際しての館の動揺を描いていて、それをたったこれだけの文字数でこなすのですから、ほとんど極限の効率性です。このような効率性は『大和物語』の特徴ですが、和歌の掛詞などの表現技法と、親しい関係にあります。
さらには、もし両者の関係が、相手方にもよく知られた、親友ほどであったなら、門を通されたかも知れないなど、二人の関係の深さの程度まで、推し量れそうで、きめ細かいリアルさが、記述には控えているように思われます。
これは一例に過ぎませんが、このような緻密な表現で、全体が構築されているようです。
物語の構成について加えるなら、一連の出来事を、最後に天皇に話したところ、天皇も哀れがったというまとめ方も、事件を過去に委ねつつ、詠み手には天皇が聞かされたことを、さらに私たちが聞かされているという、間接性が物語性を高めていると言えるでしょう。もちろんそこから、生前少将が「天皇によくお伝えください」と公忠に伝えた言葉によって、天皇と公忠が交わしたであろう会話まで、推し量れるという仕組みです。
つまり、わざわざあさっての後に置かれた、「三日ばかりありて」から、まず天皇にその旨を伝えた公忠が、約束の「あさって」には参上しないのを、もしかしたら天皇と、再度話題に上らせて、ちょっと心配しているような、会話が、物語から醸し出されるなど。
ついでですから、この「三日」の設定に絡むあたりを眺めてみると、少将が「明後日ばかりまゐり来む」と言ったのは、病がまだ「おこたりはてねど」、みずからの地位のからむ職責が「いとむつかしう心もとなく」思われて、無理をして出勤してきたので、「あるいはあさって頃ならきっと」という願望を込めたものと考えられます。同時に、「明日から」で急変して死に至るとなると、無理して出勤してきた際の体調からの変化が、すくなくとも物語としては激変過ぎて、ちょっと嘘くさく感じられてしまいますから、二日三日後に置くのは、きわめて自然だとも言えるでしょう。
公忠が天皇に彼のことを伝える時間としても、当日か翌日かの時間の幅が、詠み手にはナチュラルに感じられ、それが「明後日」と言っていた二日後にも出勤せず、いぶかしく思っている所に、三日後に和歌が到着する。もちろん出勤しない理由は、彼の関わる人間には伝えられていたのではあるだろうが、そのような部下のひとりの事などは、わざわざ天皇にも伝えられず、役職の異なる公忠にも伝えられず、いぶかしがるという訳です。
一方公忠の方も、わざわざ尋ねるほどの心配もせず、まだ直りきらないのか、くらいの感慨を、一日過ぎたくらいですから、持っていたところに、和歌が届けられる。それで、不意を打たれたように「いとあさましくて」と表現されています。
ですから、天皇の関心がどれくらいあったかは、不明なのですが、物語の締めくくりにおいて、天皇にわざわざこの話を伝えて、天皇が哀れがっているというとりまとめから、前半における「公忠が天皇に少将のことを伝えた」会話にも、天皇の多少の関心が予測せられ、明後日に来なかった際の会話くらいは、もしかしたらなされていたかも知れないな。と、物語上は思わせることに成功しています。
他にも、車を待つ間にも心配で、表に出て「近衛の御門(みかど)にいでたちて、待ちつけて」など、そのような状況にあるものの様子が、きわめて簡潔な表現でありながら、しっかりと描き込まれ、「乗りてはせゆく」といった言葉にも、選び取られた臨場感がこもります。
こうした細かい配慮から、最後の「門さしつ。死ぬるなりけり」という現実の提示までが、単なるニュースとしてではなく、心情的に共有すべき状況変化を辿って、私たちにも伝えられるのですから、提示された和歌を含めて、まさにショートストーリーの技法を駆使したものと言えるでしょう。それでいて聞いていると、さらさらとひと筆書きに記されたような、当たり前の語り口調で、筆者の嫌みな影が、みじんもない。つい素通りしかねないくらい、ナチュラルに描かれている。
という訳で、実際は全体が緻密な言葉の計算の上に成り立っていて、『大和物語』の中でも、かなりの傑作の段かと思われます。また同時に、この辺りから、真に物語らしい作品が、登場するようになってきます。