「大和物語113段117段」朗読と解説

「大和物語113段117段」朗読と解説

 以前紹介した「橘公平の三女」というのは、なかなか和歌の巧みな人で、それがよく分る「113段」と、掛詞による二重の意味の融合の、お手本のような「君まつ虫」の和歌を紹介します。

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大和物語百十三段

現代語訳

 兵衛尉(ひょうえのじょう)の職にあった藤原庶正(もろただ)[藤原兼輔の四男]が、その橘公平の三女と疎遠になってから、祭の舞人として参加するのに、橘公平の娘達は見学にいった。そうして帰ってから、橘公平の三女が「もろただ」に和歌を贈るには。

むかし着て
  なれしをすれる ころも手を
    あなめづらしと よそに見しかな
          橘公平の三女


[むかし見慣れていたはずの
   あなたの摺衣(すりごろも)の服の袖を
  あら素敵だなんて
    他人のように眺めたのでした]


[上の句「むかし着ていて着慣れたすり衣」「むかしは来て見慣れていたすり衣」の意味を掛け合わせ、「あなめずらし」には「ああすばらしい」と同時に「目辛し」、つまり見るのが辛かったの意味を掛ける。また「着る」「なれる」「すれる」「衣」は縁語になる。]

 そこで、庶正(もろただ)は、山吹につけて和歌をやる。

もろともに
  井出の里こそ 恋しけれ
    ひとりをり憂き 山吹の花
          兵衛尉庶正


[一緒にいた
   井手の里が 恋しいです
     ひとりでいて 折るのはゆうつな
   山吹の花よ]


[娘らが住んでいたのは、県の井戸(あがたのいど)という所で、井手の里ではない。ただどちらも山吹の名所で、あるいは似た風情の所だったこともあるのだろうか。冒頭の「もろともに」には、一緒に暮していたの意味と共に、名所である井手の里と、私たちの共にあったあの場所が、一緒になって浮かんでくるの意味も込められているように思われる。「をり憂き」には「ひとりで折る」と「ひとりで居る」の意味を掛け合わせる。]

 これの返しは知らないが、別の和歌として、まだ男が通っていた頃に三女が贈った和歌。

大空も
  たゞならぬかな 神無月
    われのみ下に しぐると思へば
          橘公平の三女


[空の様子も
   普通ではありませんでした
  しぐれの降る十月
    私だけが空の下で
   しぐれのように泣いていると思ったら]


[倒置法の見本のようなもので、「私だけが下で泣いているのかと思ったら」⇒「空の様子もただ事ではありません」の関係を倒置させたもの。(正しくは通常文からひるがえって眺めたら、倒置されているように見えるものくらいか。)]

 これもおなじ三女の和歌。

あふことの
  なみの下草 み隠れて
    しづこゝろなく ねこそなかるれ
          橘公平の三女 (新古今集)


[逢うことが叶わない
  波の下の水草は 身を隠しながら
    穏やかな心をなくして
  根もないように乱れて
    音をあげて泣いています]


[「なみ」は、上の句から捉えれば「逢ふことの無み」。「無し+原因理由の接尾語『み』」で「無いという理由で」。「下草」には慣習的に隠された思いが込められる。結句は「根こそ流るれ」と流される水草のイメージと、「音こそ泣かるれ」と、声にあげて泣くことを掛け合わせる。]

先にちょっと解説

 構成的に、先に分かれた後に、昔を偲ぶ贈答歌を置いた後で、さかのぼって、二人がまだ付き合っていた頃の、あるいは末期の和歌、別れた後の和歌を置いて、冒頭までの経緯を込めている。もし散文っだけなら、アンバランスにもなりかねないが、和歌の紹介を兼ね合せることによって、独自の構成感を全うする。ただし、これは和歌の出来に左右されるが、この段においては成功しているように思われる。

 また、二人とも、なかなか凝った和歌の技法を使用した贈答歌ではあるが、それが心情と結びついているところ、特に冒頭の「むかし着て」と「もろともに」の贈答歌は、あまたの贈答歌の中でも傑作のうちに入るものと思われる。

古文

 兵衛(ひやうゑ)の尉(じよう)離れてのち、臨時(りんじ)の祭(まつり)の舞人(まひびと)にさゝれて[指名されて]行きけり。この女ども[111段から続く。橘公平の娘たち]、物見に出でたり。さて、帰りて詠みてやりける。

むかし着て
  なれしをすれる ころも手を
    あなめづらしと よそに見しかな

 かくて兵衛の尉、山吹(やまぶき)につけておこせたりける。

もろともに
  井出の里こそ 恋しけれ
    ひとりをり憂き 山吹の花

となむ。返しは知らず。
 かくてこれは、女、通ひける時に、

大空も
  たゞならぬかな 神無月
    われのみ下に しぐると思へば

 これもおなじ人、

あふことの
  なみの下草 み隠れて
    しづこゝろなく ねこそなかるれ

大和物語百十七段

現代語訳

 桂の皇女こと孚子内親王(ふしないしんのう)[宇多天皇皇女]が、源嘉種(みなもとのよしたね)[清和天皇皇子である源長猷(ながかず)の息子]に、

露しげみ
  草のたもとを まくらにて
 君まつ虫の ねをのみぞなく
         孚子内親王 (新勅撰集)

古文

 桂(かつら)の皇女(みこ)、嘉種(よしたね)に、

露しげみ
  草のたもとを まくらにて
 君まつ虫の ねをのみぞなく

和歌の意味

[露がびっしり付いた
   草の端を 枕にでもするように
  松虫は 声を上げて鳴いています]

という意味と、

[露のびっしりついた
   草のような袖を 枕にして
  あなたを待つわたしは
    虫のように声を上げて泣いています]

の意味を分かち難く融合させたもの。四句目を「君待つ」と「松虫」の掛詞にしたために、ただ松虫を擬人法で表現したものとしては、読み取れなくなってしまうのを利用して、逆に全体の叙し方は、むしろわたしの現状を中心に、松虫に委ねたようになっている。それでどちらの意味も、表と裏というよりは、むすばれて一つのニュアンスをになってしまうのが、魅力になっている。これは、先に紹介した113段の、「あふことのなみの下草」の和歌などもおなじ。