廿年初
2020年。年始挨拶。
女もすなる日記といふものを男もしてみむとてするなり
2020年。年始挨拶。
ただの2018年前期の大和歌の落書の覚書。(注意「の」の連続、大きなお世話。)
「Tokino工房」で恒例になりつつある連歌会。花見の際の歌仙を、今頃掲載してみる。
いつもの彼方から送られてきた和歌に、時乃旅人が返歌を付けたもの。
手の生えた夢歌 ひつじ尽きてよしずに掛る物の息 指で描(えが)く丑三つ春は魔方陣 人はえて手の寝静まるすだれかな この骨さえ誰が銀河の秋野かな 雪に這う手のみ残りて揺らぎけり 元日の覚めざめ夢や両の腕
老境の祖父が、手帳などに書いた句を、抜き出して便宜上四季に分類したもの。若いうちは熱を入れたらしい俳句も、忘れた頃にぽつりぽつりと記すくらいのものには過ぎなくて、公表する意思もない落書きを、不肖の孫が掲載したものには過ぎません。
亡き祖父の、太平洋戦争に出兵していた際の句集を紹介する。もっとも推敲は後年なされたもの。
相変わらずの酒を呑んでの走書き和歌。
今年初めての大雪に描いてみた短い落書。
怠惰な落書。ちょっと混迷の詩あり。後日改変しきれるかどうか。
「Tokino工房」内の2018年新春の大和歌会のうち、連歌の部を掲載。もって新年のあいさつの代わりとする。
2018年、「Tokino工房」内での新春の大和歌会の内容を、改めてWebに起こしたもの。その前編。
新春祝いに、長谷川春草の句を並べてみる。
雨ばかり続く夏ならば、また酒に手を伸ばし、忘れかけの俳句などを、不意に落書きしてみるのも、酔いどれの独り言には、あるいは相応しい物かも知れません。その代わり、推敲なしでの掲載となることは避けられず。
いくつかの断章 どれが良いやら 恋見月 夢見る夜半の 月影は 届けられない 君色のなみだ 恋みづき 夢みおぼろの 月影は あなたへとゞけ ひめごころして 夢みづき うらゝおぼろの 月影は あなたへとゞけ ひめごゝろして 夢みづき うらら月影 ひめごころ 恋に揺らめく あたな映して ………
即興的パロディー パロディーの質とオリジナル -あるいはパクリと創作について ビアガーデンにて 不意に酒の句を作れと言われれば、凡人であれ、乏しき知識をもてあそび、 静かさや 岩に染み入る 蝉の声 など、ほとんど唯一の知っている俳句を元に、 ほろ酔いや 喉に染み入る 酒の声 くらいは、誰でも詠みたくなるところ。 ………
あの頃の面影 はしゃいでた あの日の夢も 木造の きしみわたしと 消えてゆくなら 放課後の 中庭いちょう 夕まぐれ 手を振るわたし たれに手を振る 水道の 蛇口のむこう のぞき込む はしゃぎつかれた 別のわたしが 僕の手に 忘れものした 見せしめは マジックみたいな 宿題の文字 かわになを ………
あるいは推敲について 2016年初め頃か、意味もなく、 写実でもなく、ふと浮かんだ句といえば。 ほろんほろ/\ おぼろ月夜の かたり唄 これを推敲しようとして、思い悩むには、 ほろんほろ/\ つき夜おぼろかゝたり唄 ほろんほろ/\ かたりおぼろの月夜かな 翌日、着想がこなれて生まれるには、 ほろん………
ある夏の日の思い出 日頃のニュースには戦争の惨事を伝えるとき、かつての面影と混じり合い、つかの間の幻想は、いくつかの落書きへと化すだろう。 砕け散る 夢のことさえ 燃え尽きて 廃墟と化した 街は夕闇 雨音は おとぎ話の お人形 つんざくように よぎる銃声 姉の手を 握りしめては 階段に うずくまります 真っ赤な人形 ………
意味も無く 君の吐息 星降夜の 絵描き歌 という句を思いついたのにまかせて、 ほろ酔いにいくつかの落書きを記したもの。 白妙の ため息に聞く別れ歌 星の川原 ささやく君の 瞳かも 君の名を 短冊にそっと しのびまつ 陽を浴びて ほろ酔い嘆く鴉かな それでも歌は俺のすべてと…… ………